アクセス数:アクセスカウンター

村上春樹 『騎士団長殺し』(新潮社)

 村上春樹は、展開の卓抜さでも登場人物の語り口の意味の深さでも、他の作家に後を追おうという気をなくさせる力量を持つ。『1Q84』以来ちょうど7年ぶりの長編だが、現実世界の座標をほんの少しだけずらしたメタファーの時空間を舞台にしているのは、『1Q84』とかわらない。

 ハラハラさせるサスペンス小説としての面は『1Q84』よりも少ないが、描かれる世界は同じように謎に満ちている。だが、配役たちにふりかかる超日常的事件を描写する単語がとてもやさしく明晰なので、読者はこうした超日常的事件は<世界の境目>にはときどき起こりうるのだと同意させられて、ページを進めてしまう。

 上下巻で1000ページを超える大作、そこに幾筋もの流れが重なり合っていて、最後まで簡単には合流しない。このような作品の梗概を書くことは、わたしの手に余る。そんな興ざめなことをするより、二人の主役がこの劇全体の流れについて対話するシーンが下巻の後半にあるので、そこを書き抜く。登場人物のダイアローグなのでネタバレを最小限にできるメリットもある。

 

 私(小説の語り手)は床に屈みこんで、画家・雨田具彦の『騎士団長殺し』をくるんでいた布をはがし、その絵を壁にかけた。そして(「私」が講師をしている絵画学校の生徒)秋川まりえをスツールに座らせ、その絵をまっすぐ正面から見せた。
 「この絵は前に見たことがあるね?」
 まりえは小さく肯いた。
 「この絵のタイトルは『騎士団長殺し』っていうんだ。少なくとも包みの名札にはそう書かれていた。雨田具彦さんが描いた絵で、いつ描かれたのかはわからないが、完成度はきわめて高い。構図も素晴らしいし、技法も完璧だ。とりわけ、一人ひとりの人物の描き方がリアルで、強い説得力を持っている」

 私はそこで少し間をおいた。私の言ったことが十三歳のまりえの意識に落ち着くのを待った。それから続けた。

 「でもこの絵はこれまでずっと、この家の屋根裏に隠されていた。人目につかないように紙にくるまれたまま、おそらくは長い年月そこで埃をかぶっていた。でも僕がたまたま見つけて、運び下ろしてここにもってきた。作者以外にこの絵を見たことがあるのは、たぶん僕と君だけだろう。君の叔母さんも最初ここに来たときにこの絵を見たはずだが、なぜかまったく興味を惹かれなかったようだ。雨田具彦がどうしてこの絵を屋根裏に隠していたのか、その理由はわからない。こんなに見事な絵なのに、彼の作品のなかでも傑作の部類に属する作品なのに、なぜわざわざ人目に触れないようにしておいたのだろう?」

 まりえは何も言わず、スツールに腰かけて、『騎士団長殺し』を真剣な目でただじっと見つめていた。

 私は言った。「そして僕がこの絵を発見してから、それが何かの合図であったかのように、いろんなことが次々に起こり始めた。いろんな不思議なことが。まず免色(めんしき)さんという人物が僕に積極的に接近してきた。谷の向こう側の、真っ白な大きな家に住む免色さんだ。とてもとても興味深い人だ。このあいだ君は叔母さんといっしょに免色さんの家に行ったよね」
 まりえは小さく肯いた。
 ・・・「それから真夜中に鈴の音が聞こえてくるようになって、それを辿っていくと、雑木林の祠の裏にあるあの不思議な穴に行き着いた。というか、その鈴の音は積み重ねられたいくつもの大きな石の下から聞こえてくるようだった。その石を手でどかせることはとてもできない。
 「そこで免色さんが業者を呼び、重機を使って石をどかせた。どうして免色さんがわざわざそんな面倒なことをしてくれたのか、僕にはよく分からなかったし、今でもわからない。でもとにかく免色さんはそれだけの手間とお金をかけて、石塚をそっくりどかせた。

