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丸山真男 『「文明論の概略」を読む』下(岩波新書)2/3

 第17講 諸領域における権力偏重

 p121-6 日本に宗教の権威なし

 福沢は古代からの神道について、<元来・・・・神仏両道なりと云ふ者あれども、神道はいまだ宗旨の体をなさず。・・・・往古にその説あるも、数百年の間、既に仏法の中に籠絡せられて本色を顕わすを得ず>と、本来の宗教とは認めず、幕末からの平田神道についても、維新政府の成立の際にいわゆる「草莽の国学」となって“瞬間的に”祭政一致の建前になっただけであるとして、その役割をてんで問題にしていません。
 そこで福沢にとっては日本で宗教らしい宗教といえば仏教だけになります。その仏教のことを論じるにしても、歴史家というよりも啓蒙的文明論者であった福沢の目には、仏教の教義そのものよりは日本の歴史の中で朝廷や武家政権と仏教がどういう位置関係にあったのかが最も気になるものでした。
 ですから福沢は、多くを負っているギゾーにならって、帝政ローマ末期のキリスト教の役割を<もしこの時代にキリスト教なかりせば、ヨーロッパはことごとく禽獣の世界なるべし>と、聖職者集団の胆略に率直な感嘆をあらわすのですが、その一方でキリスト教教義そのものは「妄誕」であるとしりぞけています。キリスト教聖職者集団は末期ローマ帝国と武力で戦って勝利しただけのことである、と。

 しかし、福沢はキリスト教の教義には動かされなかったものの、ギゾーが説く「肉体を制する」俗権と「精神を制する」教権の分離という西欧文明の思考形態には大きく動かされました。そしてそのうえで、ギゾー『ヨーロッパ文明史』で、「1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリー7世に泣いて哀れみを乞うた次第」を読んで、西欧文明における宗教権力の大きさを実感します。『概略』には<恰も天上天下の独尊なるが如し」と釈迦についての俗言を添えるなど、「俗権を支配する教権」に対する福沢の感じ入り方はただ事ではなかったようです。(p34付近)
 これを一方、日本にふりかえると、皇室・政府が名僧知識に爵位を授けるということが行われながら、社会はこれを何もおかしいこととは思っていない。福沢は宗教そのものにはさして興味がないのですが、それにしてもこれほど宗教が俗権に対して独立性がないことは国民そのものの自主独立性を疑うに足る証拠に見えたといえます。
 当時の知識人でも、こういう俗権と教権の関係を問題にした人は、福沢以外にはあの森有礼だけです。森は、『日本における宗教の自由』という英文の意見書で、日本には良心の自由という観念がなかったと述べています。
 わたしの知る限りでは、鎌倉仏教だけが、初期の浄土真宗はとくにそうですが、日本の仏教史のなかでは例外的に、政治権力に対する自立性の意識が強かった。道元は紫衣を皇室からもらったのですがそれを一生身につけなかった。固辞したあげくに、受けるだけは受けたのですが、そのことについて自嘲的な詩を書いています。

 p151-2 武人に独一個の気象なし

 武士のエートスイデオロギー批判をする中で、福沢は<日本の武人に独一個人の気象なし>と述べ、武士の名誉心の動機は(家とか君とかいう)「一個人の外部」に由来するものであるとしています。そして「独一個人の気象」に「インディビデュアリティ」とわざわざ言語を注記しています。

 少し脱線しますが、ここでこの注記に関したことをすこし採りあげます。このインディビデュアリティという言葉は、おそらくJ・S・ミル『自由論』からとっています。ミルはその中で、「いまドイツでは<個性>というものが国家権力に対抗するものとして高い価値を与えられている」と書き、著者のフォン・フンボルトをきわめて高く評価しました。
 なぜミルが個性を強調したかといえば、デモクラシーの発達とともに、凡庸の支配が出てくる傾向が避けられないからです。多数の横暴と同じことで、ミルはそれを憂えた。社会の平等化とともに人間の平均化現象がおこる。これはトクヴィルの名著『アメリカン・デモクラシー』における大きなテーマであり、(「イギリスの支配からの自由と、同胞間の平等」を国の出発点としたという成立事情を持つ)アメリカではどうしても避けられない現象です。
 個性と一口に言いますが、これは19世紀に入ってロマン主義の台頭とともに前面に出てくる主張です。丸山真男なら丸山真男という人間が二人とはこの世にいない、というのが「個性」です。
 ただJ・S・ミルが『自由論』でいう個性は、このロマン的自我の個性というよりは、世論の圧力や多数意見に盲従しない個人の思想・言論の自由が主旋律であり、福沢のいうインディビデュアリティあるいは独一個人の気象というのも、そんな厄介な詮索の上で使っているのではなく、今日の言葉でいえば、個人の自立性というほどの意味です。

