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ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモ・デウス』(河出書房新社)2/2

 p242-3

 今後、途方もない量のデータ処理を前にして
 サピエンスは人工知能に卑屈な態度を取らずに済むか

 21世紀の経済にとって最も重要な疑問はおそらく、ほとんどなんでも人より上手にこなす、知能が高くて意識を持たないアルゴリズムが登場した場合、膨大な数の余剰人員をいったいどうすればよいか、だろう。人間至上主義ならぬデータ至上主義に対して、意識のある人間たちはどうすればよいのか。

 データ至上主義が間違っていて、生き物がただのアルゴリズムではないとしても、データ至上主義が世界を乗っ取ることを、われわれは必ずしも防げるわけではない。これまでの多くの宗教は事実に関して不正確であったにもかかわらず、途方もない人気と力を得た。キリスト教共産主義にそれができたのなら、データ至上主義にできないはずがあるだろうか? 

 データ至上主義にとって見通しは明るい。なぜなら現在、データ至上主義は科学の全領域に広まりつつあるからだ。統一されたパラダイムが生まれれば、確固たる教義になるのはたやすいかもしれない。

 データ至上主義が世界を征服することに成功したら、私たち人間はどうなるのか? 最初は、データ至上主義は人間至上主義に基づく幸福と力の追求を加速させるだろう。人間至上主義のこうした願望に充足を約束することによって、データ至上主義は広まる。不死と至福と神のような創造の力を得るためには、人間の脳の容量をはるかに超えた、途方もない量のデータを処理しなければならないのだから。

 そこを、優秀なアルゴリズムが私たちに代わってやってくれる。ところが、人間からアルゴリズムへと実行者がいったん移ってしまえば、人間至上主義のプロジェクトは意味を失うかもしれない。人間中心の世界観を捨てて、アルゴリズムが自分に親和性のあるデータ中心の世界観を受け容れてしまえば、人間の健康や幸福の重要性は霞んでしまうかもしれない。はるかに優れたモデルがすでに存在するのだから、旧式のデータ処理マシンなどどうでもいいではないか。

 私たちは健康と幸福と力を与えてくれることを願って「すべてのモノのインターネット」の構築に励んでいる。それなのに「すべてのモノのインターネット」がうまく軌道に乗ったあかつきには、人間はその構築者から一つのチップへ、さらにはデータへと落ちぶれ、ついには急流に呑まれた土塊のように、データの奔流に溶けて消えかねない。
 そんなとき――それは50年後か200年後か――サピエンスのうち誰が、デウスのようになった人工知能に卑屈な態度を取らずに済むだろう。

ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモ・デウス』(河出書房新社)1/2

 世界的ベストセラーになった『サピエンス全史』の続編。前作では、われわれホモ・サピエンスが自分を取り巻く世界の頂点に立ったいきさつを、わずか上下2巻500ページのなかに息づまるようなロジックをもって描き切っていた。きっかけとなったのは、進化による偶然の作用でネアンデルタール人の言語用脳内配線がわずかに変わり、世界中の過去・現在・未来を、ときに虚構を交えながら自在に物語れるようになったことだった。

 この前作は意味深長な言葉で終わっていた。「ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか」ではなく、「私たちは何を望みたいのか」かもしれない。この疑問に思わず頭をかかえない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう」と。本書『ホモ・デウス』はストレートにこの疑問に答えようとしたものだ。

 現代化学・生物学・生理学・医学によってホモ・デウス=神にも比せられるべき力をそなえるようになったヒトだが、私たちの脳内配線は依然として3万5千年前に起きたわずかな変異をそのまま引き継いでいる。

 上巻p218

 新しい宗教「人間至上主義」が生まれているが、
 それははたしてサピエンスを幸福に導き得るか

 脳内配線が変わらないとすれば、言語による虚構の構築は今後のサピエンスにも不可欠だ。お金や国家や人々の協力などについて、広く受け入れられている物語がなければ、複雑な人間社会は一つとして機能しえない。人が定めた同一のルールを誰もが信じていないかぎりサッカーはできないし、そのルールに似通った物語なしでは市場や法廷の恩恵を受けることはできない。

