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本山美彦 「金融権力」

p3−4
 格付け会社という、他人のふところ具合を勝手に覗いてふれ回る組織がある。よそさまの台所を、大金持AAAから多重債務者Dまでに格付けする会社である。格付けの基準は格付け会社に任されていて、金融当局による基準設定はない。驚くべきことだが、アメリカらしいと言えばアメリカらしい。羊のように従順な国の首相さえ、一民間会社がえらそうなことを言うなと怒ったことがあった。上位2社、S&Pとムーディーズだけで世界の格付けシェアの80%を超えている。格付け会社の収益源は、起債企業が格付けを受ける際に支払う手数料収入である。「有能な企業弁護士と、その弁護士になぜか気前がいいクライアント」の関係は疑われやすい
 p38
 そのS&Pやムーディーズは、返済に不安のある債権と優良債権を混ぜ合わせてリスクを不明にした証券化債権に対し、正しい格付けをするどころか、2007年にはその90%以上を超優良AAAに格付けして、シティバンクバンクオブアメリカと協力して販売にまい進していた。
 サブプライムローンを混ぜ合わせた証券化債権こそは、ハイリスク・ハイリターン投資のシンボルであり、ジャンク債Dであるはずだった。これをAAAに格付けするS&Pとムーディーズの手法にはいかがわしさが漂う。早晩、司直の手で真実が明らかになるだろう。(p149)
 p69
 経済学は、自然科学を模倣しようとしてきた。特に物理学に近づくために、それほど変化しない係数を選んできた。変数間の諸関係が不変のままに持続するというテーマに、経済学は、その理論を限定する傾向があった。
 それはいまも変らない。現実を抽象化するモデルではなく、モデル化できる分野だけにこだわり、本来の現実の方に条件をつけてしまうのだ。経済学の理論は、「諸条件に変化がなければ」という括弧つきの局面に視野を絞ってきた。しかしその結果、経済学は複雑な現実を写し取ることに失敗した。
 経済学は本来、人の意志、経験の記憶と未来予測、複雑な人の複雑な集合である企業の意思と利害感情、等々の問題に取り組むという点で、自然科学とは性質を大きく異にするものである。つまり経済学は、数理的科学よりは、歴史学(またはイデオロギー)の一端に位置づけられるべきものである。
 p71
 例えば、家計に関する標本調査は無作為になされ、(調査時点での静的な)平均値や分散は容易に計算できる。しかし、時間の経過により家計がどう変わるかは、このような計算だけではできない。時間的な変化を数値的に表現することは、非常に困難なのである。
 p74
 1990年のノーベル経済学賞を受賞したマーコビッツの「ポートフォリオ選択」は数学的な考え方を金融に適用した最初の試みである。ポートフォリオ選択とは複数の証券の組み合わせを意味するが、投資には特定金融商品に集中するよりも分散させるほうが重要であることは、それまでも経験的に理解されていた。
 それを、マーコビッツや、アポロ計画の終了でウォール街に進出したNASA出身の「ロケットサイエンティスト」たちが数式化した。彼らはクオンツ(=金融商品の数学的モデル開発を行う数学者)とも呼ばれるが、このクオンツたちの理論の隆盛がサブプライムローン問題を引き起こしたのではないかと言われている。
 数学的に処理されることから、ファンドマネージャーの個人的な思い込みリスクを避けられるのではないかと、一般投資家たちは期待する。事実、当初、クオンツたちの運用実績は市場平均を上回っていた。しかし、クオンツ運用が普及すればするほど、格差は縮まってしまう。なぜなら過去、投資家たちの見落としを衝くことにこそ実績は生まれたのに、みんながコンピュータ取引を行えば、その格差は縮小し、儲け口が狭まってしまうのは当然である。かくして市場そのものの魅力が薄れ、ヘッジファンドの金持ち達は次の狩り場として原油市場に向かい、原油高騰が始まった。
 p104
 1995年の神戸大地震のとき、生協をはじめ神戸の商店は物資を無料に近い価格で大量に供給した。このような異常時に、アメリカ流にデリバティブなどを放任すれば、市民には生活必需品などは回ってこなかったであろうと断言できる。市場は政府の規制によらない閉鎖状態にあり、現在の原油やバイオ穀物等々のような高騰現象は起きなかった。民衆はそれに感謝こそすれ、自由がないといって怒りなどは覚えなかった。
 p134
 アメリカ経済学会の大立物フリードマンは、たった一つのこと、反政府を訴え続けてきた。教育の民営化、医療保険の民営化、空気汚染権の売買、学校間に烈しい競争を誘導するバウチャー制度の導入・・・・要するにすべてを市場の力によって解決しろと発言し続けた。それが時代にマッチしたのである。サッチャーもブッシュも小泉純一郎フリードマンを勉強していた。) 
 p137-141
 ノーベル賞はいうまでもなく、アルフレッド・ノーベルの遺言により、1901年から物理学、化学、医学・生理学、文学、平和の各分野において「人類に対して最大の貢献をした」人物に贈られてきた賞である。この中に経済学賞は実は入っていない。ノーベル経済学賞は正式なノーベル賞ではない。
 ノーベル経済学賞は、スウェーデン国立銀行が1968年、創立300年を機に設立した「ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済科学賞」が実名である。そしてその3分の2はアメリカの経済学者に与えられており、とくに株式市場やオプションに投機するフリードマンや彼を師とするマーコビッツらの「シカゴ学派」に与えられている。この賞は、私たちの生存条件を改善したいというノーベルの抱いた理想とは何の関係もない。
 この経済学の理論モデルでは、意味、倫理、信頼、摩擦等、私たちが生きる世界を把握するために欠かせない次元が捨てられている。数学的な中立性を借用して「イデオロギーフリー」を掲げているのであり、規制撤廃、自由放任という特定の政策誘導のための偽装は巧妙である。