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井筒俊彦

井筒俊彦 『読むと書く』(慶応大学出版会)2/2

コトバの意味――たとえば日本語の「花」を取り巻く情緒の重なり合いについて p315−9 常識に属することだろうが、一つの単語には音的側面(シニフィアン)と意味内実的側面(シニフィエ)がある。言葉の意味とはなんであるかを考えるとき、ある単語のシニフィ…

井筒俊彦 『読むと書く』(慶応大学出版会)1/2

イスラム教における啓示と理性 p65−73 イスラム教のことが報道されるとき、宗教としての内容が発生当時とは歴史的に大変化していることに、TVや新聞は触れていません。たとえば同じ東洋の宗教でも、仏教などは大乗仏教と小乗仏教を混同して話す人はまずない…

井筒俊彦 『アラビア哲学』(慶応大学出版会)

1993年、78歳で亡くなった著者が35歳のときの著作。世界的宗教学者のごく初期の論文だが、のち『意識と本質』や『イスラム思想史』の中核部分となるイスラム神秘主義と、それが西欧スコラ哲学に与えた深甚な影響などが、すでにこの中にとても分かりやすく示…

井筒俊彦 『コーランを読む』(岩波現代文庫)2/2

イスラームの宗教性を支える「存在の夜」の恐怖 P323-5,332-4 イスラームの宗教性を底辺部分で支えている一種独特の世界感覚なるものを考えてみますと、「存在の夜」という形象が浮かんできます。『コーラン』の奥底のほうには、近代人なんかには想像もつか…

井筒俊彦 『コーランを読む』(岩波現代文庫)1/2

イスラムの聖典『コーラン』を通じて、古典を読むことにともなう「解釈」の問題性と可能性を突き詰めようとした本である。いうまでもなく、井筒俊彦は岩波文庫3巻に『コーラン』を訳出したイスラム学、宗教学の世界的泰斗である。 「日本人にとって『コーラ…

井筒俊彦 「哲学の崩落と崩落の崩落」

p185 「創造」が深刻なアポリアをはらむということ。 「創造」とはある特定の時の一点において世界が存在し始める、それまで「無」であった世界が「有」に転換するということである。「創造」をよそにしては、ユダヤ、アラブのセム一神教は宗教的にも哲学的…

井筒俊彦 「イスラーム思想史」 4

無気力な大衆の教化をあきらめ、同時に、不徹底な聖典解釈によって大衆をまどわす神学者を傲然と見下すアヴェロイス。12世紀の彼にできなかったのは多分、井筒俊彦氏が行なった次のようなことだけだった。 現代の物理学・分子生物学・人類学・心理学等を動員…

井筒俊彦 「イスラーム思想史」 3

十二〜三世紀、新プラトン派とは別に、西欧キリスト教哲学に深甚な影響を及ぼした第一級のイスラーム思想家に、当時イスラムの支配下にあったスペイン・コルドバのアヴェロイス(=イブン・ルシド)がいる。彼の手になるアリストテレス注釈のほとんどは、発…

井筒俊彦 「イスラーム思想史」 2

p221−4 九世紀から約二百年をかけてイスラーム思想に移されたアリストテレス哲学の体系には徹底した新プラトン的解釈がなされた。それは翻訳者の中心がネストリア派シリア人たちであるという、いわば地政学上の必然によったものだったが、彼らの翻訳事業は…

井筒俊彦 「イスラーム思想史」 1

P14−24 アラビア人は、どんな微細なものにも、一々特色のある名をつける。例えばサンスクリットに典型的に見られるような、共通の要素を基とし、それに他の要素をいろいろ組み合わせて新しい語を作る、いわゆる合成語は、個物を絶対的に尊ぶアラビア人の精神…

井筒俊彦 「イスラーム生誕」

p120付近 「イスラーム」とはアラビアでは長い歴史を持つ言葉であって、ムハンマドが初めて使い出した言葉ではない。元来の意味は、人が自分の大切な所有物を他人に渡してその自由処理に任せるということだった。それをムハンマドが宗教的次元に移して使った…

井筒俊彦 「意味の深みへ」

p77−8 人間の経験は、いかなるものであれ、言語的行為であろうと、非言語的行為であろうと、すなわち、自分が発した言葉、耳で聞いた他人の言葉、身体的動作、心の動き、などの別なく、必ず意識の深みに影を落として消えていく。たとえ、それ自体としては、…

井筒俊彦 「意識と本質」 5

p273 「神以前」の無から出発する(ユダヤ的マンダラとも言える)セフィーロート体系はそのまま外に進展して世界を構成していくのではなく、むしろ内に向かって、神の内なる世界を構成していく。つまり神自身を内的に構造化する。セフィーロート体系の有機…

井筒俊彦 「意識と本質」 4

P207 一つの「元型」は、顕現の形態が文化ごとに違うばかりでなく、同一文化の圏内においてさえ、多くの違ったイマージュとなって現われる。われわれは、自分自身の深層意識領域に生起するそのような複数のイマージュ群の底に、一つの「元型」的方向性を感得…

井筒俊彦 「意識と本質」 3

P136 ここ、目の前に一本の杖があるとする。絶対無分節の存在リアリティーは「いまここでは」杖として自己分節している。だが、それは杖であるのではないと禅は言う。「本質」で固定された杖ではない。ほかの何でもあり得るのだ。(この禅的存在風景の中では…

井筒俊彦 「意識と本質」 2

P109 原子論者たちは徹底した偶然主義の立場をとる。存在界を完全な偶然性の世界と見る。経験界の一切の事物を、もはやそれ以上分割できないところまで分解し、それら相互の間に、したがってそれらの複合体も含めての経験的事物の間に、時間・空間的な隣接以…

井筒俊彦 「意識と本質」 1

「あの人の本性は一体何か」、から、「生命とは何か、神とは何か、貨幣とは何か」、まで私たちはそれらの「内部にあるように見える」モノについて見極めようとする。いわゆる「本質」を見ようとする。しかしその「内部にあるように見えるモノ」は決して物質…

井筒俊彦 「イスラーム文化」

P32-34 イスラームは原則的に聖と俗の区別を立てない。このことは人間生活のいわゆる世俗的な部分まですっかりコーランのテクスト解釈によっていることを意味する。だから政治も、法律もそのまま宗教なのである。イスラームにおいては、宗教にかかわることが…