 だが、物語は道具に過ぎない。だから物語を「私たちは何を望みたいのか」の基準や目標にするべきではない。私たちは物語がただの虚構であることを忘れたら、企業に莫大な収益をもたらすために多数の社員を死なせてしまうし、国益を守るために戦争をはじめてしまう。

 下巻に述べるような理由によって、私たちは21世紀にはこれまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろう。そうした宗教はバイオテクノロジーとコンピュータアルゴリズムの助けを借り、私たちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、体や心や脳を形作ったり、天国や地獄もそなわったバーチャル世界をそっくり創造することもできるようになるだろう。だから、虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかつてないほど重要になる。

 下巻8、34-6

 近代以前の人間は、力を放棄するのと引き換えに、自分の人生が意味を獲得できると信じていた。戦場での勇敢さや、王を支持するかどうかや、隣人と不倫をするかどうかは本当に重要だった。戦争や疫病や干ばつといった、なにか恐ろしいことが起こったら、人々は次のように言って自分を慰めた。

 「私たちはみな、神か自然の摂理の手になるドラマの中で役を演じている。脚本がどうなっているかは関知できないが、万事が何か目的があって起こるのは確実だ。この恐ろしい戦争や疫病や干ばつでさえ、もっと壮大な枠組みの中で果たすべき役割がある。そのうえ脚本は、最終的にはすばらしいものに違いないので、話は有意義な結末を迎えると思って間違いない。だからなにもかも結局は最善の結果につながる、――仮に、今ここではなくても、あの世では」

 現代の文化は、宇宙の構想をこのように信じることを拒む。私たちは、どんな壮大なドラマの役者でもない。人生には脚本もなければ、脚本家や監督も演出家もいないし、彼らが主張しようとする意味もない。宇宙は盲目で目的のない単なるプロセスであり、響きと怒りに満ちているがそれらに何ひとつ意味はない。
 人間は壮大なドラマを演じているわけではないので、よい結末も悪い結末もない。いや、結末などまったくない。人間にまったく関心のない宇宙のできごとが、後から後から、ただ起きるだけだ。

 現代の、意味も、神や自然の法もない生活への対応策は、自分の子供を孤児院に捨てるという、個人としてはどうしようもない人格破綻者であるジャン・ジャック・ルソーが用意してくれた。その名も人間至上主義という、この数世紀に間に世界を征服した革命的な宗教がそれである。

 ルソーは『エミール』のなかで、「自分自身の欲求や感情は、自分の心の奥底に何物も消し去ることのできない文字で、自然によって書き込まれている。自分が何をしたいのか、良いと感じていることが本当に良いことなのか、悪いと感じていることが本当に悪いことなのかに関しては、自分自身の意見を聞きさえすればよいのだ」と書いている。

 この宗教はキリスト教イスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理が、演じた役割を人間が果たすものと考える。人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけでなく森羅万象の意味も引き出さなくてはならないという。意味のない世界のために意味を見いだせ――これこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律なのだ。
 したがって、この近代以降の中心的宗教革命は、神への信心を失うことではなく、人間性への信心を獲得することだった。それには何世紀にもわたって懸命に努力を重ねなければならなかった。思想家は哲学や経済学の論説を書き、科学者は観測事実を精密な方程式にまとめ、芸術家は詩を作り交響曲を作曲し、政治家は取り決めをまとめ、彼らの知力を総がかりにして、近代以降の人民に数世紀をかけて、森羅万象には意味があると確信させることに成功した。

R・リーキー 『ヒトはどうして人間になったか』(岩波現代選書)2/2

 第7章 最初の豊かな社会

 200万年くらい前の初期人類は、日常口にする食糧としては植物、卵、はちみつ、シロアリ、アリ、穴住性小動物など、今のチンパンジーとよく似たメニューを持っていた。チンパンジーと違うのは、初期人類は毎日の組織的食糧調達の最中には採集したものを口にせず、キャンプのような場所へ運んで行って母親と子供がそろって食べたことである。
 食習慣でのこの最初の変化が起きたことで初めて肉が重要となり、その時点で男がやっと社会構造の中に密接に組み込まれることになった。採集仮説の主たる強調点は、人間は食べるために食糧を「集める」唯一の霊長類であって、狩猟をする唯一の霊長類ではない点にある。ヒヒとチンパンジーが、たびたびの攻撃的狩猟でくり返し演じる場面は、人類が1500万年前から400万年前まで行っていた場面と酷似している。しかし、どんなヒヒもチンパンジーも食糧を採集して住処まで運搬するようなことは決してない。

