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ロバート・ゴダード 『欺きの家』(講談社文庫)

 1954年生まれのベストセラー作家ロバート・ゴダードの23作目ということ。この年齢ではじめて知った『リオノーラの肖像』はあのデュ・モーリアレベッカ』の謎をもうひとすじ深くしたようなゴシック・ロマンだった。
 本作『欺きの家』はこれと違ってイギリス上流階層の重苦しい偽善の匂いは描かれていない。舞台となる「家」は、家系図だけが誇りの古典的英国地方貴族ではなく、現代的陶業ビジネスを大規模に展開する経済名士家系。そこに「合法的」に入り込んだ男が持ち前の天才的詐術を発揮し、家系の四代にわたる全員に運命的な影響を与える。
 小説が始まるのは1968年。結末の章は2010年だが、それがどんな詐術なのか、読者は最後の10ページ前まで全容がわからない。それほどに面白い。
 1968年は僕が大学に入った年である。主人公の言っているように、「ロンドン(やパリや東京や京都)ではどんなものでも――自分自身さえも――見つけられると信じていた」年である。

 「年齢を重ねたわたしたちは、若かりし自分たちが見たりかかわったりした出来事を思い起こし、あの頃の自分と今の自分は本当に同じ人間なのかとしばしば心に問う。想い出とは、その当時親しく知っていた人々の「幻影」のことだ。そして「幻影」であるのは、困ったことに、親しい知人だけでなくわたし自身もそのうちのひとりなのだった。」(上巻p22)

ロバート・ゴダード 『リオノーラの肖像』(文春文庫)

 「ゴシック・ロマンの本場のミステリー小説とはこういうものである」と、作者が誇らしげに胸を張っているかのよう。訳者の言葉をかりれば、「過去形でなく現在形でやり取りされる会話のやり取りに、何か得体のしれない大きな秘密が隠されているといった不気味な雰囲気が、いつもただよっている。厳重に覆い隠されたその秘密が、人物たちの過去の行動が、少しずつ、語る人によって微妙にニュアンスを変えながら、暴き出されていく。」
 古い大貴族の館で四世代にわたって繰り広げられる愛と憎しみと金銭欲と征服欲の絡み合い。第一次大戦のソンムの大殺戮とその戦争で大儲けしようとしているアメリカの強欲。はっきりしている悪人と善人、はっきりしていない悪玉と善玉、虐げられる小作農階級と虐げているとは気づかない地主階級が、作者に与えられた役柄をきっちりこなしながら、自分のまわりの人物を複雑に巻き込んで読者を謎に誘い込んでいく。
 何をいまさらかもしれないが、ロバート・ゴダードストーリーテラーとしての力は大したもの。一週間にわたって二、三時間を毎日楽しく過ごしたいと思ったら、間違いなく薦められる正真正銘の娯楽作品だ。

デュ・モーリア 『レベッカ』(新潮文庫)

 レベッカ』は高校の文学史の勉強で必ず覚えなければならない小説のタイトルだった。作者ダフネ・デュ・モーリアはその姓からわかるようにもともとはフランスの家系。フランス革命期にイギリスにわたったいわゆる逃亡貴族出身の女性である。
 この小説は最初から大ベストセラーになったらしい。いろいろな書評家が「皮膚に迫ってくる戦慄感・緊張感と繊細微妙な女性の愛の心理がからみあって読者を一晩中眠らせない」と絶賛したそうだ。
 レベッカというのはじつは作中ではもう故人になっている女の名である。宏大な屋敷を持つ典型的なイギリス・ジェントリーの最初の夫人で、生まれはよくないながらも美貌と才知と行動力で会う人すべてをとらえて離さない魅力を持つ。これに対して、生きている主人公「わたし」はそれほど美人ではないが善良な心を持った読者好きのする人であり、ふとした幸運に恵まれて、ジェントリーのフランス旅行中に見初められて再婚相手になる。「わたし」は何もかもが生まれて初めて経験する大金持ちの暮らしにまごつくばかりだが、何よりうろたえたのが邸宅全体を差配しているデンバース夫人という存在だった。レベッカは生前自分を崇拝していたデンバース夫人を通して、死後も屋敷に君臨していたのだった。「わたし」は年代物の家具調度、食器銀器が何もかもそろったこの屋敷の中に亡くなったレベッカの息遣いを聞き、デンバース夫人の物腰の一つ一つにレッカの振る舞いの残影を見ながら落ち着かない贅沢な毎日を過ごさねばならないのだった。そしてある日、過去が今によみがえったようなことが起きる・・・・・。