 「そうするとあの穴が現われた。直径二メートル近くの円形の穴だ。石を積んでとても緻密につくられた丸い石室だ。誰が何のためにそんなものを作ったのか、それは謎だ。君はあの辺りの、誰も知らない小道をときどき散歩していたそうだから、その穴が暴かれたことを知っていた、そうだね?」
 まりえは肯いた。
 「その穴を開くと、小さな古代の鈴みたいなものが出てきた。この絵に描かれている騎士団長が持っている鈴だよ。そのときの僕には見えなかったが、その穴には騎士団長もいて、かれが真夜中に鈴をならしていたことが後でわかった。そのことを穴を暴いた翌日に僕の家に来た騎士団長自身から聞いた」

 私はその絵の前に行って、そこに描かれた騎士団長の姿を指さした。まりえはその姿をじっと見ていた。しかし表情に変化はなかった。

 「騎士団長はこれと同じ顔をして、同じ服装をしている。ただし体長は六十センチほどしかない。とてもコンパクトなんだ。そしてちょっと風変わりなしゃべり方をする。でも彼の姿はどうやら、僕以外の人には見えないらしい。彼は自分のことをイデアだという。そして自分はあの穴の中に閉じ込められていたんだと言った。つまり僕と免色さんが彼を、穴の中から解放したわけだ。君はイデアというのが何か知っているかな?」

 彼女は首を振った。

 「イデアというのは、要するに観念のことなんだ。でもすべての観念がイデアというわけじゃない。たとえば愛そのものはイデアではないかもしれない。しかし愛を成り立たせているものは間違いなくイデアだ。でもそんな話を始めるときりがなくなる。僕にもよく分からない。

 しかしとにかくイデアは観念であり、観念は姿かたちを持たない。それでは人の目には見えないから、そのイデアはこの絵の中の騎士団長の姿をとりあえずとって、僕の前に現われたんだよ。

 ・・・・・「この絵からは、ほかにもいろんな人物が現われ出てきた。画面の左下に髭もじゃの変な顔をした男の姿があるだろう?僕は仮に<顔なが>と呼んでるんだけど、彼もやはり画面から抜け出して、年老いた雨田具彦の入院先に現われた。僕はその病院で、雨田具彦がなぜ『騎士団長殺し』を描き、しかも自宅の屋根裏に隠したのかを訊ねようとしたんだ。

 しかし、それを知るにはどうしても意識の地の底を通っていくしか方法はないようだった。
 <顔なが>は僕を雨田具彦の病室から、地底の国に導いてくれた。地底の国では、やはりこの絵の中に描かれている若いきれいな女性ドン・アンナに出会った。ドン・アンナは地底の国から脱出するための横穴を教えてくれた。もし彼女に会わなかったら、僕はそのまま地底の国に閉じ込められていたかもしれない。

 そしてひょっとしたら、ドン・アンナは雨田具彦さんが若くしてウィーンに留学していたときの恋人だったかもしれない。彼女は七十年近く前に、ウィーンに侵攻してきたナチス政治犯として処刑された」。(p440-3)・・・・・・。

 この小説を成立させているのが村上春樹の中にある「イデアとしての物語」であることだけはよく理解できる。しかし僕たちの愛が成就した、あるいは別離に終わったあとで、その愛の中にあったさまざまな要素を足し合わせても、イデアとしての愛には決してならないように、この小説の中の様々なセリフや登場人物を綜合しても、作者の中にあったイデアを復元することには決してならないだろう。

福岡伸一 『福岡伸一、西田哲学を読む』(明石書房)

 福岡伸一が、自身の「動的平衡」論をメインモチーフにして、池田善昭という西田幾多郎研究者と「生命とは何か」を語り合った対談本。20歳以上も年長である池田氏に敬意を表して、福岡が池田氏に西田哲学の生命論を教えてもらい、そこから動的平衡論が西田哲学に通底していることを学んで、今後の研究を力づけてもらうという作り方の本になっている。

p171

 福岡 「絶対現在」という述語は、西田哲学の分かりにくい表現の最たるものの一つですが、私はそれを「移ろいゆく動的平衡が一回限り作っている一状態(細胞内状態の一瞬の「いま」)」であると解釈したいと思います。
 つまり、動的平衡というのは、絶え間なく移りゆきながら、絶えず自分を更新しているといいますか、合成と分解を繰り返しながらエントロピー増大の法則に対抗している仕組みであるわけなんですが、その細胞内状態というのは、絶えず移り変わっているわけですので、その瞬間を見ればそれは一回限りの平衡状態なわけです。