 第8章 知能、道具、社会

 p196-8

 人間の知能が認知する外界特性の一つは、時間の経過である。外界に起こった出来事を真に知覚するには、出来事についての情報分析の中に時間の感覚が導入されていなくてはならない。
 われわれは、列車が駅を離れるのであって、その逆ではないことを知っている。また恒常的なのは外界であって、われわれではないことも知っている。少なくとも5歳か6歳を過ぎるとこのことが分かる。しかし類人猿はどうだろうか。

 最近までこの問いに対する答えはノーだった。だがスタンフォードの大学院生ペニーと彼女の「話をする」ゴリラ=ココとの会話を知ると、われわれの確信は揺らいでくる。ココが怒って彼女に噛みついた後三日してから、ペニーは(記号言語で)ココに訊いた。「お前は私に何をしたの?」ココは「噛む」と答えた。「お前はそれを認めるのね」とペニーは続けた。ちょっと後悔した様子でココは「噛む、引っ掻く、すみません」と言った。そこでペニーはなぜかみついたのかと訊ねた。「気が狂っていたから」という答えが返ってきた。「なぜ気が狂ったの」と訊き「知らない」の返事で会話は終わった。

 この会話はココがしばらく前に会った事件と感情に言及している点で注目すべきである。ふだんのココは自分のよくない行為の直後に、そのことを話すのを拒否する。しかし今の例では三日前に起こったことについて語ったのである。ココがどんな時間意識を持っているかを想像するのは難しいが、このような偶発事をとおして類人猿の時間感覚を垣間見ることができる。
 何年か前NHKテレビで見た番組を思い出した。中央アフリカチンパンジーに「明日あそこにあるバナナをもいでここにもってきなさい」と指示しても、チンパンジーには「あした」が伝わらなかったが、同地のボノボはよくそのことを理解し、ちゃんと翌日バナナを観察者のところにもってきた。

 p213-4

 誰でも知っているように、チンパンジーはきわめて利口である。大学生が首をひねるような迷路の問題でも正しい道順を探す出すし、豊富なコードを使ってコンピュータと対話することもできる。標準的心理試験では人間の得点範囲に達する。ゴリラもオランウータンも同じである。

 英米の人類学者たちは、これら類人猿の知能の高さはアリ塚からアリを誘い出す道具作りといった技術的目的よりは、社会的な目的のために進化したと考えている。その根拠は以下のようなものだ。
 チンパンジーたちの群れは動的である。群れの直面する実際問題も社会の雰囲気もつねに変化している。現実の自然界はある程度予想ができる。そこに住む彼らの個体ごとの気まぐれな行為に比べれば、確かに自然界の方が規則的である。広い地域に分散した多様な食糧源を開発するにはもちろん相当な認識力を必要とするが、大きな群れの中で社会的同盟関係を作り、それを維持し、行動を予測できない仲間と交流するのに要する知的圧力に比べれば、食料問題に要する認識力は大したことではない。
 複雑な社会組織を持つチンパンジーや人間の行動のように、変化してやまない不確実性を処理するのに要する智慧は大変なものである。

 しかしそのチンパンジーでさえ、アリ釣りの技術で大量捕獲したシロアリはその場ですべて食べ尽くしてしまうことしかできなかった。一方、200万年前、チンパンジーたちとともにアフリカにいた猿人たちは、狩猟・採集の収穫物を粗末な運搬袋でバンドに持ち帰り、そこで仲間たちと分け合う互恵的な食糧分配経済を確立しようとしていた。