 『レベッカ』の初版は1938年。「ロマン」がまだ十分に信じられていた時代だった。イギリス中・上流の因習と伝統は当時の読者には抵抗する手段のないものであり、作中で語られる愛と勇気と繊細と優雅は一般読者に皮肉な反論を許さないものだった。今日、作家の誰が次のようなデンバース夫人の「真情」を言葉にできるだろう。
 「わたくしのレベッカ様は、ひと様からひどい扱いを受けながら黙ってじっとしているようなお方ではありません。『あなたは、この世の中からとれるだけのものをとるために、お生まれになった方ですもの』とわたくしはつねづね申し上げておりました。レベッカ様は事実その通りだったのです。気にもかけず、恐れもせず、何でもなさったのです。わたくしのレベッカ様は男のような勇気と魂をお持ちでした。男に生まれるべき方でしたわ。生前、よくわたしはそう申し上げたことでした。」

 よく似たプロットを持つ数十年後のゴシック小説にロバート・ゴダード『リオノーラの肖像』がある。『レベッカ』も十分面白いが、サスペンス小説としての厚み、国際政治をからませる的確な文明批評力などから見れば、『リオノーラの肖像』のほうが優れているかもしれない。同じことをするなら後世の者がはるかに有利ではあるのだが。

池澤夏樹 『氷山の南』(文春文庫)

 南極大陸から海へせり出した1億トンの巨大な氷山をオーストラリアまで曳航しようとする「冒険小説」。南極海で氷山を探す探査船の名はシンディバード。アラビアンナイトに出てくる船乗りシンドバッドのアラビア名だ。
 読み始めたとき、1億トンの巨大な氷山をオーストラリアまで曳航するとはあり得ないと思った。しかし池澤夏樹は理系の知識がなければ書けないことをいくつもとりあげるが、その際いい加減な知識を披歴することはない。現実にも、サウジアラビアの王子の出資で1977年アメリカのアイオア大学が同じような構想を進めたことがあったらしい。1億トンといってもそれは質量の話で、実際は氷山は水に浮いているのだから、一億トンの超巨大トラックを地上で動かすのとは理屈が違って、2000馬力くらいのタグボートがスーパータンカーを曳航できるのと原理的には似た話なのかもしれない。(2000馬力なんて大きなメルセデスたった4台分のパワーだ。)

 シンディバードは「氷山利用アラビア協会」に所属している。船主はドバイの族長で計画全部の費用を提供していて、曳航計画全体を仕切るDD(ドクター・ドレッドノート、またの名をドクター・ドラゴン)という冷静沈着な恐るべき初老女性、氷山をカーボンナノチューブの網で包みタグボートにつなぐ専門家、曳航中に氷山を割ってしまうクレバスがないかを探査する技術者、オキアミなど氷海の生物資源を研究する若くて美人の生物学者、そして船長以下の操船クルーが乗り込んでいる。
 シンディバードに乗るこれらの人々の出身地、民族は多様多彩。イギリス人、アラビア人、フランス人、中国系アメリカ人、パキスタン人、フィリピン人、ギリシア人・・・・、彼らの出自は船の中では一切問題にされない。ロシア文学者の沼野充義氏が「解説」で言っていることだが、冒険小説であり一種のユートピア小説でもあるこの作品で、船の名前として「シンドバッド」ほど相応しいものがあるだろうか。