p197

 福岡 何がすべての生命に共通な現象かと問われると、バクテリアから植物、高等哺乳類を問わず、全生物は細胞膜の内側でATP(アデノシン3リン酸)を分断し、燃え殻のADP(アデノシン2リン酸)を細胞膜の外側に排出しています。すると細胞膜の外側ではそのADPにたちまちリンが一つ加わり、ATPが合成されてふたたび細胞膜の内側に供給され、・・・・・・同じ反応がその細胞や組織が死ぬまで続けられます。

 池田 すなわち、生命は容赦なくふりかかるエントロピー増大の法則――たとえば、生命体を構成している高分子は分断され、タンパク質は損傷を受けつつ変成するわけですが、そうした乱雑さの増大する流れ――に抗して、なおも秩序を保持し維持し続ける耐久性とそれを可能にする構造を持っているんですね。
 僕はこれらのことを福岡さんの生命科学から教わったんですが、その具体的な生命の姿は、生命体を構成する細胞の内部にではなく、細胞の膜上にこそ見ることができるというのは驚くべきことです。

 福岡 ええ。いわゆる「あいだ」にいのちがあるということですね。

 池田 生命の営みとは、生命体の「内界」と環境である「外界」を区切るその両者の「あいだ」にある。すなわち、両者を区切る細胞膜の上で、互いに相反する合成作用と分解作用が同時に行われているということですね。

 福岡 そもそも生命は、何もしなければ、エントロピーがどんどん増加して、タンパク質などの超高分子ポリマーは見る間に低分子ポリマーに分解され、すべてが平準化した何の起伏もない世界に戻って行ってしまいますからね。
 でも、エントロピー増大の法則にまったく反することは生命にもできないわけです。だから生命が何をしているかというと、膜の内側であえて自分を分断することでエネルギーを放出し、膜の外側で再生した合成物をとりいれて自分を再び活性化している。つまり膜上の合成物の再活性化の瞬間だけ、エントロピー増大の法則を追い越すことで時間をかせぎ、生命の宿命を「先回り」しているといったらいいでしょうか。
 あえて自分を壊して再びつくるのを繰り返すことで、生命が死に向かってどんどん坂を下っていくのを、その再活性化の瞬間瞬間にだけ少しずつ登り返しながら、でも全体としては、ずるずるとその坂を下っていく、というのが生命だと思います。

 p323 生命の有限性の理由

 福岡 ヒトを含む多くの真核細胞では、ゲノムDNAは両側に断端を有する直線構造をとっています。この断端はテロメアと呼ばれます。DNAが複製されるとき、二重らせん構造がほどかれ、一本鎖となったDNAは、その端に相補的に結合するプライマーという短いRNAがきっかけとなって複製が開始される。これがそれぞれの一本鎖に対して起きるので、ゲノムDNAは全体として倍加コピーされ、それぞれは細胞分裂によって生じた新しい娘細胞に分配されます。
 複製が完了すると、複製の呼び水として使用されたプライマーは取り外され分解されます。するとその部分に位置していた一本鎖DNAの断端が露出することになる。二重らせん構造をとらない、断端の一本鎖DNAは不安定な構造として、すみやかに分解されてしまう。その結果、テロメアに位置する断端のわずかな部分のDNAが失われることになりますが、この部分には、通常、重要な遺伝情報は書かれていないので、多少の消失があっても問題はありません。

 しかし複製がくり返されると、ゲノムDNAが両端から少しずつ短くなっていくことになります。短縮が遺伝情報に拘わらない無意味な配列で起こっているうちはいいとしても、短縮がくり返されるとやがては重要部分に達し、それを損なうことになります。これがテロメアの逐次短縮と呼ばれる現象で、細胞の分裂回数に限界があることや、細胞の寿命の有限性の起源と考えられています。

 

夏目漱石 『道草』(筑摩書房)