 

丸山真男 『「文明論の概略」を読む』下(岩波新書)1/3

 第16講 「日本には政府ありて国民なし」

 p75-80

<日本にて権力の偏重なるは、あまねく社会の中に浸潤して至らざるところなし。・・・今の学者あるいは政府の専制を怒り、あるいは人民の跋扈をとがむる者多しと雖も、細かに吟味すればこの偏重は社会の至大なるものより至小なるものに及び、公私に拘わらず、その権力、偏重ならざるはなし。>
 あらゆる組織体に段階があるという事実(=有様)そのものは文明の段階を問わない普遍的現象です。ところが上級者と下級者がたんに職務分担上の区別でなく、上級者の方が価値的に当然「偉い」となると、それはすなわち日本における権力の偏重になります。事実上の「有様」の違いだけでなく、それが「価値」の上下の差になっていることを福沢は日本文明の病理であるとして剔抉しているわけで、この「有様」と「価値」との区別は、『学問のすゝめ』でも人間の平等と国家の平等とを基礎づける際のかなめをなしています。

 そして、実際に一切の社会関係に権力の偏重があることが、男女関係からはじまって親子兄弟の家族内の権力の偏重、次に家族外の師弟主従、貧富貴賤、新参と古参、本家と分家といった「世間」での権力の偏重、それから次には大藩小藩、本山末寺、神社の本社末社といったすべての単位における権力の偏重があることを挙げていきます。

 ここには権力の偏重が実体概念ではなく、関係概念なのだということがよく示されています。特定の一個人が権力を「体現」しているのではなく、上と下との「関係」においてそうであるのだ、だから上に対してはペコペコし、下に対しては威張っているという「関係」がずっと下まで鎖のようにつながっている。わたしは一兵卒として広島の参謀部に勤務しましたが、普段はお偉い佐官級の士官が参謀将校の前でオドオドしているのを見るたびに、この福沢の卓抜な観察を思い出したものです。

 p110-1

 「くに」という言葉の多義性は近代日本のナショナリズムが振るった魔術的な力の秘密の源泉でもあります。「くに」はいくつにも相似形に重なった構造をしています。いちばん外に「大日本国」という国がある。その中に出羽の国とか播磨の国とかいう場合の「クニ」がたくさんある。さらに今日でも「クニに帰る」という場合のように、郷土という意味の「クニ」が最小の単位をなしています。これらが相似形をなして重なっているところに、自分に一番近いクニに対する自然の愛着心をいちばん外側の大日本国に対しても比較的たやすく動員できる理由があります。
 むろんたとえば英語のカントリーという言葉にも、こういう多層性はあります。しかし日本語ではさらに驚くべきことに政府も「クニ」なのです。「クニ」の支出によって、という場合の「クニ」は政府をさします。カントリーが同時にガヴァメントをも指すわけです。英語のカントリーにはガヴァメントの意味はもちろんありません。日本の「くに」という言葉が持っている魔術というのは、このことです。 

 けれども同時にこの魔力は「ネーション」の意識のおどろくべき低さと隣り合わせになっています。「くに」への依存性、所属性の意識は非常に強いのに、その反面、この国は俺が担っているのだ、おれの動きで日本国の動向も決まるのだ、という意識は非常に乏しい。ですから、第二次大戦の末期に連合国が日本を見損なったのも無理はありません。
 あれほど愛国心の旺盛な日本人だから、本土上陸した連合国軍に対してさぞ猛烈なレジスタンスを続けるだろうと予想していた。連合国側の初期の占領政策はこれに対処するようにできていた。ところがこの想定が全く外れた。日本人の愛国心は強いというべきか弱いというべきか、という問いは今日でも生きています。