 その中に日本で15歳まで育ち、マオリ族との先住民交換奨学生としてニュージーランドの高校を出た18歳の少年ジン・カイザワが、密航者としてもぐりこみむ。ジンは、母親が4分の3、父親が4分の1アイヌの血を引いている。半分アイヌであるジンは、最初はDD(ドクター・ドレッドノート)に「海に投げ込むわよ」と脅されながらも、そう言う彼女は苦り切った顔をしながら微笑しており、多民族乗合冒険船の一員としてあっさり受け入れられる。ジンは密航者に対する形式的な罰として一晩だけの船倉「留置」で解放され、であくる日からは炊事手伝いと船内新聞発行という仕事を与えられる。
 600ページ近い大作だが、読者は飽きることなく知的で愉快な冒険を楽しむことができる。巨大な氷山をカーボンナノチューブの網で包みオーストラリア近海に曳航されるまで、大小の起伏のあるさまざまな挿話が語られる。その中で最も深刻なエピソードが「アイシスト」と呼ばれる教団の話。アイシズムとは<氷=生命に欠かせない水分子の不動状態>を崇め、高度産業社会の無益な欲望解放を憂うヨーロッパ特有の思想だが、かれらは捕鯨に対するグリーンピースとは違って暴力による妨害はせずに、もっとエレガントな策動を仕掛けてくる。
 結局はこのアイシストによって巨大な氷山曳航計画は意外な結果に終わるのだが、読者はべつにそれで落胆するわけではない。氷山の水によるオーストラリアの農耕地の灌漑という利益、それを主宰するアラブの利権、知能犯的に妨害する(自分たち自身が昔はさんざん自然破壊をしてきた)アイシストたちの主張・・・・・、現実の中で何かをしようとする私たちにはいつも「想定外」のことが起きるが、(これも沼野充義氏が言っていることだが)未来というのは「想定外」の向こう側にしかないということがこの「明るく楽しい大航海冒険小説」を読み終わると、あらためて見えてくる。

池澤夏樹 『光の指で触れよ』(中公文庫)

 2011年の作品。2015年アマゾンで買ったのだが届いたのはまだ初版だった。著者にしては不人気の作品なのだろう。
 著者はこの作品で未成年の子供を持つ夫婦の家庭内の役割のあり方という、解決しようのないことというか、保守派の私から見ればそんなことは問題として成り立ちうるのかという問題を正面切って取り上げた。
 能力ある技術系サラリーマン林太郎と環境問題につよい関心があるアユミの夫婦には12歳くらいと3歳くらいの子供がいる。かれらは仲のいい夫婦なのだが、あるとき林太郎が会社の女性と浮気をしてしまう。怒ったアユミは下の子を連れ、オランダに住む友人のところへ行ってしまう。その友人からヨーロッパ各地にある有機農業を中心とした<コミュニティ>の存在を教えられる。商品の大量消費・大量廃棄にかねがね疑問を感じてきたアユミはそのコミュニティの精神に強く惹かれ、スコットランドの大きなコミュニティに子供と移り住む・・・・・。
 600ページを超す長編で話はまだまだ続くのだが、途中250ページあたりに、上の子である森介が一人で母親に会いにくるシーンがある。そのときのアユミの言葉が、「二人も子供がありながら自分探しでもなかろう」と私をイラつかせた。

 アユミ 「学校から帰ったとき、誰かがいればいいんでしょ?子供が帰ったときにだれもいないのは淋しい。それはわかるわよ。そして、森介の場合はわたしだった。今はたいていの家ではそうかもしれない、結果として。でも、それは母親の役割と決まっているわけではない」
 森介 「それはそうだけど」
 アユミ 「でもわたしは仕事もしたかった。だから(環境問題ニュースレター編集という)家でできる仕事を選んだ。この役割分担がいやだというんじゃないのよ。で、わたしは考えて、きみの父と議論して、この役割を選び取った。それが母親の役目だからではなく、合理的だと思ったから」
 森介 「それに、妹がいた」
 アユミ 「そう。幼い子の世話をするのは母親の仕事。これはもう決まったこととしていいわ。でも、日本であなたを育て、子供の砦を守る役割をしながら、どこかおかしいと思ってきた。もう一歩前に出たいと思ってきた。その一歩が、日本の核家族社会にはない、たくさんの人と緩いつながりで接することができるここのコミュニティで見つかる気がするの。」