 未完に終わった遺作『明暗』の前に書かれた自伝的要素の濃い作品。亡くなる2年ほど前のもの。養子に出された自分の生い立ちや身の回りの人々の欲望の世界を、細かい写実画のように描いている。漱石がときどき強い筆先で批判した自然主義派の作風をこの時だけは借用でもしたかのようだ。漱石が家庭人・夏目金之助としてはどのように暮らしていたかを知るのには格好の本である。
 炯眼の自然主義作家である正宗白鳥は『道草』を漱石作品の注釈書として、いろいろな作品の生まれた源をここにたどることができると言っているらしい。その意味で、全作品中最も大切な小説だとしてしているということだ(巻末解説・吉田精一)。

 もちろん主人公の健三は漱石自身を正確に写した人物だが、その自画像の筆先はあくまで厳しい。その筆遣いで輪郭を与えられる小ずるい養父母、世の中の落ちこぼれに近い兄や姉夫婦、江戸の昔の地位を鼻にかけながら、徳義心にはまるで乏しい妻の父などは、哀れで滑稽で、また憎々しい。
 これらの人々がうごめきまわる中心にあるのは、もちろんカネである。義理も人情も、学問さえ、カネがなかったらまともなものはできない。経済をはじめ生活一般の世情に疎かった漱石は、国から生活に困らない程度に給付金を貰ってロンドンに留学したが、そのほとんどを書籍購入に使ってしまった。ロンドンで東大後輩の金持ち知人から多額の借金までしているのだが、帰国してから返済を督促され、「ああ返さねばならないのだった」と本作中で慨嘆するような人だった。

 健三は偏屈で気むずかしい、実用向きでない男で、妻との家庭生活を楽しむことさえまるで知らず、大学での仕事に没頭するしか能がない。これまでの漱石の小説に何度も登場した、『それから』の代助や『門』の宗助によく似た人間である。
 彼の西洋仕込みの学問と教養は大したものだが、独立した自分の存在を主張しようとする細君にはすぐ「女のくせに」と不快を感じ、妻に自己の隷属物以上の価値を認めない。妻はまた妻で、「女房をもっと大事にしてほしい」と夫から愛されることを念願し、それでいて夫の意見よりは自分の実家の意見にいつも重きをおいている女房である。
 
 p223-4に描かれるこの夫婦の日常はまことにもの悲しい。

 だから健三の心は紙くずを丸めたように、いつもしゃくしゃした。ときによると癇癪の電流をなにかの機会に応じて外に漏らさなければ、苦しくていたたまれなくなった。そのとき彼は子供が母にせびって買ってもらった花の鉢などを、縁側から下に蹴飛ばしてみたりした。素焼きの鉢が彼の思い通りにがらがらと割れるのは彼の多少の満足になったが、・・・・・何も知らないわが子の慰みを無慈悲に破壊したのは彼らの父であるという自覚は、なおさら彼を悲しくした。彼は半ば自分の行為を悔いた。しかし子供の前にわが非を自白することは敢えてし得なかった。

 また、常でさえありがたくない保険会社の勧誘員などの名刺を見ると、大きな声を出して取次の下女を叱った。その声は玄関に立っている勧誘員の耳に明らかに届いた。彼はあとで自分の態度を恥じた。しかし、下女にそのことを詫びはしなかった。子供の鉢を蹴飛ばしたときと同じように、「責任は俺をこれだけイラつかせるまわりの世の中にあるんだ」と弁解を心の底で読み上げるだけであった。

 細君の方では、家庭と切り離されたこの孤独な人にいつまでも構う気色を見せなかった。夫が自分の考えで座敷牢に入っているのだから仕方がないくらいに考えて、まるで取り合わずにいた。

夏目漱石 『行人』(角川 漱石全集10)

 小説の体裁をとりながら「個人」と「世界」についての漱石の哲学をストレートに著した作品。100年以上前の朝日新聞に連載したものだが、大半の朝日読者にとっては不人気だっただろう。いまでも文庫本では、漱石の作品としては格段に重版の数が少ないのではないだろうか。「神」という文字をそのままの意味で――揶揄や皮肉でなく――使っている回数はこの『行人』が最多であると思う。

