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[[平野啓一郎]平野啓一郎 対談「ウェブ人間論」

 p83
 私たちは調和を重視するというが、それは悪くすると他者との距離を押しつぶしてしまうことでもあって、本気で議論しなくても「だよね?」「うん、だよね?」で分かり合えるといった、個性に対する一種の抑圧や暴力としても機能してしまう。「契約」という、何を考えているか分からない人間を相互に縛りあうことで相互の逸脱を防ぐ概念を、日本人は苦手とする。ダイアローグは成り立ちにくく、やかましく群れるカラスのような平等意識があらゆる生活領域でだらしなく広がる。
 
 自分が不案内なことがらに対しても、「自分は不案内であるからここは相手より下位に立とう」という自己規制が働かない。そのことは相手も同様であり、次の「自分が得意な話題」でも相手は自己規制を働かせてくれない。このようにして一連の雑談的会話の中で「だよね?」が繰り返され、個性同士の抑圧が日常の光景になる。言挙げせぬことを万葉以来ゆかしいとする国では、新型インフルエンザが流行しかければ、マスク着用が通勤電車内のラウドスピーカーで「奨励」され、無視する少数者は無言の冷ややかな視線に遭う。やがて当局に密告されるという北朝鮮的事態もまんざら冗談ではない。 
 p85
 リアル社会に対して不満を抱えながらブログや書き込みをしている人たちだけのことを言えば、彼らの一部には、リアル社会やいわゆるエスタブリッシュメントをシニカルに笑いあっている雰囲気がある。しかしその笑いは結局、リアル社会やいわゆるエスタブリッシュメントにとっては織り込み済みであり、彼らをまったく動揺させない。ネットの住民はむしろサブシステムとしてその安定に手を貸しているだけである。
 大企業も、政府もメディアも、彼らが好きになってくれるとはまったく期待していない。ネットの住民がシニカルになっているつもり以上に、醒めたエスタブリッシュメントの方がずっと残酷でシニカルである。