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佐伯啓思 『さらば、資本主義』(新潮新書)2/2

 第八章 アメリカ経済学の傲慢 p157-65

 経済学の本格的な研究書でありながら大ベストセラーになった『21世紀の資本』。著者のフランス人経済学者トマ・ピケティは、自国で博士課程を終えた22歳のときアメリカのMITに職を得ます。経済学者としてはめったに得られないキャリアでしょう。しかしすぐに彼はアメリカの経済学研究に嫌気がさしてフランスに戻ってしまう。その理由をピケティは次のように回想しています。
 「自分がMITでやったのは、現実の経済とはまったく無縁な数学的な分析だけだった。ところが、まさにそのことがアメリカでは称賛されたのだ。アメリカの経済学業界は、どんな事実を説明すべきかさえ知らないくせに、純粋な数学理論にすぎないものだけを次々に吐き出し続けていた。
  「率直に言わせてもらうと、経済学という分野は、数学的な純粋理論に対するガキっぽい情熱を克服できていない。そうした純粋理論がしばしばイデオロギー偏向をともなってうことに気づこうとしない。だから、経済現象の歴史研究や他の社会科学との共同研究が犠牲になっていることも知らない。アメリカでは(人間の英知をすべてデジタルアーカイブにしてみせると豪語したグーグルの能天気開発者を彷彿させる)経済学者たちは、自分たちの内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題ばかりに没頭している。この数学への偏執狂ぶりは、経済学を科学っぽく見せるにはお手軽な方法なのだ。」
 
 たしかに数学は中立的で論理的です。頭が左にねじれた人も右にねじれた人も、数学的論証は受け入れるほかありません。「市場競争経済はうまくいく」ことを数学的に論証すれば、これは誰もが受け入れるほかない。
 しかしながら、一般的に言えば、「市場経済はうまくいく」と言うほうが数学化しやすいことを多くの人は知りません。どうしてかと言うと、うまくいくというのは均衡するということで、うまくいかないというのは不均衡だということです。そして数学のロジックはどうしても均衡のほうを扱いやすい。不均衡という状態はカオスに近いですから、そのとき何が起きるかをロジカルに記述するのはとても難しくなります。
 しかももっと重大なことがあります。この数理経済学では、ほんの少し仮定を変えるだけで、つまり実体経済学的にはどうでもいいような仮定をどう置くかで、結果が大きく左右されるのです。それどころか実体経済学的には意味のないような仮定を置かなければ数学モデルにはならない、といったことも起きる。  私(佐伯)はもともと博士課程の経済学を学んだのですが、こんなことばっかりやっているとだんだん人間がみみっちくなると思ったものです。細かいことばかり気にして、論理の奴隷になっていく感覚に襲われました。そのとき考えていたのは、経済学はどんどん閉じていっている、ということです。
 数学という手法を使うと扱える対象が限られてきます。たとえば、企業はモノを生産する場だけではなく、信頼にもとづく人間関係の場であり、そこでは管理者のエートスが働き、従業員のやる気が作用し、企業の社会的イメージが結構大事なものであり続けます。しかしそんなことは数学的に表現されません。信頼関係や社会的イメージなどは数学理論にならない。そうしたものは数理分析からは排除されていきます。
 さらに、われわれがモノを買うときにもいろいろなことが起きます。純粋に欲しいという気持ち、見栄を張りたい、ほしくないが誰でも持っているから、CMに乗せられて、あるいは買い物中毒――――、消費行動においてこれらの区別は大事なことです。しかしこれらのどれも数学モデルにはなりません。すべて、消費者は合理的に満足を最大化している、という一語で片づけられます。
 アメリカの「市場主義はうまくいく」経済学は、こういう、ひとびとの消費動機さえ数理解析の変数にできない。これがいまやグローバルスタンダードになっていることを考えれば、日本の三本の矢がすべて的を外れても驚く人は少ない。なにしろ首相と日銀の「市場主義はうまくいく」経済学の根元には、どんな時代にも経済成長は可能だという、戦後すぐの、生活に必要なものが全く不足していた時代に生まれた、信仰と妄想があるのですから。