 「自分」が物語の語り手で名前は二郎。兄の一郎とともに中流ブルジョア家庭に育った。「自分」は大学を出て、都内の小さな会社で食い扶持だけは稼いでいるごくごく普通のインテリ。まだ両親・兄夫婦の家に住まわせてもらっている。一方、兄は大学の人文系の助教授か何か。物事を考え込むたちのきわめて神経質な人間である。

 小説の後半になって、兄は哲学上の難問について悩み切っていたのだったことが明らかになる。兄を旅行に誘い出してくれ、旅先から様子を知らせてくれた数少ない友人の長い手紙によって、そのことが明らかにされる。このあたりの小説作法は『こころ』とよく似ている。

 「兄さんは、世界には人間の意思以外の偉大な意思が働いているかどうかを、まじめに悩んでいる。兄さんは生真面目すぎるほど生真面目な人だから、ただそのことゆえに、書物を読んでも、理屈を考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中なにをしても、そこに安住できないのだ」と友人は手紙で書いてくる。

「その人間の意思以外の意思が働いている可能性があるからこそ、兄さんは社会に立った場合のみならず、家庭にあっても一様に孤独で、痛ましい思いを持っている。人の性の何たるかを深く考えようとしない父も母も真実をごまかして生きる人であり、ことに妻はそうである。始終何かに対して怒っている兄さんを見ながら、妻は冷たいレディーの視線を向けるだけである。一度ぶったことがあるが、そのときも妻は兄さんを見下ろすような態度を変えなかったそうだ・・・・・・・」
 こうした兄・一郎の神経症はひどい胃潰瘍に悩む漱石神経症そのままだっただろう。実際『行人』執筆中に胃潰瘍を再び悪化させ、半年ほど連載を中断している。

 漱石の <世界には人間の意思以外の偉大な意思が働いている> という叙述は最晩年の有名な<則天去私>につながっていく考え方だろうが、これを漱石の宗教観ととるかどうかは難しいところである。なぜなら、仮に「偉大な意思が働いている」ことを認めても、その意思が私たちに「興味」を持っているかどうかは別問題だからだ。偉大な天が私たちに興味を持っていなかったら、<則天去私>はニヒリズムにかなり近づいてしまう。

 小説ははじめ一郎の夫婦仲のよくないところから始まる。そのうちに、なにかとのんきな「自分」のほうが兄嫁・直と気軽そうに日常の会話を欠かさないことから、万事に潔癖症な兄が妻と二郎との仲を疑うようになる。ある日などは、二郎に対して、「嫁を誘ってどこかに出かけて彼女の貞操を試してみてくれ」と無理を言う。弟との関係を疑いながら、ほかに男がいることも疑い、そのあたりを探って来いという、カマをかけたような、弟の忠誠心を試すような、兄の人間性の所在を疑うような難題である。だから小説としては、かなりページが進むまで鬱陶しい兄弟間三角関係のような話になるかと見え、漱石がどう落としてゆくか展開が見えてこない。

 おまけに、弟の「自分」は明らかに兄嫁・直に好意を抱いている。p211に <自分は雨だれの音の中にいつまでも嫂の幻影を描いた。濃い眉と濃い瞳、それが目に浮かぶと、青白い額や頬は、磁石に吸い付けられる鉄片の速度ですぐその周囲に反映した>という「自分」の心理描写があるが、この描写は『行人』の7、8年前に書かれた『一夜』という短編に出てきた、ある男と美しい女が旅館の一室で交わした思わせぶりな会話そのままである。それは、
ある男 <あのほととぎすの声は胸がすくようだが、惚れたら胸はつかえるだろう。思う人には逢わぬがましだろう>   美しい女 <しかし鉄片が磁石に逢うて、きりきり舞うたら?鉄片と磁石は逢わぬわけにはいきますまい>
という情のこまやかな会話だった。私は昔この箇所を読んだとき、後年までずっと心の裏に跡を曳く女性があったとされる漱石の女性観を見たことを確信した。