ジャック・モノー 『偶然と必然』(みすず書房)3/3

第9章 王国と奈落 現代社会の遺伝的衰退の危険

p191-2

 すこし昔は、比較的「先進的」な社会においてさえ、身体的に言っても、また知的な面からいっても、不適者の排除は自動的で残酷なものであった。大部分のものは思春期の年齢まで生きることができなかった。
 そして今日では、これら遺伝的障害者の多くが、子孫をつくれる年まで生きられるようになっている。これまでは種を衰退――自然淘汰がなくなれば衰退は不可避である――から守ってきた機構が、知識と社会倫理の発達のおかげで、非常に重大な欠陥を持っている場合に以外には、もはやほとんど作用しなくなっている。
 このことの危険性はしばしば指摘されてきたが、これにたいして、分子遺伝学の最近の進歩から期待できる救済策がときどき言われている。この幻想は一部の生半可な学者のあいだに広まっているが、それは消し去らなければならない。
 たしかに若干の遺伝的欠陥を一時的によくすることはできるだろうが、これは単に「病気になった個人」に対してにすぎず、そのひとの子孫に対してまではできない。現代分子遺伝学は、遺伝的遺産に働きかけて新しい特徴を付け加えたり、「超人」を創造したりできる手段を決して与えてくれないばかりか、そのような希望が永遠に空しいことを教えてくれるのである。
 なぜなら遺伝情報の微視的スケールは、いまのところ、そしておそらくは永遠に、そのような操作を受け入れないからだ。SF的な幻想をしばらく措くとすれば、人類を「改良する」ただ一つの手段としては、熟慮したうえで厳格な淘汰を実行することがあるだけだろう。しかしだれが今日そのような手段を望むだろうか。

 先進的な社会においては、非淘汰という状態が支配的になっているが、これが危険を伴うものであることは確かである。ただし、その危険が重大なものとなるのは10ないし15世代、すなわち数世紀先の遠い先のことなのである(としておこう)。

p201-14

 現代社会は科学が発見してくれた富と力とを受け容れてきた。しかしこの社会は、科学がもたらしたもっとも奥深い伝言を受け容れなかった。それにはほとんど耳を貸しもしなかった。――その伝言とは、新しい、そして唯一の、真実の源泉を定義することであり、倫理の基礎の全面的再検討と生気論―物活説的伝統からの完全な絶縁を要求することであり、「旧約」を決定的に廃棄することである。しかし今もわれわれは、一方では科学のおかげで得た力で武装し、すべての富を享受しつつ、他方では、まさにこの科学によって根元を掘り崩された古い価値体系にのっとって生活を続け、子供たちにその体系を教えているのである。

 現代物理学に支えられた分子生物学によって、「旧約」の約束と誓いは反故にされた。いまヒトは、自分がかつてその中から偶然によって出現してきた「宇宙」という無関心な果てしない広がりの中で、ただ一人生きているのを知っている。彼の運命も彼の義務もどこにも書かれてはいない。彼は独力で知識・知性の王国か暗黒の旧約世界か、のいずれかを選ばなくてはならない。

  現代アメリカの精神性の欠如を嘆いたアラン・ブルームは本書の17年後に、以上の3行とほとんどまったく同じことを「自分たちが気にかけているものに宇宙による支えがない、という事実に直面することほど困難なことはない」と書いた(『アメリカンマインドの終焉』p308 1987年刊)(本ブログ2010年9月27日)。
 ぼくは7年前、読んで頭がジンとゆさぶられた日のことをはっきり憶えている。深夜を過ぎて、眠ろうとしているときに、「何ものにも支えられていないこと」を実感するのは、当時のフランスでもアメリカでも、現在の日本でも、耐えがたいものである。

ジャック・モノー 『偶然と必然』(みすず書房)2/3

第6章 細胞の不変性と擾乱 

p129-131

 現代物理学がわれわれに教えるところによれば、絶対零度以外の環境下では、いかなる微視的存在も量子的な乱れをこうむらざるをえない。これが巨視的な系の中で蓄積すると、徐々にではあるが間違いなく構造の変化をきたすことになる。
 生物は正確な遺伝情報の翻訳を保証している完璧な保存機構を持っているにもかかわらず、やはりこの法則から免れることはできない。多細胞生物の老化と死は、少なくとも部分的には、翻訳の偶発的な間違いの蓄積、つまり一度間違った翻訳情報が正確に翻訳され続けるということで説明できる。複製の間違いは、盲目的な忠実性を持つ機構のおかげで、そのまま自動的にふたたび複製されていく。そして生物の構造を仮借なく少しずつ崩壊させていく。