佐伯啓思 『さらば、資本主義』(新潮新書)1/2

 第二章 朝日新聞のなかの「戦後日本」p35-49

 2014年6月末、安倍政権が集団的自衛権についての従来の政府見解見直しを決めたころのことです。朝日新聞の東京・大阪本社版に、「制服向上委員会」なる「肩書き」をもった15歳女子高校生のインタビュー記事がのりました。見出しが「男子に血を流させるな」という、当時話題になった記事です。内容は「AKBの話に熱中したり、お弁当のおかずがいつもより一品少なくて落ち込んだりする、そんな愛すべき男子を戦場に送りこんで、血を流すこととはやめてもらいたい」という趣旨でした。
 朝日にもこんなユーモアがあったのか、と私はつい吹き出してしまいました。朝日の記者は、大人が言うとさすがにちょっと気恥ずかしいことを女子高校生に代弁させておいて、ほらこの子たちも考えているじゃないの、この子たちの言うことも聞きましょうよ、と言いたいわけです。
 もちろん朝日の編集局は本心から、国家の集団的自衛権について、戦後民主主義制度の成り立ちと現下の国際情勢のことを考えずに、「かわいい男子高校生たちを戦場で死なせたくないから反対だ」と言っているわけではありません。本当にそんなことを思っているのなら、新聞として論外ですし、「日本一のクオリティペーパー」を自任する新聞として、彼らがいつも気にしている「世界のクオリティペーパー」から笑われてしまいます。
 要するに、ややこしい話を詰めたってどうせ読者はわからないだろう、と「クオリティペーパー」の編集局は考えている。でもオバサンや一般有権者の素朴情緒的反対論もフォローしておかなければならない、そこで「男子高校生を死なせるな」になってしまう。新聞社としての「クオリティ」を落とさずに素朴情緒的反対論をフォローするには、ナイーブな(はずの)女子高校生にしゃべってもらえば大丈夫だろう、と考える。この女子高校生はいわばダシに使われたわけで、「ややこしい話を詰めたってどうせわからない」読者はなめられたわけです。朝日独特のあざとさです。


 しかし、それにしても、「制服向上委員会」女子生徒の「男子生徒を殺すな」発言はなぜあれほどまでにオバサンや一般有権者の話題を呼んだのか。その理由は「何も知らない女子生徒」や「かわいい男子生徒」が「純粋無垢な人」だからです。強引に安保法制を強化していく安倍政権に対して、彼女らと彼らは、「無抵抗な絶対的弱者」だと朝日新聞は考えている。何よりも守らなければならない戦後民主主義制度において、その根幹である平和主義に関して、「純粋無垢な絶対的弱者」の生きる権利が危機に瀕していると考えている。
 そして昭和初期の日本においても「無抵抗な絶対的弱者」は、天皇を担いだ軍国主義勢力によって戦争に引きずり込まれたのだ、 基本的に権力者は危険極まりないもので、国民は常に被害者になる可能性が大きい、 それに抵抗するものこそ民主主義者である――――かくて朝日新聞をはじめとする「進歩派知識人」の民主主義理解は「民主主義は国家への抵抗なり」という珍妙な理解によって統一されています。ギリシア、ローマの市民政治の反面がポピュリズムの愚劣であったことは、こうした論調の中ではまったく顧慮されません。まして自分の新聞社が戦時協力新聞の先頭にいたことはオバサンには一切伏せられています。
 2014年、朝日新聞社の名前を改めて世界に知らしめた国辱的なあの従軍慰安婦記事は、こうしたあざとさと欺瞞的な体質から自然に生まれたものではないでしょうか。