 やや極端な例だが、互恵的利他主義とは次のようなものである。誰かが川で溺れているのを見つけたら、あなたが泳げるなら助けに飛び込むだろう。もちろん飛び込む瞬間にはそんなことを考えていないだろうが、いま溺れる人を助ければ、将来あなたの生命が脅かされたとき、かつて助けた人が恩を返してくれることを期待するだろう。互恵的利他主義は、恩はだいたい同程度に返される、つまり「なさけは人のためならず」という暗黙の前提の上に成り立つ。このような観点は利他主義から隣人愛という美徳を取り去るように見えるが、ある意味で利他主義は利己主義なのである。(p176)

 p215-6

 互恵的利他主義が個人に与える潜在的利益は大きいから、この感情はずいぶん昔に人間の心の中に芽生えたはずである。互恵的利他主義を維持するためには、たとえば必ずしも近い親族でない人に好意を払うことが必要である。あまり親しくなかった人に好意を払われたその人は、当然のこととしていつかお返しをしようとする。ところがお返しを拒む人がたまに現われる。現代の狩猟採集社会では、このような「不公正」をする人に対しては周囲の人びとの道徳的攻撃感情が爆発する。まず一切の利他主義がその人に対して停止される。そしてその人は孤立して罪悪感にさいなまれる。

 同情と感謝の気持ちもまた互恵的利他主義の基礎にある。困っている仲間を見ると気の毒だと思う、そして苦しみがひどいほど憐れみの念は深くなり、ますます助けてあげなければと思うようになる。苦境から救われた人は、助けてくれた人に感謝の念をいだく。これが将来恩返しをしようという心理的動機になる。

 一度、互恵的利他主義の組織が社会的動物の中に定着すると、この組織はたちまち高度に複雑化するだろう。言語を用いてコミュニケートする人間の場合はとくにそうだったと思われる。自然淘汰という無意識のなかだから、当人にはまったく悪意なく、利他主義で「いんちき」をしようとする個体が何人か出てくる。この人たちは与えるものよりも余計にもらおうとして、偽の道徳的攻撃、偽の罪悪感、偽の憐み、偽の感謝を表明しただろう。そしてこのような状況は少なくとも短期的にはそのひとに生物学的に有利にはたらいたはずだ。

 しかし自然淘汰の圧力は、そのいんちきが長期的には破綻するように働いただろう。いんちきは安定した自然秩序の前には必ず綻び、いんちきを(もちろん当人はまったく無意識に)看破する個体を必然的に生み出す。こうして「だまし」と「見透かし」のゲームが始まり、嫌疑と信頼という新たな感情が生まれる。

R・リーキー 『ヒトはどうして人間になったか』(岩波現代選書)1/2

 著者リチャード・リーキーは1972年に東アフリカ・トゥルカナ湖畔でホモ・ハビリス(ハビリスとは「器用な人」の意味)の化石を発見したルイス・リーキーとメアリー・リーキー夫妻の二男。人類最古の時代についての両親のいくつかの大発見をもとに、そこに自分の最新の研究成果も加えて、東アフリカにおける最古のヒト科動物の生々しい資料を一般読者向けに詳細に語っている。
 もっとも最終的な文章は共著者のジャーナリストであるロジャー・レウィンが書いているようで、そのジャーナリスティックな筆致が一般人にとって本書をとっつきやすくしている。

 第6章 古代の生活様式

 p121-2

 アフリカ南部、ホッテントットの一部族であるクン族は、狩猟採集民のほとんどがそうであるように、男が狩りをする一方で、女は堅果類や根茎類や青物など、その季節の中でいちばん美味な食料を採集している。平均的には、大人は一週間に12時間から19時間ほど働くのだが、食料を求める時間としてこれは多い時間とは言えない。少女は15歳あたりで大人の生活を始めるが、少年は少なくとも20歳になるまで大人の世界に足を踏み入れることがない。60歳に達すると彼らはふつう「隠居」し、尊敬されて余生を送る。つまりクン族の社会では、子供と老人は緊張と義務から解放されている。

 早くて15歳から労働生活が始まり、60歳には終わり、その間平均して日におよそ2時間半の労働をするというこの社会は、いったいどのような社会と考えればいいのだろうか。有限な欲求が最小限の努力で満たされる、本質的に豊かな社会という人は多いだろうが、少なくとも、たとえばホッブズが言ったような不潔で、不愉快な、欠乏している社会とは言えないのではないか。