 この微視的擾乱つまり突然変異はつぎのような原因に帰せられることが分かってきた。

1 ひとつのヌクレオチドの対が他の対に置換される

2 ひとつあるいはいくつかのヌクレオチドの対が欠損するか、あるいは付加される

3 まちまちな長さのDNAが倒置されたり、繰り返されたり、転置されたり、融合されたりして、遺伝暗号のテキストがいろいろな具合に「かきまぜられる」。

 この変化は偶発的なものであり、無方向的なものである。そして、この変化が遺伝のテキストの変化の唯一の原因であり、このテキストが生物の遺伝的構造の唯一の貯蔵物なのであるから、必然的に、生物圏におけるすべての新奇なもの、すべての創造の源はただ単なる偶然だけにあるということになる。

 

第7章 進化  偶然を引き起こす源泉

p139-41

 生物はほとんど完全な複製装置を持っているので、ひとつひとつの突然変異はどれも非常にまれな出来事ということになる。たとえばバクテリアでは、あるひとつの遺伝子が突然変異をこうむる確率は、細胞世代ごとに100万分の1、ないしは1億分の1といったオーダーである。しかしバクテリアは数ミリリットルの水の中に数十億個も殖えることができる。このような集団では、そこに生ずる特定の突然変異体の数は100から1000程度はあると推定される。あらゆる種類の突然変異体は10万から100万はあるだろう。
 高等生物、たとえば哺乳類の集団はバクテリアほど大きくはない。しかし哺乳類の細胞はバクテリアの1000倍もの遺伝子を持っている。その分突然変異の公算も大きくなって当然だろう。

 ・・・・・(1970年当時)約30億の人類は各世代ごとに1000億ないし1兆の突然変異を起こしていることが推計される。私がこの数字をあげたのは、ある生物の遺伝情報が偶然に変化する可能性がいかに莫大なものであるかについて、一つの目安をつけてもらうためにすぎない。複製機構がきわめて厳格に自己保存を行っているにもかかわらず、生物は変わっていかざるを得ないということである。そしてその変化がその種にとって合目的的であり、淘汰圧に対して有利にはたらいたとき、進化という「先祖の夢」がなしとげられつつあったように、はるか後世代のものには見えるのである。

 そういう、「先祖の夢」がなしとげられつつあるかのような、はるか後世代のものには合目的的と見えるのひとつに、①人類の直立2足歩行 ②頭蓋の位置の変化 ③FOXP2遺伝子の獲得 という進化現象がある。このうち②は、①の結果として体のバランスを保つために起きたといえるので、①と②は一連の変化としてもいいのだが、③のFOXP2遺伝子は約20万年前にアフリカの初期人類に突然変異としてあらわれ、集団に定着した(ランダムな突然変異が自然選択された)とされる。

 FOXP2遺伝子は、脳内で言語の神経回路を発達させるのに欠かせないヒトの遺伝子であり、類人猿が持つ類似遺伝子とはアミノ酸がわずか2つだけ違っている。FOXP2に欠陥があると時制の一致などの文法だけでなく、複雑な文を理解したり、文字数の多い単語の語源を推測することなどができなくなる。
 偶然とは恐るべきもので、②によって咽喉の構造が発話に都合よく変わったまさにその時代、まるではかったようにこの突然変異は起きた。そして、人類は単純な「声」だけでなく複雑な「言葉」を発することができるようになった。

ジャック・モノー 『偶然と必然』(みすず書房)1/3

 現代分子生物学に画期的な業績を残したジャック・モノーの古典的名著。30歳ころに読んで以来の再読。1970年の発刊と同時に大ベストセラーになり、訳者がパリ空港の本屋をのぞいたときは最前列に30冊あまりも並べられていたという。門外漢には難解なところのある分子生物学の分野だけでなく、現代科学一般を広く見渡したうえでの文明哲学議論を含むこの本が、空港の売店で平積みされているという風景は、訳者があとがきで言っているように、ただいま現在はもちろんのこと半世紀前の日本にもあまり見られなかったのではなかろうか。

 

表紙ウラの梗概からの抜書き。

 生物の特徴は(細胞、組織、器官をつくるときの)遺伝情報の不変の複製と伝達という合目的的な活動にある。だが、この機械的ともいえるような保守的、合目的的なプロセスの中に、「進化」はどのようにして根を下ろして新しい種を生物圏の中に送り出すのだろうか。その大きな要因は、不変な情報が微視的な偶然による擾乱を受けることにある。この、偶然に発した情報は、合目的的な機構により、あるいは取り入れられ、あるいは拒否され、さらに忠実に再生・翻訳され、その後、巨視的な自然の選択を経て必然のものとなる。
 このような中心思想に立って、ギリシア哲学と近世ヨーロッパの観念論哲学にも詳しいジャック・モノーは、約50万年の昔から思考力の進化を続けてきた人類についての重大な問題に大胆で挑戦的な試論を展開する。本書の随所で、とくに現代に影響力を持つヘーゲルマルクスベルクソン、ティヤールなどの思想を俎上にのせ、これらは生気論、物活説の一種にすぎないとして退けている。