 ・・・しかし、『行人』中の「自分」のぼんやりとした恋心は、じつは漱石がこの「哲学的」小説を少しでも面白く読ませるための仕掛けにすぎなかった。そのことが第四章「塵労」(煩悩の意)になってはじめてわかる。兄の友人が唐突に、兄の哲学懊悩の底浅い実体を上述の長い手紙で「自分」に説明してくるのである。読者はな~んだと思ってしまう。物語構成上の大きな不手際がこの小説にはある。

ユヴァル・ノア・ハラリ 『サピエンス全史』(河出書房新社)7/7

 下巻 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

 p247-9

 このさき、脳内配線にわずかな変異が起きるとすると、
 サピエンスはいったい何になろうと望むだろう

 ロシアと日本と韓国の科学者から成るチームが最近、シベリアの氷の中で発見された古代のマンモスのゲノムを解析した。そして、今日のゾウの受精卵を取出し、ゾウのDNAに代えて復元したマンモスのDNAを移植し、その卵細胞をゾウの子宮に着床させることを計画している。

 話はマンモスで終わらない。ハーバード大学のジョージ・チャーチ教授は最近、ネアンデルタール人ゲノム計画が完了したので、今や私たちは復元したネアンデルタール人のDNAをサピエンスの卵子に移植し、3万年ぶりにネアンデルタール人の子供を誕生させられると述べた。チャーチは、この課題はわずか3万ドルでできると主張している。代理母になることを申し出た女性も、すでに数人いるそうだ。

 ホモ・サピエンスを世界の支配者に変えた脳内配線の変異は、サピエンスの脳の生理機能に特に目立った変化を必要としなかった。大きさや外形にも格別の変化は不要だった。したがってひょっとすると、ふたたびわずかな変化がありさえすれば、サピエンスに訪れた<虚構を認知する>言語革命に続く第二次認知革命を引き起こして、完全に新しい種類の意識を生み出し、ホモ・サピエンスを何か全く違うものに変容させることになるかもしれない。

 たとえば、健康な人の記憶力を劇的に高めるおまけまでついてくるアルツハイマーの治療法を開発するとしたら、どうなるか?。それに必要な研究を止められることなどできるだろうか?。そして、その治療法が開発された暁には、その使用をアルツハイマー病の患者だけに限り、健康な人がそれを使って超人的な記憶力を獲得するのを防ぐことのできる法執行機関など、あるだろうか?

 私たちに唯一できるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだけだ。2050年には私たちはすでに「非死」になっている人も何人かいると見る向きもある。そこまで極端でない人は、次の世紀には、と言う。

 ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか」ではなく、「私たちは何を望みたいのか」かもしれない。この疑問に思わず頭をかかえない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう。

ユヴァル・ノア・ハラリ 『サピエンス全史』(河出書房新社)6/7

 下巻 第14章 無知の発見と近代科学の成立

 P59-61 

 近代科学は、人間がいろいろなことに無知であることを公に認める。
 この無類の知的伝統が、「世界理解」に至るための基本的な足がかりになった。

 近代の科学革命は、知識の革命ではなかった。何よりも、無知の革命だった。人類は自らにとってもっとも重要な疑問の数々の答えを知らないという発見が、科学革命の発端だった。

 イスラム教やキリスト教、仏教、儒教といった知識の伝統は、この世界について知らなければならない重要な事柄はすでに全部知られていると主張した。偉大な神々や万能の絶対神はすべてを網羅する知恵を持っており、それを聖典や口承のかたちで私たちに解き明かしてくれているとしていた。聖書やコーランヴェーダから森羅万象に関する決定的に重要な秘密が抜け落ちており、それが俗界の人間によって今後発見されるかもしれないということは考えられなかった。

 ヨークシャーの農民が、クモはどうやって巣を張るのかを知りたいと思った場合、もちろん聖職者に尋ねても無駄だった。この疑問に対する答えは、キリスト教のどの聖典にも見つからないからだ。だからといって、キリスト教に欠陥があるわけではなかった。それは、クモがどうやって巣を張るかを理解することは、世界のあり方を知る上で重要ではないということだ。

 キリスト教は人々がクモを研究することを禁じてはいない。だが、クモの研究者は、中世のヨーロッパにそういう人が仮にいたとしたらだが、自分が社会の中でじつに瑣末な役割を果たしているにすぎず、キリスト教の永遠の真理にとって自分の発見が無関係であることを素直に受け入れた。