加藤周一 『日本人の死生観』(岩波新書)2/2

 三島由紀夫――仮面の戦後派

 下巻 p176-8

 私(加藤)は太平洋戦争直後、戦後世代の作家たちが同席している場所で、何回か三島にあったことがある。当時の印象では、三島は非常に小さく、やせぎすで、眼が大きく、態度は神経質でぎこちないところがある一方、他の人たちには興味のない彼自身の問題に頑固に執着しているようにみえた。
 三島は独特で、非凡な才能に恵まれていたが、論議の対象とならざるをえない人物だった。自己観察にかけてはすぐれていたが、他者の人格を理解する能力は限られ、美に対する感受性はゆたかだったが深い文化的教養はなく、怜悧な作家ではあったが抽象的なレベルにおける知的訓練に欠けていた。彼はつねに、内部の官能的・情動的自我から外部の歴史と社会へと向かうのに困難を感じていたと、私には思える。
 小説と戯曲において三島が作り出した人物たちは、その最良の時期でさえ、単に作者を代弁しているに過ぎないフシがあった。この傾向は『鏡子の家』で最高潮に達して、その後は、彼の想像力は明らかに下り坂に向かった。三島はしばしば唯美主義者をもって任じていたが、西洋美術にも日本美術にも通じておらず、それはたとえば、陶磁の世界を愛し、深く知っていた川端康成とは鋭い対照をなしている。
 三島の趣味はときに卑俗に堕し、その大仰な文体のおかげで絵葉書のような印象を与える。京都における建築美の象徴として金閣寺をあげるのは、パリの建築の象徴として凱旋門を持ち出すのと同様、独自性に乏しいだろう。この小説において、主人公の内部における官能的な起伏はよく人を納得させる。だが、外部における金閣の美の描写は通俗的である。
 ・・・一部の観察者が示唆するように、三島の政治思想も、彼の仮面だったのかもしれない。しかしだれでも、自分に合った仮面を選ぶのである。三島はみずからの死にあたって、エロティックな恍惚感を味わったかもしれない。しかしいずれにせよ、彼の政治思想には死という出口しかなかった。三島の場合とくに、死は帰結――衰えつつあった想像力の、実現不可能な政治参加の、涸れつきたショーマンシップの、帰結であったと私には感じられる。大向こうをねらった自殺は、おそらく彼自身にとっては恍惚感をもたらしたのだろうが、観るものにとってはそれは遠い過去からの奇異な叫び声であった。乃木希典の死後に書かれた神話の歴史が、三島の切腹の後に再び繰り返されることはないだろう。日本は、戦時中の心性の悲しい記憶をこれかぎりで葬り去るだろう、と私は思う。

 

加藤周一 『日本人の死生観』(岩波新書)1/2

 近代日本知識人の「自分の死」に関する考え方を、乃木希典森鴎外中江兆民河上肇正宗白鳥三島由紀夫の6人を選んで、ケーススタディとして述べた本。そのうち特に興味深かった乃木希典三島由紀夫について――二人はともに割腹自殺した――いくつかのパラグラフを抜き書きする。

 

 乃木希典――天皇の武士

 上巻p53-4 

 1887年西南戦争が始まるとともに、乃木は政府軍の大兵力の一翼として、連隊を率いて小倉から出陣した。乃木は2年前の萩の乱で、敵側にいた弟や恩師への思いのせいで戦いに没入できず、上官から厳しい叱責を受けていた。来たるべき戦闘はこの時の屈辱を忘れるためにも武勲を立てる好機だった。
 しかし乃木は血気にはやりすぎ、沈着さを欠いていた。西郷軍に包囲された熊本城に連帯を率いて向かう途中、山中で敵兵力と衝突する。激戦の中で乃木軍の旗手が戦死し、新政府の象徴として天皇から授けられた軍旗を反乱軍に奪われた。乃木は衝動的に自分から先頭に立って軍旗を奪い返そうとしたが、部下に抱きとめられた。戦闘のさなかに軍旗を探し求めることは、必ず死を意味していただろう。軍旗喪失という不祥事に対して山形有朋は極刑を主張したが、直属の上官が乃木の勇敢さを認めて擁護し、この件については処罰されずに終わった。