  序 p3-5

 今日の分子生物学は、あらゆる科学の中で人間に対してもっとも意味を持つものであり、他のいかなる科学よりも現代思想の形成に寄与していることを疑う人はおそらくあるまい。現代思想は哲学、宗教、政治などのあらゆる分野で、分子生物学を武器とするネオ・ダーウィニズム進化論によって根底からくつがえされ、その核となる「遺伝の物理理論」の爪跡を残されている。
 遺伝暗号の分子論はいま全生物学を支配していると言っていい。私は「遺伝暗号の理論」を広義に解釈するが、その理由は、遺伝物質の化学構造とそれが伝える情報に関する考え、さらにはその情報の形態発生学的、生理学的表現の分子的機構をも、その中にふくませたいからである。このように定義すると、遺伝暗号の理論は生物学の本質的な基盤をそのものであると言っていい。
 もちろんこのことは、生体の構造や複雑な機能がすべてこの理論から演繹可能であるということではない。だが今日、暗号理論が生物圏のすべての問題を予見したり解決したりすることができないとしても(おそらく将来も決してできないだろう)、分子生物学が現れる以前にあった科学知識の中には、これに類するようなものは一切なかった。
 当時「生命の秘密」は、本質的に近づきがたいものとされていた。しかし今日では多くのベールがはがされている。ひとたびこの理論の一般的意義と影響の規模が専門家以外の人々によっても理解され、評価されるようになれば、この重要な出来事は現代思想に大きな影響を与えるようになるだろう。

 第2章 p41-3 弁証法唯物論者たちの時代的限界

 マルクスエンゲルスは社会の変動を分析するのみにとどまらなかった。彼らは弁証法のうちに、たんに社会及び人間の思想の中ばかりか、人間の思考が写し取ろうとする外界の中にもはたらいていると考え、その変化の一般法則を見出そうとした。
 弁証法唯物論者たちが、あらゆる種類の批判的認識輪を排斥して、これらをいつも「観念論的」とか「カント的」か形容するようになったわけは、科学に上のような「完全な認識」を要求してやまぬマルクスたちの態度から説明がつく。
 たしかに、科学が初めて爆発的に進歩した時代に生きた19世紀の人たちがこのような態度をとったとしても、ある程度まで納得が行く。当時にあっては、人間が科学のおかげで自然を直接に支配するようになりつつあり、自然の実質そのものをわがものとしつつあるように思ったとしても、確かにもっともな話であった。なぜならニュートンの重力というものが自然の深奥を極めた法則であるのを、当時だれひとりとして疑うものはなかったのである。 
 しかし周知のとおり、その後、第2期の科学すなわち20世紀の科学は、19世紀科学の認識の源泉そのものへ復帰することによって、まず準備された。徹底的に批判的な認識論が、認識の客観性の条件そのものとして絶対に必要であることが、はやくも19世紀末には(デカルト以来)ふたたび明白になった。それ以後ずっと、この批判に従事するのは哲学者ばかりとは限らず、科学者もまた、これを理論の緯糸そのもののなかに組み込まざるをえなくなった。いま私たちの認識論の基底にある相対性理論量子力学は、このような時代背景の中で発達できたのである。

丸山真男 『現代における人間と政治』(岩波全集第9巻)

 p33-7

 1930-40年代のドイツ社会と第2次大戦後のアメリカ社会を比べれば、似ていたと言う人よりは違っていたと言う人のほうがはるかに多いだろう。しかし1952年、マッカーシー赤狩りの嵐が吹き荒れ、社会全体のコンフォーミズム(体制同調の空気)に嫌気がさしてチャールズ・チャップリンはアメリカを去ったし、ほかならぬナチの世界から逃げてきたトーマス・マンも戦後ふたたびスイスに移った。その地でまもなく生涯を終えたマンの回想の一節は痛ましいものである。
 「私は78歳でもう一度生活の地盤を変えた。これはこの年齢では決してささいなことではない。これについて私は認めざるを得ない、ちょうど1933年に似て、この決断にはアメリカの政治的なものが関与していたことを。あんなにも恵まれた国、巨大な強国にのし上がった国の雰囲気にも、心を締め付け、憂慮をかきたてるような変化が来た。 
 忠誠と称するコンフォーミズムへの強制、良心に対するスパイ、不信、悪口を言い立てるための教育、政府にとって好ましくない学者に対する旅券交付の拒否・・・・異端者を経済的破滅につき落とすやり方―――アメリカではこれらがすべてが日常茶飯事になってしまった。・・・少なからぬ人々が自由の滅亡を恐れている。」