 ただし実際には、ものごとはそう単純ではなかった。どの時代にも、たとえどれほど敬虔で保守的な時代にも、自分たちの社会だけが知らない重要な事柄が、別の社会には存在すると主張する人はいた。だが、そのような人々は、たいてい無視されたり迫害されたりした。あるいは、預言者ムハンマドのように、自分たちこそ知るべきことをすべて知っており、新たな伝統を創設するものであると主張し始めた。そしてムハンマドの信奉者は彼のことを「最後の預言者」と呼びはじめ、それ以降、ムハンマドに与えられた以上の啓示は彼らの社会にとって不要になった。

 これにたいして近代科学は、<もっとも重要な疑問>に関する私たち自身の集団的無知を公に認める点で、無類の知的伝統だ。
 ダーウィンは自分が最後の生物学者で、生命謎をすべて解決したなどとは決して主張しなかった。広範な科学研究を何世紀も重ねてきたにもかかわらず、生物学者は脳がどのようにして意識を生み出すかを依然として説明できないことを認めている。物理学は何が原因でビッグバンが起こったかや、量子力学一般相対性理論の折り合いをどうつけるかがわからないことを認めている。

ユヴァル・ノア・ハラリ 『サピエンス全史』(河出書房新社)5/7

下巻 第13章 歴史の必然と謎めいた選択

 p43-48

 歴史は、予測が原理的にできない二次のカオス系である

 グローバルな社会の出現が必然的だというのは、その最終産物が、いま私たちが手にしたような特定の種類のグローバルな社会でなくてはならなかったということではない。なぜキリスト教徒は20億、イスラム教徒は13億もいるのに、キリスト教の「悪魔」概念を生んだ善悪二元論ゾロアスター教はわずか15万しかいないのか。もしサピエンスが各大陸に棲みついた1万年前に戻って、一からやり直したら、毎回必ず一神教が台頭し二元論は衰退するのだろうか。

 そのような実験はできないから、本当にどうなるかは知りようがない。しかし、歴史の持つきわめて重要な特徴を考察すれば、多少の手がかりは得られる。

 歴史はどの時点をとっても分岐点になっている。過去から現在へは、結果論で言うと一本だけ歴史のたどってきた道があるが、そこからは無数の道が枝分かれし、未来へと続いている。それらの道のうちには、幅が広くなめらかで進みやすいものもあるのに、歴史あるいは歴史を作る人々は、じつに予想外の道を選んだりすることがある。

 1913年、ボリシェビキはロシアの小さな急進的派閥にすぎなかった。それがわずか4年後にロシアを支配下に置くなどとは、当時誰が予測できただろう。それに輪をかけて、西暦600年に、砂漠に暮らすアラビア人の一集団が、大西洋からインドまでの広大な領域をほどなく征服してしまうなどという考えは、ときの人々にとって荒唐無稽だった。

 歴史にはあまりに多くの力が働いており、その相互作用はあまりに複雑なので、それらの力の強さや相互作用の仕方がほんのわずかに変化しても、結果に大きな違いが出る。そればかりか、歴史はいわゆる「二次」のカオス系なのだ。一次のカオス系は、それについての人間の予想には反応しない。たとえば天気は、一次のカオス系だ。天気は無数の要因に左右されはするものの、天気がコンピュータ予測に反応することはないので、私たちは大型のコンピュータを用いて少しずつ正確な予報を出せるようになっている。

 これに対して二次のカオス系は、一次のカオスについての予想にカオス自身が反応するので、系の進路を正確に予想することは決してできない。例えば商品市場は二次のカオス系だ。翌日の石油価格を100%予想できるコンピュータプログラムを開発したらどうなるだろう。石油価格はたちまちその予測価格に反応し、あるいは売り、あるいは買い進めるので、その結果予想は外れてしまう。
 政治も二次のカオス系だ。1989年の革命を予測しそこなったとしてソ連研究家を非難し、2011年のアラブの春の革命を予知できなかったとして中東の専門家を酷評する人は多い。だが、これは公正を欠く。二次のカオス系である革命は予想不可能に決まっているのだ。