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小坂井敏晶

小坂井敏晶 『民族という虚構』(ちくま学芸文庫)5/5

生命に「意味」はない。再生産を繰り返し、死ぬまで生き続けるだけである。 その存在をどうするかはわれわれの自由にならない。 p282 「外部」がなければ「内部」は存在しない。この単純な理屈から言っても、<純粋な社会>の建設は原理的に不可能である。…

小坂井敏晶 『民族という虚構』(ちくま学芸文庫)4/5

近代人は、合理的人間なのではなく、「合理化する人間」と考えたほうがいい p132 心理学実験を行う研究者は、被験者に必ず「嫌ならいいですよ、強制する気はありません」と断わる。しかしその実験が、(たとえば焼いたバッタが美味かどうかというような)被…

小坂井敏晶 『民族という虚構』(ちくま学芸文庫)3/5

支配の真の姿は隠され続けなければならない p108-9 社会現象や制度は、人間が生み出したものであるのに、人間から独立して自立運動する。社会現象は人間どうしの相互関係から生まれるのに、それが総合されて客観的な外力として人間に迫る。 商品・制度・宗…

小坂井敏晶 『民族という虚構』(ちくま学芸文庫)2/5

虚構が生み出され、信じられてこそ、 無根拠な世界が円滑に機能する p56-66 「民族」という言葉が使用されるときは、その集団に綿々と続くなにかが存在しているという了解がある。民族が連続性を保つための、その「なにか」とは次の三つである。 (1) 個…

小坂井敏晶 『民族という虚構』(ちくま学芸文庫)1/5

性別・身長・教養・年齢・収入・皮膚の色・・・、 人間だけが「範疇化」できるから差別が生まれる p25 「混血」という言葉があるが、太古の昔から純粋人種などは存在しなかった。純粋人種という言葉の意味がそもそも誤解されている。 家畜の品種と同じよう…

小坂井敏晶 「責任という虚構」

「責任という虚構」の論旨は、書評の通り犀利である。筆致は簡潔であり、在仏30年の著者らしく Ce qui n’est pas claire n’est pas francais. の明晰さが心地よい。 p22 人の行為は意志決定があってから遂行されるという、デカルト以来の近代西欧合理主義の…