 林太郎とアユミの問題は、アラン・ブルームがかつて、現代アメリカの「民主的」相対主義を徹底的に攻撃した『アメリカンマインドの終焉』で書いたこととほぼ同じである。
 アラン・ブルームは言った。
「夫婦の職場が別々の都市にある場合、どちらがどちらに従うのか。これは未解決の問題で、どんな意見が出されようとも、痛む傷口であることに変わりはない。それは憤怒と猜疑の種であり、ここからいつ戦争が始まるとも知れない。
 さらにフェミニストが持ち出した妥協は、子供の世話については何も決めていない。両親とも子供より自分たちの仕事を大事にしようとしているのだろうか。以前だと、子供は少なくとも片方の親――すなわち女性――から無条件の献身を受けたものだ。女性にとって子供の世話は人生でこよなく重要な務めだった。夫婦二人が子供に払う半分ずつの配慮は、一人が懸命になって払う配慮の全部と同じといえるだろうか。二人の共同責任というのは子供を無視するための言い訳ではないのか」。
 日本でもヨーロッパでもアメリカでも、都市に住む夫婦は、いつまでもこの問題を解決できない。池澤夏樹はこの小説において主人公・林太郎に会社をやめさせ、東京近郊の農村という「疑似ユートピア」で、近隣の人々から学ぶ土づくりからの有機農業生活を選ばせた。大企業での安定収入の道は絶たれるが、妻はそのことに同意しており、アラン・ブルームが言うような子供の世話についての大都市に住む夫婦の議論も起こりえない。そういうふうに池澤夏樹は小説を締めくくった。そしてそのぶん、物語としてのリアリティは格段に薄れ、多くの読者の共感を失った。

宮本常一 『家郷の訓』(岩波文庫)

 宮本常一は明治40年に山口県の田舎に生まれ、17歳で大阪に出て、20歳を過ぎてから小学校の教員に採用された人である。その人が民俗学に興味を持ち32歳から日本全国を旅して、当時すでに失われつつあった草莽の民の生活を丹念に拾い上げ、まさに地に足の着いた民俗学を築いた。
 しかし彼は第二次大戦中の「ソロモン海戦での大勝利」を発表どおりに鵜呑みする人だった。P86に、(第二次大戦中、それ以前の村里教育を侮るような方針が一新されて) 出征兵士の家などへ国民学校生徒の奉仕作業が行われるようになり、そのことを宮本自身がはなはだ好感を持ったとある。また、この時局に目覚めた新しい母親たちが子に対する権威を真に回復してくる日も近いと思う、とも記している。彼は自分が生きる世界の大海のことには目が向かない人だった。
 
 大海を知らぬことが別に<悪い>ことではないのだし、大海を知っても<いい>ことは何もないのだが、素朴な民草として自らに安んじているのみでは、語彙と論理の豊かなホモ・サピエンスが迫ってくる時代において口下手ネアンデルタールの過酷な運命は避けられない。「ソロモン海戦での大勝利」を発表どおりに鵜呑みする民草は外界に掘られた陥穽に気付きさえしないから、陥穽を掘ったホモ・サピエンスから糊口の途を根こそぎにされるだけである。大仰に言えば、ネアンデルタールが世界の40%にしか精神を開こうとしなければ、世界のあとの60%を作っている「近代」から排除されてしまうのはしかたがない。

 故郷と身辺の故事にとてもくわしい郷土史家でもある著者の文章は、記述の理路がときどき怪しくなる。しかもそれを「人は人、わたしはわたし」とあまり意に介さない。ぼんやりした目で鏡を見ている「閉じた社会」の人だと、憎まれ口も叩いてみたくなる。私は学生の頃、故郷の福井の、いったん決めたことを蒸し返していつまでも話がまとらない、村人寄り合いの話をよく父親から聞いた。
ここに出てくる郷土伝承の語り手はその「閉じた社会」の村落民をさらに中世化した人々である。そして彼らの話を採りあげる著者も話し手と少し似ている、と言っては宮本ファンにこっぴどく叱られよう。滅びゆくものに一掬の涙も注げない浅はかな近代主義者と罵られもしようが・・・。

シェイクスピア 『マクベス』(福田恒存訳・新潮文庫)