 クン族はサバンナの木立の中で育つモンゴンゴの実を主食としていつでも採ることができる。彼らは日に平均して300の実を食べるが、それには米1100gに相当する栄養分が含まれており、同時に牛肉400g相当の蛋白質が含まれている。それを思えば彼らが私に「世の中にこれほどモンゴンゴの実があるのに、どうして(農業のように)種を蒔かねばならないのか」といったこともよく分かる。毎年、彼らは数千キロの実を集めるが、それ以上の量が、地面に落ちて腐っていくのだ。それほど彼らは「豊か」なのだ。

 p141-2

 クン族のキャンプの正確な構成人数は、場所によって違うが、およそ25人である。25がこうした狩猟採集民の大半にとって平均的な数であり、重要な数らしい。おそらく25人は、最終と狩猟の混合した独特の経済を運営する上で――適当な領域の中で互いに協力しながら食料を獲得する上で――最適な人数なのだろう。

 またこの25人のキャンプの上位にある、人類学者がしばしば方言部族と呼ぶより大きな集団は、世界の多くの異なる地域で調査してもだいたい500人程度である。部族は、技術的に未開な民族について、その社会構造を人為的な単位に分けて分析したがる人類学者が、勝手に作り上げたものではないのだ。未開人自身も方言部族を十分認識しており、帰属意識がかなり強いことが多い。その認識の表面的な印は服装とか身体装飾の様式とかいろいろあるが、なんといっても特有の言語、つまり方言である。だからこそこの500人を方言部族と呼ぶのである。

 部族の役割は、ほぼ男女同数となるのに十分な人口を構成することにあるように思われる。経済活動の基本が家族であり、採集狩猟のための基本的集合がバンドであり、部族はバンドが機能できる最小の生殖集団である。

 仮に25人のバンドでは、結婚可能な年齢に達した若い男性が適当な年齢の女性を見つける機会はかなり少ないだろうし、たとえ適齢の相手がいても、彼女はほぼ確実に近親だろう。近親相姦は人間にとって最大のタブーの一つである。となると、それを避けるための唯一の方法は、よそで相手を見つけることだ。

 アメリカの人類学者ウォッシュバンが婚姻のための基本的集団の大きさを算出したことがある。バンドの平均規模、子供の男女別出生率と死亡率を勘案し、近親相姦回避の必要度をもとにして考えた場合、結婚適齢男女をほぼ等しい割合に確保するには、何人の人口が最低必要になるかを計算したのである。もちろん答えは500となった。採集狩猟民ははるかの大昔から、コンピュータに頼ることなく正しい解答に到達していた。つまり進化の圧力という刃は、長い間に最も効率的な体系を切り取って彼ら自身に与えていたのだ。

養老孟司・茂木健一郎 『スルメをみてイカがわかるか!』(角川新書21)

 例えば絆(きずな)という言葉がある。広辞苑の少し古い(第4)版には、第一義として<動物を繋ぎとめる綱>とあり、第二義として<離れがたい情実、ほだし、係累>とある。しかし21世紀に入って以降は第一義の意味で使うことはほとんどなくなり、とくに2011年の東北大災害以来、メディア上では<離れがたい情実>が第一義となって、<押しつけの連帯感>のニュアンスがつけ加わってきた。その結果、他人とのむやみな連帯よりは自己や自家族の独立・自由を好む私にとって、「絆」は同調圧力を感じさせるいやな言葉に変化してしまった。
 この本では、こういうことが起きるのは、脳の神経細胞が、個体が生きている限りは不眠不休で働いていることの必然的結果であると説明されている。

 p167-70

 脳の神経細胞は、一見脳が休んでいるように見えるときでも、ごろ寝をしてぼんやりしているときや、ぐっすり眠りこんでいるときでさえ、活動し続けている。この神経細胞の活動を脳の自発的な活動と呼ぶ。このときの活動レベルは、積極的な活動時に比べれば、むろん低い。それでも、脳の神経細胞は本人が生きている限り完全に停止することはない。

