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内田 樹

内田 樹『街場の読書論』(太田出版)2/2

p198-201 トクヴィル『アメリカの民主主義』 ポピュリズムについて述べる中でトクヴィルは、二度も大統領に選ばれたアンドリュー・ジャクソンを、ワシントンで彼に会見したあと、痛烈に評している。 「ジャクソン将軍は、アメリカの人々が統領としていただく…

内田 樹『街場の読書論』(太田出版)1/2

p31 難波江和英『恋するJポップ』 ライトなタイトルとは裏腹に、奥行きの深い論考である。とくに「Jポップの歌詞には自と対峙し続ける他者が存在しない」という指摘は鋭い。 Jポップでは、コミュニケーションも自由も未来も、すべて「欠如の感覚」で歌われ…

内田 樹 『もう一度 村上春樹にご用心』(ARTES)2/2

村上春樹だけが、「時代が激しく欠いているもの」を書く。 p124 鋭敏な作家は、彼の時代に過剰に存在しているものについてはあまり書かない。書いても仕方がないからだ。拝金主義的なサラリーマンを活写しても、情緒の発達が遅れた非常識な青年たちの日常を…

内田 樹 『もう一度 村上春樹にご用心』(ARTES)1/2

村上は、「政治的弱者」ではなく、「本態的に蝕まれた人」を書く。 そのことが村上を世界的作家にしている。 p47 2009年、エルサレム賞の受賞スピーチで村上春樹は反骨の気合の入った有名なスピーチをした。私・内田がもっとも注目したのは(その後繰り返し…

内田 樹 『一人で生きられないのも芸のうち』(文春文庫)

イスラム原理主義者はニッポンをバカにしている P35−6 私は以前、どうして日本ではイスラム原理主義者のテロが起こらないかについて考えた。そのときに、日本でテロをしたら「テロリストから村八分にされる」からではないかという推理をしたことがある。なぜ…

内田 樹 『こんな日本でよかったね』(文春文庫)

校長先生の朝礼の話や来賓の祝辞が面白くない理由 p48-9 面白い話というのは、一言でいえば、ひとつの語を口にするたびに、それに続く語の「リストが豊富」であり、しかも筋道が意外な「分岐」をする話のことである。 「リストが豊富」とは、「梅の香りが」…

内田 樹 『態度が悪くてすみません』(角川新書)

p47 コミュニケーション失調症候群 神戸女学院大学の教員である私・内田の発言や行動には「ハラスメント」とみなされる類のものが少なくない(という方が多い)。にもかかわらず、私はいまのところ女子学生から告発されそうな事態に陥ったことがない。 「だ…

内田 樹 『私の身体は頭がいい』(文春文庫)

学校体育は身体の感受性を育むことができるか p195−7 (いつものように、体育会系の人に嫌われる言い方をあえてすれば、)身体能力開発の本義は、外部から到来する邪悪なものから身を守るための訓練のことである。 ライオンと出合ったときに、それを殴り殺…

内田 樹 『街場の現代思想』(文春文庫)

いくら英才教育しても、自分の子を「生まれつきの文化貴族」にはできない p22-33 文化資本には、「家庭」において獲得された趣味や教養やマナーと、「学校」において学習した獲得された知識、技能、感性の二種類がある。 家の書斎にあった万巻の書の読破と…

内田 樹 『子どもは判ってくれない』(文春文庫)2/2

幻想は「兌換できない紙幣」ではない p130-8 多くの知識人がおっしゃっている。「母性愛というのは近代の父権制の下で、女性を家庭に緊縛するために発明された幻想である」と。 話はそれほど簡単だろうか。国家は幻想であると断言する人も多いが、その人も…

内田 樹 『子どもは判ってくれない』(文春文庫)1/2

論説委員はだれに向かって書く? p10 イラク戦争のとき、朝日新聞の社説は「米軍はバグダッドを流血の都にしてはならない。フセインは国民を盾にしてはならない」と書いた。 この文章はまったく正しい。まったく正しいけれど、いったいこの文はだれに向かっ…

内田 樹 『昭和のエートス』(文春文庫)2/2

なぜ私たちは労働するのか p131 新卒で入った会社を三年で辞め、「やりがい」を求めて、離職転職を繰り返す若者たちは、「クリエイティブ」で「自己決定・自己責任」の原則が貫徹していている会社、個人的努力の成果を誰ともシェアせず独占できる仕事、に就…

内田 樹 『昭和のエートス』(文春文庫)1/2

私的昭和人論 p19-21 敗戦のときすでに40歳を超えていた人々には、それ以下の世代にあった「敗戦によって自分がぽっきり折れる」ような断絶感はめったに見られない。知識人でいえば丸山真男や埴谷雄高や小林秀雄や加藤周一のような人である。敗戦は、それ…

内田 樹 『おじさん的思考』(角川文庫)

「内面」と近代文学 p201-3 文学史の教えるところでは、「内面」というのは明治文学の輸入品であり、それ以前の日本人の手持ちの概念に「内面」などというものは存在しなかった。 高橋源一郎(や柄谷行人も)が言っていることだが、たとえば次の芭蕉の紀行…

内田 樹 「知に働けば蔵が建つ」(文春文庫)2/2

改憲論 p146 私・内田は憲法九条と自衛隊の併存という「ねじれ」を、「歴史上もっともうまく機能した政治的妥協」のひとつだと考えている。 その「ねじれ」がつづいた戦後六十年間、わが国の兵は一度も海外で人を殺傷することなく、領土が他国軍によって侵…