 p64-5

 1894年の日清戦争で、日本軍は旅順を簡単に攻略していた。だから1904年の日露戦争でも、大本営はロシア太平洋艦隊の立てこもる旅順港をすぐに落とせるものと見ていた。しかしそれは見込み違いだった。乃木の第3軍はロシア軍に3回の総攻撃をかけたが、旅順はまったく落ちなかった。ロシア軍の機関銃掃射によって日本軍の3分の1の兵隊がなぎ倒されただけだった。東京では「無能無策」の将軍が若者を無意味に殺していると非難の声が高まり、乃木の住宅は投石を受け、妻が外出すると「あなたの良人は国家の悪玉である」と罵られた。
 失敗に失敗を重ねた末、乃木は旅順港を見下ろす203高地に兵力を向けた。この作戦は元来大本営の方針だったのだが、正面攻撃を好む乃木がこの方針を先には拒否していた。しかし方針を変更した203高地攻略作戦でも、乃木の日本兵は倒されるばかりだった。
 旅順における乃木の屈辱の極みは、ついに203高地を落とした攻撃が彼の指揮する作戦ではなかったことである。満州軍総司令官元帥の大山巌は乃木には旅順を陥落させられないと見て、総参謀長児玉源太郎を派遣し、乃木に代わって攻撃の指揮を命じた。その結果旅順は1週間で日本軍の手に帰した。しかし、乃木の名声をおもんぱかって、当時以後太平洋戦争終結まで、この指揮権交替は公表されなかった。

 p79

 乃木の殉死は、彼の一生が有効だったことを自分と周囲に示すための手段だったといえる。彼は、自分が周囲の人々を裏切ったという罪の意識に対抗するために、絶対の権威を必要としていた。明治天皇はその絶対権威の象徴だった。だから、肉親と友人のために死ななかった彼は、自分が歩んだ道が人間としての基準にかなっていたことの証明として、天皇のために死ななければならなかった。おそらく乃木は明治天皇の大喪の日に自ら死刑執行するつもりで、ながいこと天皇の死を待っていたのではないか。
 切腹することで彼は、理想にしていた(つもりの)真の武士としての自分のイメージを通用させ、それまで責められていた過失、罪、能力の足りなさの感情から免れた。軍旗喪失に終わった西南戦争での無謀な攻撃の償いをした。機関銃の威力を知るだけに終わった旅順における3回の血塗られた正面攻撃の愚を償ったのだ。

シェイクスピア 『リチャード三世』(新潮文庫)

 『リチャード三世』はシェイクスピアにとっては初期の習作にすぎなかったということだが、客入りや出版では大評判をとっていたらしい。1594年の初演に使われた四折り本が1623年の最初のシェイクスピア全集までに六度も版を重ねているそうだ。その人気の理由を福田恒存が「解題」に書いている。
 「それはこの脚本が単なる復讐劇ではなく、劇のもっとも本質的なものの上に立っているからである。個人の意思を超えた大きな運命の流れが作品を一貫していて、自分だけはそれから免れていると思っている人物たちが、次々とその罠に陥り、彼らが意識の外で不用意に洩らした言葉が必ず自分の頭上に降りかかってくる。
 「そしてリチャードは、自分だけは運命の手から逃れていると、誰よりもそう思っている。薔薇戦争の時代、自分が属するヨーク家の親族やその女、幼い子供までも謀殺し、人々の運命を操っているといるのは自分であり、のみならず自分の運命さえ自由にできると思っているリチャードが、最後に、もっとも完璧に、追いやった者たちの反乱連合軍に破れて、自分の運命の存在証明をする。そういう悲劇的アイロニーそのものを表出するためにこそ、この劇は書かれているとさえいえる。その点でこの劇は非常に論理的であり、読者あるいは見物の倫理観と心理を満足させるものとなっている。」