 神経細胞が自発的に活動することの意味は、現在の脳科学でも十分には解明されていない。どうやら、脳というシステムは何もしていないように見えるときでも神経細胞がある程度の自発的な活動をしなければ十分な機能を発揮できないらしい。脳は、眠っているあいだも続けられる無意識の自発的な活動の中で、つねに内部の神経細胞の結合パターンを変更していくシステムなのだ。
 この神経細胞間のシナプスの結びつきが刻々と変更されていく中で、次第に、人間の記憶も編集・整理されていくと考えられる。

 記憶には大きく分けてエピソード記憶意味記憶がある。エピソード記憶とは、「あの時あの場所であんなことがあった」という、具体的なエピソードの記憶である。いつ・どこで・何が、という三つの要素が結びつきあった形で、過去にあったイベントが脳の中に記憶として定着することである。
 いっぽう意味記憶とは、いつ、どこで、という限定を離れて、普遍的、一般的な形で「意味」が記憶されることである。たとえば「あたたかい」という言葉を、それがいつどこで使われたというエピソードとしてではなく、その意味するところとともに記憶するのが意味記憶である。

 人間の脳の中では、さまざまなエピソード記憶が時間をかけて意味記憶に編集されていくプロセスが進行しているらしいことが分かっている。このプロセスはfMRI(機能的磁気共鳴画像法)をもちいた最新の研究によれば、10年、20年の単位で進行するらしい。

 人間は、その体験するさまざまな出来事に中に「意味」を読み取る。これらの「意味」は最初から一般的なものとして与えられているわけではなく、人生の中で出会うさまざまな具体的な出来事(その人にとってのエピソード)の中から、次第しだいに抽出されていくものである。人間の脳は、具体的なエピソードから、次第に意味を編集していく、驚くべき能力を持っているらしいのである。

 その編集のプロセスを意識したり、コントロールしたりできる人はどこにもいない。エピソード記憶から意味記憶への編集過程は、人間の意識によってコントロールされることなく、脳の中で密やかに進行している。この無意識の編集過程こそ、人間の脳の行う最も重要な機能である。この無意識の過程があってこそ、100人が一つに事象にたいして100通りの反応を起こすのだといえる。

 冒頭にあげた「絆」という言葉で言えば、私の脳の中で<(母と子を結ぶ関係性のような)動物を繋ぎとめる綱>という昔ながらの単純な意味記憶に、メディアの24時間365日災害報道大合唱というエピソード記憶が加わって、記憶が再編集されたということである。

 

杉浦明平 『小説渡辺崋山』(朝日新聞社)

 私たちが「渡辺崋山」に対して持っている高校生の受験日本史的な知識はどのあたりが平均点だろうか。江戸後期の武士であり有名な画家だったが、晩年は高野長英らとともにヨーロッパ列強との融和・通商の必要を説いた。しかしその開明性が幕府保守派の怒りに触れ、水野越前守―鳥居耀蔵らのラインによって蛮社の獄につながれ悲惨な最期を遂げた・・・。

 この受験日本史的な知識では、なぜ長英と崋山らが開国の必要を説いたのか、水野―鳥居らはなぜそこまで激怒したのかが分からない。崋山らは御時勢に逆らってひどい罰を受けたわけだが、ではいったい彼らは生きた御時勢とはどういうものであったのか、時の将軍・老中・大名はどんなことを日常考え、農民・庶民はどんなものを日ごろ食べ、しゃべり、大商人と上層武家のあいだではどんな駆け引きが毎日あったのか・・・。

 文庫版では8巻本になるというこの長編『小説渡辺崋山』では、文化・文政・天保時代の日本のほとんどすべての階層の日常生活が、丁寧に、肩をいからせない文体でゆっくりと語られる。死んだ母親の頬肉を食うという飢饉のときの農民の悲惨さ、一幅の山水画に千両の値をつける谷文晁の傲り、飢饉のさなか一日千斤の砂糖を消費するという江戸城御殿女中の退廃、崋山がいったん訴追されると、昨日まで稀代の名画伯とたたえたその墨も乾かないうちに「あの人は過激派だと思っていたと」囁き合う尻の穴の小さい画壇仲間たち。

