アクセス数:アクセスカウンター

司馬遼太郎

司馬遼太郎 『アメリカ素描』 新潮文庫

巨大文明アメリカの中での様々な文化的側面‥‥WASP、犯罪の日常性、排日問題、ゲイ、多民族、清教徒感覚、弁護士社会、ウォール街・資本の論理‥‥が、あまり重苦しくなく語られる。 巻の終章に近いところで触れられる「アメリカ的善意」がフレッシュだった。ア…

司馬遼太郎 『風塵抄』 中公文庫

1986年から89年まで毎月1回、第一月曜に産経新聞に連載した短いエッセイ集。一回ごとの文章は短くても、連載が長期にわたるので、全部をまとめて一冊にして読むと、司馬の全身像がよく見えてくる。 数例をあげる。 ダーウィンは自然淘汰論を言ったが、京都…

司馬遼太郎他 古代日本と朝鮮

日本の中の朝鮮文化 黒潮と日本文化 岡本太郎 例えば伊勢神宮は、そもそも日本の皇室だけのものではないのではないか。沖縄のシャーマニズムと同じものなのじゃないのか。このあいだ式年遷宮をやったけれども、古い本殿の下には大きめの石ころだけがあった。…

司馬遼太郎 韓のくに紀行 朝日文庫

誰もが高校の日本史で習ったように、朝鮮半島には「百済」という国が紀元前後からあって、大化の改新の頃に亡んだ。その百済の南の方に任那という半独立国家みたいな地域があり、主に北九州地方と盛んに人的・物的交流をしていた。日本にも百済・任那からの…

司馬遼太郎 『翔ぶがごとく』 8 文春文庫

後半、田原坂などで決定的敗北に至る前の、動乱全体の帰趨を左右する「関ケ原」の三つの戦いが描かれる。1882年2月22日・23日の熊本城攻防戦と25日・26日の「高瀬の会戦」だ。 結局薩摩軍は熊本城を落とせず、かといって戦争全体の行方に影響な…

司馬遼太郎 『翔ぶがごとく』4 文春文庫

p116-120 幕末から明治の草創期、西郷の頭の中には「工業を起こす」という重要な視点が入っていなかった。 多くの面で西郷の師匠であった元藩主、英明な島津斉彬には、このことについての思想と抱負と政治的実績があった。斉彬はイギリスで勃興した産業革命…

司馬遼太郎 『翔ぶが如く』3 文春文庫

西郷隆盛の征韓論の基底には、ロシアの南下による北海道侵略への恐れがあった。ロシアは江戸時代の最末期にしばしば北海道周辺に現れ、艦載砲を撃ったりして威嚇している。 明治維新がなってからは、ロシアは西ヨーロッパでオーストリア、ドイツ、フランスな…

司馬遼太郎 「微光の中の宇宙(私の美術観)」(中公文庫)4

須田国太郎 p164 わが国の地理環境は色彩感覚の上で特殊といっていい。空気が素直に太陽の光を透さず、多くの場合、水蒸気が気色の色彩の決定に重要な要因をなしている。ヨーロッパなどの乾燥した地理的環境の国々とはまったく異なるのだ。 須田国太郎の『…

司馬遼太郎 「微光の中の宇宙(私の美術観)」(中公文庫)3

ゴッホ p129 ゴッホは精神病学の研究対象になったし、確かに精神病学はゴッホだけでなく、多くの天才の言動を追跡することによって、天才と狂気の類縁性を見いだしていた。天才にしばしば見られる精神病的傾向の指摘は、なかば常識化されているともいえる。…

司馬遼太郎 「微光の中の宇宙(私の美術観)」(中公文庫)2

空海 p75 われわれは、京都の教王護国寺(東寺)の仏たちを、ただの彫刻と見てさえ、その造形の異様さに、人間の空想力というものはこれほどまで及ぶのかと呆然とする。しかもそれが単に放恣な空想力だけでつくられたものでなく、その内面に緻密な思想があ…

司馬遼太郎 「微光の中の宇宙(私の美術観)」(中公文庫)1

p21 戦前から戦後にかけて、大阪などの油絵の塾は、学校とか塾とかは称せず「洋画研究所」という看板をあげるのがふつうだった。最初そういう看板を見たとき、なにか誇大表示に似た感じを受けた。絵具会社での化学としての研究所ならともかく、油絵の画塾が…