内田 樹 「知に働けば蔵が建つ」(文春文庫)1/2

ニートの世界は「意味のあること」に満たされていなければならない p31-2 「勉強も仕事も、なんか、やることの意味がよくわからない」と、ニーとは言う。問題は「意味」なのである。 「意味が分からないことはやらない」――これが私たちの時代の「合理的に思…

内田 樹 『死と身体』(医学書院)2/2

p159−62 「殺人はなぜいけないのか」と問う人間 だいぶ前ですが、テレビ番組で、ある中学生がそこにいた知識人に向かって、「どうして人を殺してはいけないのですか」と質問したところ、誰もそれに対して納得のいく答えができなかったということがありまし…

内田 樹 『死と身体』(医学書院)1/2

P17−8 統合失調症の原因の一つは、母子間のメタコミュニケーションの不調にある 私たちはふだんコミュニケーションの現場で、メッセージのやり取りと同時にメッセージの解読の仕方のついての「メタ・メッセージ」のやり取りをしている。 メッセージとメタ・…

内田 樹 「街場の文体論」(ミシマ社)2/2

僕たちは知らずにエクリチュール(階層的に縛られた言葉)を使っている p121-25 「エクリチュール」というのは、ある言語の中における「局所的に形成された方言」のようなものと理解してください。日本語で言えば「大阪のオバちゃんの話し方」、「「やんき…

内田 樹 「街場の文体論」(ミシマ社)1/2

内田樹の神戸女学院大学での最終講義 「クリエイティブ・ライティング」を一冊にまとめたものである。人気教授の最終講義とあって、学外からの聴講者も多く、同僚教員も多数詰めかけて盛況だったらしい。 司馬遼太郎の美学は日本人だけのためのもの p98−100…

内田 樹 「街場のメディア論」(光文社新書)

「気づかない」ふりをする朝日の論説委員 p38・49 いま、ジャーナリストがはなはだしい知的劣化を起こしています。テレビや新聞の凋落の最大の原因は、インターネットよりもむしろジャーナリスト自身の知的劣化にあると僕は思っています。 数年前、朝日新聞…

内田 樹 「女は何を欲望するか」(角川新書)

p7 「言語は社会的に性化されている」というのは本当か フェミニズムは今ではもうメディアや学術研究の場での中心的な論件ではなくなっている。大学ではまだ教科書的に「ジェンダー・スタディーズ」が教えられているが、そのステイタスは一時期の「マルクス…

内田 樹 「期間限定の思想」(角川文庫)

邪悪なものが存在する p60−2 私たちの精神は 「意味がない」 ことに耐えられない。私たちの精神は、進化のいつかの時点で、「自分」のことを考えるようになり、「自分」と「世界」の関係性に気づいた結果、 「世界に意味がない」 ことに耐えられないように…

内田 樹 「映画の構造分析」(文春文庫)

『エイリアン』を読む p59 この映画を私は歴史的な傑作と評価しています。 それはこの映画が、成功した最初のフェミニズム映画として実に巧妙に構造化されているからです。主人公リプリー(シガニー・ウィーバー)は、白馬の王子様の救援を待たずに自力でエ…

内田 樹 「寝ながら学べる構造主義」(文春新書)2/2

レヴィ=ストロース かくしてサルトルは一刀両断にされた p144-150 私たちはみな固有の歴史的状況に「投げ込まれて」います。例えば私は日本人ですので、そのことだけを理由に旧植民地の人から「戦争責任」を追及されることがあります。 「私は知らない、私…

内田 樹 「寝ながら学べる構造主義」(文春新書)1/2

源流の一つはマルクス p25-32 構造主義の考え方が「常識」に登録されたのは一九六○年代のことです。構造主義というのは、ひとことで言うと次のような考え方のことです。 私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、そのことが私たちのも…

内田 樹・名越康文「14歳の子を持つ親たちへ」(新潮新書)

道徳という「フィクション」を作り直そう p24 内田 神戸の「酒鬼薔薇事件」でも佐世保の女子小学生の同級生殺害事件でも、「あれは化け物だ」とか、「誰しも心の中に邪悪なものがあるんだよ」みたいな、単純な性悪説を言ってみてもなんの役にも立たないです…

内田 樹 「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)

p101-3 コミュニケーションは「交易」と似ています。というか、ほとんど一緒です。コミュニケーションというのは、要するに、何かと何かを取り替えることです。そして交易の場合は、交換する側の両方が、相手側の差し出すものの意味が自分にとって未知であ…

内田 樹 小田島隆 平川克美 町山智浩 「9条どうでしょう」(ちくま文庫)2/2

小田島隆 新しい国家の条件 p164-7 実際の話、日本国憲法における「日本」が、主権国家の体をなしていないというのは、ほぼその通りだ。が、そもそも「主権国家」が十九世紀的な概念であることに思い至るなら、二十世紀の半ばに出発した人工的な国家である…

内田 樹 小田島隆 平川克美 町山智浩 「9条どうでしょう」(ちくま文庫)1/2

内田 樹・小田島隆・平川克美・町山智浩の「お友だち」四人が、憲法九条の改正問題について、対談ではなく、各人一人ひとりが思い思いに所論を述べたという、一風変わった構成の本である。(町山智浩は、見るべきものがなかったので割愛した。) 内田 「憲法…