 渡辺崋山は愛知県の南部、わずか12000石の小藩・田原藩の家老を務めた、きわめて清廉、実直な男だったとされる。そのことは残された親しかった弟子・椿椿山作の肖像画からも彷彿されるが、一度かれは家老として、藩内諸役人の勤務モラルのあまりの低さを正すべく、俸給制度を万古不易と思われた禄高給から能力給に大改革しようとしている。ただ、藩内守旧派の猛反対にあいながらも一応殿さまのOKもとったのだが、ときは天保大飢饉の真っただ中。優秀な人間に能力分を上乗せしようとしても、それではもともと現在の生活保護世帯レベルの者たちの給料を減らさなければならず、実行はとうてい不可能だった。

 なお崋山は個人的には人並みかあるいはそれ以上か、女性のことを大好きだったらしい。が、それは当時の風俗一般であり、別に目くじらを立てることではない。

 それはそれとして、ここに登場する人物の多士済々なこと。有名どころだけをあげても、徳川家斉、水野出羽守、水野越前守、林大学頭述斎、述斎の4男鳥居耀蔵、述斎の弟子松崎慊堂、水戸斉昭、頼山陽緒方洪庵、谷文晁、滝沢馬琴、高田屋嘉平、江川太郎左衛門高島秋帆間宮林蔵伊能忠敬国定忠治二宮金次郎、大倉永常、太田南畝、十返舎一九大塩平八郎・・・・、きりがない。これらの面々がこの小説の中に、平凡な言い方だが、私たちが直接付き合った人のように動いている。ひとが生き生きと動いているから、170年も前の時代が現場感をもっている。
 その170年前の時代、攘夷派たちはこんなことを考えていた。水戸藩士であるのに崋山に共鳴するところのある立原杏所は言う。ともかく水戸は殿様も家中のものも西洋嫌いに生まれついているのですよ。オランダ人は流派はちがうけれども、邪宗門の同類で牛豚の肉を食らい、妾を禁じ、横文字を使用することでは共通だ。畜生の肉を食らうやつらは、血や肉が、ひいては精神も同じになる・・・。」崋山はくすくす笑った。「ぼくは牛肉を食べるから、畜生なみかな。慊堂先生も述斎先生と同じ儒学者なのに、牛肉をお好きだからやっぱり大学頭様とは合わないのでしょうね。

 杏所またいわく、それに、斉昭の殿さまによれば妾を禁じるとは子孫を残すべき人間の道に反する畜生道。横文字を書くとはまぎれもなく心がまっすぐでない証拠だそうです。オランダを追っ払って近年流行しておる蘭学を禁制にせにゃいかん。諺にもわが仏こそ尊しと言うように、だれでもその先師を尊いと思うのは自然の勢いである。蘭学者は今に邪宗門までもよいと言い出すのではないかと心配しておる。オランダ人を追放し、蘭学を禁制しようとも、この神国の人が、禽獣同様の西洋人に及ばぬはずがない。最近ではエレキテルとかマグネットとか役にも立たぬ枝葉末節の遊びごとで人民をたぶらかすだけで、百害あって一利なしじゃ」だそうです。(下巻p260)

 一方そのころ、林大学頭述斎の邸宅では述斎と、目付に大出世した4男鳥居耀蔵が密談している。「崋山はなかなか深いたくらみをしていますぞ」と鳥居。「今度それがしが仰せつかった相州沿岸検分の副使・江川太郎左衛門が西洋かぶれなのにつけ込んで、オランダ式測量を採用させたそうです。それによってオランダの学問技術が日本在来のものよりはるかに優秀であることを見せびらかそうという腹です。いや、学問だけでなく、兵器や兵制まですっかり西洋式に変えてしまうのが最後の目標なのですぜ。田原藩下屋敷でひそかに西洋式大砲の試験をしたらしいと、われわれ監察方に情報が入っているくらいです。監察方としましては、かかる横議や人心の擾乱を放置するわけにはできませぬから、その黒幕の探索に取り掛かっています。いやすでにその者の線は浮かんできているのですがね。」(下巻p307)