 p170-1

 薔薇戦争最後の勝者であるリチャード3世は、敵王やその息子、弟や、多くの臣下を無慈悲に殺害した。先王の母エリザベスはリチャードを地獄の手先と呪うが、図に乗ったリチャードはあろうことか彼女の娘を自分の嫁にくれと迫る。「今日までのあなたの悲惨は明日の栄光の下地なのだ、嫁が自分の子を産んでくれれば、あなたは皇太后になり国の母になるではないか」と、運命の司祭であるかのような詭弁を弄して。
 リチャード : もしこの身がイングランドを横取りしたと言われるなら、、それをあなたの娘御にお返しして、せめてもの埋め合わせをしよう。あなたのお子達をこのリチャードが殺したと言われるなら、それを生き返らせるため、残った娘御にこの身の子を産んでもらい、あなたの血筋を立てるという手がある。おばあ様と呼ばれれば、お母様と優しく呼びかけられるのと、情愛に変わりはありますまい。子供は子供、位が一桁違うだけ、同じあなたの血筋だ。
 あなたの失ったのは、ただ息子の王位だけだ。その代わり娘御のために妃の位が贖える。この身がどんなに償いをしたいと思っても、いまさらどうにもならぬとすれば、この精一杯の気持ちだけでもお受けいただきたい。
 あなたは再び国王の母君、悲惨な過去は娘が王妃となりあなたが国母になる二重の幸せで、ことごとく償われようというもの。今日まで流してきたあなたの涙は、一滴一滴、きらめく真珠の玉となって、その手に戻ってこよう。失った金が十倍、二十倍の幸福の利子を背負って戻ってくるようなものだ。さあ母上、一刻も早く娘御のところへ。まだ恥ずかしがる年頃だ。そこはあなたの年の功、せいぜい馴らしておいてください。愛の言葉を聞いても驚かぬように下話をしておいていただきたい。・・・・

 官軍のエゴイズム、敗将の母后をいたぶる醜さをこれほど露骨に描いたものがあっただろうか。2年後、リチャード三世は味方の裏切りに遭い、自ら斧を振るって奮戦したが戦死した。遺体は、当時の習慣に従って、丸裸にされ晒されたという。

シェイクスピア 『ジュリアス・シーザー』(ちくま文庫)

 この芝居、タイトルが『ジュリアス・シーザー』だから、シーザーが主役かと思っていたら違った。シーザーはただの殺され役だ。主役は『アントニーとクレオパトラ』でクレオパトラに溺れたあげく、オクタビアヌスに大敗して自殺したアントニーである。自分の栄達のためには肉親すら売ってしまうアントニーの人物像を際立たせるため、シーザーを白昼の議事堂で暗殺したブルータスがアントニーの罠に落ちる好人物として、悲劇的に描かれる。
 ブルータスは、シーザーを王位への野心ありとして刺したのだが、暗殺直後の一部市民の歓喜を見てそのクーデターが多数に支持されたと勘違いしてしまう。そしてつぎのような簡単なスピーチをしただけで、市民の歓呼に送られて自宅に帰ってしまう。
 ブルータス: 善良な同胞諸君、事をなしとげた私は少し疲れている。家に一人で帰らせてくれ。シーザーは野心家だったが偉大だった。これからそのシーザーに敬意を表し、シーザーの忠実な将軍だったアントニーが追悼の演説をする。その言葉を聞いてくれ。アントニーは、シーザーの数々の栄誉について、われわれの許可を得て演説する。アントニーが語り終えるまでだれも帰らないでくれ。


