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丸山真男 「歴史意識の古層」±α 3

 [なりゆき]
 東京裁判の膨大な記録を読む者は、当時の政治権力を構成した宮廷・重臣・軍部・財界・政党等の代表的人物をほとんど網羅する証人喚問と証拠提出によって、日本政治の複雑きわまりない相貌を明らかに知ることができる。
 日本帝国主義の辿った結末は、巨視的には一貫した歴史的必然性があった。しかし微視的に見れば、それは決断の回避という「無責任」を連続させた体制のなれの果てでしかない。
 大東亜共栄圏を確立し八紘一宇の新秩序を建設して、皇道を世界に宣布することは、疑いもなく被告らの願望であった。彼等のうち誰一人として、これがドン・キホーテの夢であることを指摘した者はなかった。ただ彼等のうちのある者は、その夢を露骨に語ることに照れくささを感じる程度の身だしなみを備えていたし、もっとも狂信的なものでもいよいよ欧米連合国の風車が近づくと、そのあまりの巨大さとわが槍を引き比べて思わずたちすくんだ。 しかし彼等は皆、なにものか見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐ろしさにわななきながら、目をつぶって突き進んだ。
 戦争を欲したにもかかわらず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにもかかわらず戦争の道をあえて「選んでしまった」のがことの真相だった。当時にしてすでに世界が驚く発展を遂げていた近代国家は実は、そのトップを形成する宮廷・重臣・軍部・財界・政党等の代表的人物がすべて戦争を「時の勢い」の「なりゆき」とする非計画性の権化だったのであり、最高指導者層の一団は夏草のような「無責任が生い茂る宇宙」であった。そしてその全ての体制の頂点に、ほかならぬ天皇が立っていた。
 終戦の決定を自ら下し、数百万の軍隊の武装解除をほとんど摩擦なく遂行させて連合国を驚かせたほどの強大な権威を持ち続けた天皇が、それに至る十数年の政治過程と、もたらされた結果に対して無罪であるなどとは、およそ政治倫理上の常識が許さない。六百万の国民を死なせた戦争に敗れ、国土を荒廃させ、占領された国王が退位もせず、その無責任ぶりに対して一切の罪を免れたのは、世界史上初めてのことである。
 天皇が「個人としては痛切な責任を感じるが、国体護持はそれを超える国家倫理の要請であった」と強弁するなら、1951年サンフランシスコ条約の締結と同時に退位すべきであった。マッカーサーによって国体は護持されたのだから、「思いは成った」として直後に退位の意思をマッカーサーに「積極的に」伝えることで、天皇個人の倫理性は評価を高めただろう。「王が王としての責任を取る」ことで、以後の「民主」政治において「政治家の責任」をめぐる問題が無視され続け、修復が難しいモラルハザードを引き起こすことも防げただろう。しかし天皇はやはり、マッカーサーの消極性を理由に、自らの決断を「時の勢い」の「なりゆき」に従わせる人間であった。正義を最後までなしえない人間を、それから四十年もわれわれは上に戴いた。
 事実上ロボットあったことが天皇の免責理由になるのなら、メクラ判を押し続けた大臣たちも無罪だろう。「作戦は参謀本部の行ったことでありまして、小職は彼ら専門家としての見解に同意したにすぎないのであります」との陸軍大臣の答弁は反論がむずかしくなる。
 なおたちの悪いことに、指導者層の一団は自分たちが「無責任の生い茂る宇宙」の住人であったとは、現在も存命のものたちも含めて少しも思っていなかった。戦後間もなく現れた「指導者層も悪いが、それにブレーキをかけられなかった国民にも責任の一端はある」とのばかばかしい「一億総懺悔論」にたいして、厳しい弾劾論は「民主世論」の主導者を自ら任じていたマスコミからもついぞ聞かれることはなかった。