 尻の穴の小さいのは画壇の仲間だけではなかった。「崋山の家には欧米諸国の新知識を求める旗本や諸藩の重役がよく顔を出して、いずれも崋山を先生と呼んでいたけれども、いったん崋山が訴追され、時の首相・水野越前守が捜査の総指揮ををとっていることが分かると、江川太郎左衛門ら数人を除いて、崋山助命にかかわる周旋依頼に対して彼らは迷惑千万という表情で、いかに訴えても取りあわなかった。牢内の崋山は、12年後に彼の肖像を描いた椿椿山からそういう報告を受けるまでもなく、公儀の役人がどんなに臆病であるか、いろんな交渉事を通じて心得ていた。あれほど賄賂に目のない連中なのに、容疑者の親類友人からは菓子折りひとつ受け取らないだろう。まして天下の罪人の救援に指一本貸すはずがないではないか」というわけである。(下巻p522)

 ・・・・その後、因果はめぐりめぐって、崋山没後100年、愛知県田原市には渡辺崋山神社が建立され、崋山顕彰会なるものがこしらえられたという。いやはや。

 

アラン・シリトー 『土曜の夜と日曜の朝』(新潮文庫)

 いわゆる悪党(ピカレスク)ロマン。しかし主人公アーサーは悪党ではあるが犯罪者ではない。第二次大戦終わって間もないのに今度はアメリカとソ連が怪しくなる。モスクワに水爆が落とされてなにもかもおさらばになっちゃかなわない。その前にしがない人生をめいっぱい楽しみ、世間を片っぱしから壊そうと決めたアーサー=労働者階級若者の心理の成り立ちと成り行きが300ページいっぱいに書かれている。

 アーサーにとっては、「ばかげた法律なんてものは、おれみたいなやつにまんまと破られるためにある」もので、だから彼は顔が青くなるまで嘘をつき続け、悪くない頭を使ってずるくたちまわることを唯一の武器として、高賃金の工場と、週末ごとに倒れるまで飲む居酒屋と、同僚の女房の寝室の間を懸命に駆け回る。そしてとうとう寝取られ同僚に妻とのことを嗅ぎつけられ、軍隊上がりの大男を二人も差し向けられて半殺しの目にあう。

 しかしアーサーは母親思いで、幼い子供達にも優しい。読者に憎まれる札付き不良としては描かれていない。一度は国政選挙のとき、まだ選挙権がないのに父親の投票権を持ち出し共産党に票を入れている。しかも「組合集会に出ろとか、ケニアでの英軍の横暴に抗議」しろとかばっかり言って、肝心の賃上げには臆病な組合幹部には反感を抱いている。

 要するにアーサーは、自分の目に触れる範囲のあらゆる社会的な権威と束縛に本能的に反抗しているわけで、この反抗はなんら意識的なものではないし、自分がどういう規準にのっとって何に反抗しようとするのかについて自覚的ではない。

 シリトーはこんなアーサーの無鉄砲ぶりを、ただ目に見える行動だけを通して身体的に描いていく。だから読者には、一体シリトーが描こうとするものが何なのか、だいぶ考えないとわかりにくい。解説を書いた河野一郎氏は「アーサーの怒りの源泉は福祉国家イギリスの持つ矛盾に対しての漠然とした腹立たしさだろうか」と述べているが、それでは多分曖昧すぎる。

 20世紀前半までの工場労働者の生活――アーサーの父親までの家庭経済はひどいものだった。タバコも切れがちで、家族旅行など夢でしかなかった。でも父も母も、自分たちの階層はそんなものだと観念して、日ごろの憤懣は息子のように暴力的にはならなかった。
 戦後になってそれが変わった。アーサーは自分が幼いころの父と母の生活苦を知らない。今はふつうに働けば中古車だって買えるし、彼のクローゼットには優に100ポンド分はあろうかという上等な服がずらりと並ぶようになった。
 これは明らかに国の福祉政策のたまものなのだが、彼の身体はそれに感謝を感じない。感謝のかわりに、たまに上等の服を着られるようになっただけ、逆にアーサーはそれ以上には決して上昇させない社会の階層性に激しく苛立つようになってしまったのだ。日本の若者が決して見せない階層としての苛立ちである。