 かつては勇猛で名を馳せたアントニーだが、芝居の前半では三度も跪いてシーザーに月桂樹の王冠をささげようとし、そのたびごとにシーザーが(表向き)払いのけるという茶番を演じるお調子者に描かれている。だからブルータスのクーデターを喜ぶ市民から見れば、追悼演説するアントニーの立場は非常に微妙である。普通にやればおべっか使いか命惜しさの卑怯者として、市民に逆に断罪されかねない。
 しかしお調子者の内股膏薬という人種は、自分を守る巧妙な<言葉>の手立てを、いつの時代も持っている。以下の見事な追悼演説でアントニーは市民の心をつかんでしまう。市民の移ろいやすい心をつかむことなど雄弁家にとっては朝飯前のことである。
 アントニー: ローマ市民諸君。諸君の前で私の信用の足場は、いま非常に滑りやすい。だから、いま何を言えばいい。ローマに栄光をもたらしたシーザーをたたえても、彼に野心ありとしてシーザーを倒したブルータスを愛すると言っても、どちらに転んでも私の評価はひどいものにならざるを得ない。
 シーザーよ、あなたの霊魂がいま我々を見下ろし、忠実だったアントニーがあなたの敵の手を握って和解するのを見れば、その嘆きはあなた自身の死を嘆くより激しいのではないか。
 ・・・ブルータスはシーザーが野心を抱いたという。そしてまぎれもなくブルータスは高潔な人物だ。私はブルータスの言うことを否定するつもりはない。ただ知っていることを言うためにここにいるだけだ。諸君はかつてシーザーを愛した、愛するだけの理由があった。ならばいまどんな理由があって彼を悼もうとしない?つい昨日まで、シーザーの言葉には全世界を敵に回してもひるまぬ力があった。だがいま彼はそこに横たわり、諸君の内うち最下層のものですら敬意を払おうとしない。それはなぜなのだ!
 ああローマの市民諸君!仮に私が、諸君の心情と意思をあおり、狂乱と暴動に駆り立てたいと思っているなら、私はブルータスを裏切り、ともに命を賭けたキャシアスらを裏切ることになる。諸君も知ってのとおり、彼らは高潔だ。私は彼らを裏切りたくない。死者を裏切り、私自身や諸君を裏切るほうがいい。
 ところでここにシーザーがみずから封印した文書がある。彼の書斎で私が見つけた。彼の遺書だ。この中身を諸君が読んだなら、諸君は横たわるシーザーに駆け寄り、傷口に口づけし、シーザーの聖なる血にハンカチをひたすだろう
 市民たち: 遺書だと、中身を聞きたい。読んでくれ、マーク・アントニー。
 アントニー: こらえてくれ、心優しい友人たち、読んではならないのだ。英雄シーザーが諸君をどれだけ愛していたか、諸君は知らない方がいいのだ。諸君は人間である以上、ローマ史上最も公正で偉大だった英雄・シーザーの遺言を聞けば、怒りが燃え上がり、半狂乱になるだろう。諸君がシーザーの相続人であることを、諸君は知らない方がいいのだ。知ったら最後、ああどうなることか!

 このあと市民たちはシーザーの遺体をどこかに運び去り、家々に火をつけ暴動に走る。知らせを受けたブルータスとキャシアスたちはローマから逃れるが、オクタビアヌスとアントニーの連合軍に破れ、ブルータスは部下に持たせた剣の前に自分で倒れこんで自害する。

中沢新一 『レヴィ=ストロース・野生の思考』(NHK100分de名著)

 「NHK100分de名著」とは、「世界の名著を読もう」的な教養番組のための薄い教科書シリーズ。地デジ2チャンネルで放送されているらしい。そのうちの一冊である中沢新一氏のこの本をたまたま本屋で見つけ、パラパラめくっていたら、あの難しいレヴィ=ストロースの『野生の思考』が寝ながらでも分かるようにレクチャーされていた。

