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小林秀雄

小林秀雄 「モオツァルト」

新潮社版全集8 p78 どうして、モオツァルトのすることがすべてモオツァルトらしい形式や手法に従い、他人の手法に従わないかということは、モオツァルトの鼻がどうしてこんなに大きく前に曲がって突き出しているか、そしてそれがまさしくモオツァルト風で他…

小林秀雄 「當麻」「西行」「実朝」

新潮社版全集8 [當麻]p15 「仮面を脱げ、素面を見よ」、そんなことばかり喚きながら、どこに行くのかも知らず、近代文明は駆け出したらしい。ルソーはあの「懺悔録」で、何ひとつ懺悔などしたわけではなかった。あの本にばら撒かれている、当人も読者も気が…

小林秀雄 「蘇我馬子の墓」

飛鳥や天平の寺々が堂々たる石造建築だったとしたら、その廃墟は、修理に修理を重ねて保存された法隆寺という一かけらの標本よりは素晴らしいだろう。わが国の滅びやすい優しい芸術は、まず滅びやすく優しく作られた建築という基本芸術の子供である。 堅く、…

小林秀雄 「ドストエフスキー」 

「ドストエフスキーの生活」 p12 子供の死は、母親にとって掛替えのない歴史上の一事件である。どのような場合でも、人間の理知は、掛替えのなさというものについては、なす処を知らない。愛児の遺品を前にして、母親の心に、このとき何がおきるかを考えれ…

小林秀雄 「私の人生観」 新潮社版全集第九巻

「私の人生観」 高校一年の国語の教科書に小林秀雄「私の人生観」があった。田舎の高校生はそれまで全く読書経験らしいものを持っていなかった。小林秀雄も知らなかった。ただし「私の人生観」は奇妙な文章だった。直観をそのまま書くほかに読者に理解を求め…