  1606年初演。マクベスは11世紀初めに実在したスコットランドの有力武将。当時、イングランドはフランス・ノルマンディー公・ウィリアムの支援を受けたアングロ・サクソン王朝のエドワード懺悔王が統治していた。シェイクスピア活躍の約500年前の時代である。
 舞台の進行の中で3人の魔女が何度も登場し、勇猛だが小心でもあり、妻のそそのかしに乗って王を暗殺するマクベスの運命を予言する重要な役割を演じる。11世紀のスコットランド高地という寒々しい場所のイメージが、王位簒奪とその後の没落という魔女の予言の禍々しさにいっそうの真実味を加えている。
  劇は、二人の将軍マクベスとバンクォー率いるスコットランド軍が、侵攻してきたノルウェイ軍を撃破するところから始まる。マクベスは優秀な軍略家であり、王・ダンカンの信頼はきわめて厚い。しかし、優秀な将軍であることと、その男が野心と無縁であるかどうかは、いまも当時も、別の話である。ノルウェイに大勝したあと、マクベスとバンクォーは3人の魔女に出会うのだが、そのとき魔女たちから「マクベスは王になるであろう、しかしその後はバンクォーの子孫が王朝を開くだろう」と、不気味なことを言われる。
 ノルウェイ軍撃破を祝って、マクベスの城で祝宴が開かれるのだが、妻に「今夜王を暗殺すれば王位はあなたのもの」と尻を叩かれ、あっさりと決行してしまう。しかしダンカンの二人の王子はイングランドアイルランドに逃げてしまい、クーデターは不首尾に終わる。
 マクベスは魔女の予言が気になって仕方がない。なぜなら、マクベスは僚友バンクォーが「生まれながらの気品」の持ち主であり、その気品こそが自分にはないことをよく知っているからである。
 「解題」で福田恒存が言うように、ハムレットは愛情と信頼との純粋を願ったので、王冠が欲しかったのではない。しかしマクベスは何よりも王冠と笏とを手に入れたがった。そこが生まれながらの王者ハムレットと、暴力と幸運によってしか王冠を自分のものにできないマクベスの違いだ。」
 かくしてマクベスは有力な武将、貴族を根絶やしにするような殺戮を繰り返す。スコットランド全体が陰惨な空気の下に喘ぐのだが、やがてイングランド王・エドワードが、逃れてきた長男・マルコムに庇護を与え、大軍をマクベス討伐に向かわせる・・・・・。
 
 なお、シェイクスピアの『マクベス』とは関係ないことだが、マクベスが実在した時代以降の英語の変化について、興味深いことがウィキペディアにあった。
 <1066年1月、(マクベス討伐のために大軍を差し向けた)英国のエドワード懺悔王が亡くなる。王には子供がなかったため、王位継承をめぐる争いが起こる。エドワード王のいとこにあたり、エドワードを支援していたフランス・ノルマディー公ウイリアムは、王位継承をエドワードの在位中に約束されていたため、即位の正当性を主張して、9月に大軍を率いて英国に上陸した。そしてヘーステイングスの地でエドワードの義弟ハロルド二世を倒し、クリスマスの日にウエストミンスター寺院で正式に英国王になった。ノルマン朝を開いて現在のイギリス王朝の祖となったウイリアム征服王である。
 このノルマン系フランス人の征服により、支配階級・上流階級はノルマン系フランス人で占められ、ノルマンディー地方(現在のフランス北西部)に住んでいたノルマン人の言語=古いフランス語が公用語となった。英語は小地主と農民・農奴の言語となった。以後約300年間、英語はフランス語との言語接触により、大量のフランス語彙を取り入れるとともに動詞の複雑な格変化をほぼ失っていく。
 現代英語の語彙の70%はフランス語由来と言われている。もし歴史上、ノルマン人による征服のような大事件がなければ、現代英語はオランダ語やドイツ語と同じような言語であり、ゲルマン語の特徴をとどめていただろう>。
 このような文法構造にかかわるような重要な言語変化は、征服者・継体天皇の言語が日本語と同じ構造の南部朝鮮語であったことから、日本語の歴史にはついぞ起きなかった。