 p16-7

 構造主義の最初の着想

 人間の思考は自然が作り上げたものです。宇宙の全体運動の中から地球が生まれ、地球に生命が誕生し、生命の中から脳細胞がつくられ、そこに精神が出現するようになります。精神というモノが自然から生まれたからには、精神の秩序は、そこから自分が生まれた自然界の秩序と連続性を持っているのではないか。
 しかしそこには両者をへだてている非連続性があることも事実です。この連続性と非連続性を同時にとらえることができないだろうか――。それが最初の構造主義の着想でした。自然界の中から生み出された生命の延長上に生まれる「人間の精神」の構造。この精神の構造と自然界の構造を、一つの全体としてとらえることで、精神の秘密にせまろうという思想です。

p47-8

 ありあわせの野生知財をブリコラージュ(つぎはぎ)してヒトは前に進む

 6~7万年前の後期旧石器時代に人類の脳構造に飛躍的進化が起き、クロマニヨン人などのホモ・サピエンスが、脳構造が変わらなかった「旧人」を駆逐しました。それ以来人間の脳の構造は変化していません。6~7万年前の後期旧石器時代が呪術を行っていたのとまったく同じ脳が、いま量子論や宇宙物理を思考しています。新石器革命を通じて、旧石器的知識の組織化が行われ、それ以降、現在まで文化は大きく変化しました。
 それでもそこで活動する知性は6~7万年前の知性と同じものであり、呪術を行っていた人類と科学を行っている人類は、同じ心の構造を持っています。その「同じ心の構造」を例示するものの一つに「ブリコラージュ」があります。ブリコラージュとは「日曜大工」とでも訳せばいい言葉で、<ひとはある新規なものを突然作ることはできない。誰でも身の回りにある材料を再利用し、それらを組み合わせながら自分のイメージに近いものに仕上げていく>という意味です。
 あのニュートンにしても『プリンキピア』を書き上げた後の興味の対象は錬金術占星術にありました。古代エジプトの時代から少しずつ工夫され改良されてきた(現代から見れば幼稚そのものに見える)知的財産身をさまざまにブリコラージュして、(現代科学が迷信の代表として激しく糾弾する)星占いと錬金術に没頭し、新しい宇宙像をつくろうとしていたのです。

 p6・79-81

 レヴィ=ストロースの『野生の思考』が戦いを挑んだのは、19世紀のヨーロッパで確立され、その後人類全体に、とくに政治家、経済人のほとんどすべてに大きな影響力をふるってきた「歴史」と「進歩」の思想です。
 「歴史」と「進歩」の思考方法は、現在でも変わらずに大きな影響力を持ち続けています。右の人々も左の人々も、根底では同じ「歴史」と「進歩」の思考によって動かされています。この点では右も左も同じなのですが、彼らはこのことに気づいていません。今の「進歩」を500年続ければどこに行きつくのかに気づこうとはしません。
 私たちはいま、コンピュータを身近にもつようになりましたが、人類の思考は6~7万年前の突然の進化によって、最初から完成されていました。人類が人類となったそのときにつくられた脳の構造を、私たち現代人もいまだに使って思考しているのです。コンピュータはそういう人類によってつくられたものですから、コンピュータという思考機械も基本設計は、<身の回りにある材料を再利用し、それらを組み合わせながら自分のイメージに近いものを仕上げていく>あの「ブリコラージュ」という「野生の思考」を行う脳と少しも変わりません。なぜなら、地球上に発生した生命の中に知性が生まれ、それはついには人類の知性にまで発達しましたが、その進化の過程はすべて地球の内部で起こったもので、外から何かがやってきたおかげではないからです。生命は自分の手持ちの材料とプログラムだけを用いて、それらの組み合わせを新しく作りかえることだけによってしか、進化をなしとげることはできません。
 そういう意味で、「歴史」とか「進歩」とかは、神経線維の情報処理によって出力されたただの前のめりの「観念」であり、コンピュータという「野生の思考」を行う機械が画面上に映し出した「文字」にすぎません。「歴史」とか「進歩」とかは、生命として体内から発する材料でもなければ、体内から発するプログラムでもありません。