 ・・・けれども、マンの警告も、チャップリンの風刺も、当時のアメリカ市民の多数にはせいぜい「おどかし屋」の、もっと悪い場合には「アカの一味」の中傷としてひびいただろう。あのナチズムの支配でさえ、それが最後の狂気の一歩手前にくるまで、多数のドイツ人住民には昨日と今日の光景がそれほど変わって見えなかった。マッカーシー旋風の下にある繁栄時代のアメリカ市民にはなおさらである。
 「自由だと思っている」圧倒的多数の――したがって同調の自覚さえない同調者の――イメージの広く深いひろがりの中で、社会の中心を少しはずれた異端者の孤立感は大きくなるばかりだったに違いない。

 ・・・すでに100年以上も前に、トクヴィルは、民主社会においては、そこに生きる人々の平準化の進展が、一方での「国家権力の集中」と他方での「狭い個人主義の蔓延」という二重進行の形をとることを見通していた。いわく、平準化の進行した社会では、個人はそれまで人々が日常生活を送ってきた中間諸団体での居場所を失って、ダイナミックな経済社会に素裸状態で放り出されることになる。そのためパブリックな事柄に関与しようとする思いを失い、日常身辺の営利活動や娯楽に生活領域を局限するようになる、と。
 トクヴィルのこのあまりにも早熟な洞察に、当時よりはるかに「歴史を進めたはず」のわたしたちは、なさけないことに誰も反論できない。

丸山真男 『偽善のすすめ』(岩波全集第9巻)

 p325-8

 なぜ偽善をすすめるか。動物に偽善はない。神にも偽善はない。偽善こそ人間らしさの象徴ではないか。偽善にはどこか無理で不自然なところがあるが、しかしその無理がなければ、人間は坂道を下るように動物的「自然」に滑り落ちていたであろう。

 日本のカルチュアのなかでは偽善の積極的意味はさらに大きい。江戸時代において、偽善に対してもっとも痛烈な批判を行った思想家が「なにくれの道、かにくれの教」をすべてからごころとして否定した本居宣長であったことは偶然ではない。
 たとえば宣長は言う。<世の法師などの仰がるる人、あるひは学者などのものしり人、月花をみてはあはれとめづる顔をすれど、道行くよき女の顔みてはそしらぬ顔して過ぐるはまことや。もし月花をうるはしとめづる心あらば、など美しき女に心の動かざらん。例のいつはりなり>――これはまさしく後世の文学者や「庶民的」評論家が「謹厳な大学教授」の偽善をからかうステレオタイプの原型である。

 ・・・つまり、われわれの精神風土においては、「偽」善の皮をひんむいてゆくと、その奥にいつもきまって、善ではなくて、官能――それがどのように洗練されたものであれ――が「本性」として現れることになっている。自然主義が裸体主義になり、「人間的」なつきあいが「無礼講」に象徴されてきたことに、何の不思議があろうか。ここでは露悪的にふるまうことが実はもっとも安易に周囲の信頼を得る途なのである。

 上のような日本のカルチュアは、われわれの社会行動が「演技性」に乏しいこと、それだけでなく、演技的行動の中に「まごころ」ならぬ不純な精神を嗅ぎつける傾向があることと無縁ではないに違いない。
 ・・・さらに勝手に憶測をすすめれば、わが国の人々が政治行動を苦手とし、政治感覚に欠けていることが思い合わせられる。政治こそはまさに高度な演技の世界だからである。シェイクスピアの国のイギリス人は伝統的に(巧みな交渉術をもって鳴る)ステイツマンシップの国であり、その政治感覚は(生真面目な)ドイツ人の目には鼻持ちならぬ偽善として映ってきた当のものなのだ。
 ひるがえってアジアでは、われわれの国の隣に、宣長から偽善の本家本元と烙印を押された中国が控えている。その中国から古来われわれは、無気味なほどの政治的演技力を見せつけられてきたのではなかろうか。