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スティーブン・ミズン 『歌うネアンデルタール』

 ホモ・サピエンス以前の初期人類(百五十万年前のエルガステル以降エレクトス、ジャワの小人のフロレシエンシスそしてネアンデルターレンシス)の言語はhmmmmm(全体的holistic、多様式的multi-modal、操作的manipulative、音楽的musical、ミメシス的mimetic)だった。
 「鹿を狩りに行こう」と「馬を狩りに行こう」は全く別個の発話だったかもしれないし、双方に共通な「狩りに行こう」という発話と対象動物を示すミメシスを一緒に用いていたかもしれない。
 hmmmmm言語はメッセージの数が限られるのが弱点である。短期記憶上でも長期記憶的にも思い出せる連続音の数に限界があったろう。新しいメッセージの数を大幅に増やすことには大きな困難が伴った。言語は固定化せざるを得なかった。
 言語は思考そのものであるから、言語が相対的に固定化されたところでは思考とその結果である行動が固定化されてしまう。このことが百八十万年から二十五万年前まで石器が全く変化せず、種類も限られていたことの原因である。小屋を立てることもしなかったし、洞窟に壁画を描くこともしなかった。
 これに対して単語と文法規則からなる構成的言語では、本来有限な数の単語を文法規則が組合わせて、現在の私たちのようにほぼ無限の表現が可能になる。このため言語が固定化されることは起こりえない。生活経験とともに単語は増え続け、それを統御する文法も次第に論理的になりはじめて、ホモ・サピエンスの思考と行動は常に展開(進化)を続ける。
 p353
 有名な「KE家」の親戚の約半数はFOXP2という遺伝子に欠陥を持っている。FOXP2遺伝子は、脳内で言語の神経回路を発達させるのに欠かせないヒトの遺伝子であり、類人猿とはアミノ酸が二つだけ違っている。FOXP2に欠陥があると時制の一致といった文法だけでなく、複雑な文を理解したり、文字数の多い単語を実在の言葉か架空の言葉か判断することができなくなる。
 正常なFOXP2遺伝子は約二十万年前にアフリカの初期人類に突然変異としてあらわれ、集団に定着した(ランダムな突然変異が自然選択された)。
 p360
 FOXP2のおかげで、私たちの赤ん坊は(両親や兄弟が発する)連続する音の流れを聞いてそこから統計的な規則性を抽出することができ、個々の単語の存在を学ぶことができる。生後数ヶ月の赤ん坊が「彼女にそれを渡せ」と言う意味の「テビマ」というフレーズと「彼女とそれを分けろ」と言う意味の「クマピ」というフレーズを聞いた場合、「マ」がどちらにも出てくる共通音声であり、それは「彼女」を表していることが赤ん坊にも次第に分かるようになるのはFOXP2のおかげなのだ。
 この突然変異が、ネアンデルタールには起きなかった。その結果アフリカの初期人類だけが世界を分節的に理解し始め、狩りの方法も地域・動物・時間帯などに合わせて精緻化されていった。食料が得やすくなれば、ホモ・サピエンスがアフリカを出て地球のすみずみにまで拡散するのは時間の問題だ。
 乏しい獲物をホモ・サピエンスが独占的に狩れば、FOXP2を持たず、二十万年以上もギリギリの生活を続けていたネアンデルタール(三十五歳以上の寿命はまれだった)が終焉に向かったのは必然だろう。ホモ・サピエンスがネアンデルタールを直接追い詰めたと考える必要はない。食料が十分あるものは貧しいものを、ただ追い詰めるために追い詰めたりはしないだろう。ネアンデルタールは厳しいヨーロッパの地での資源競争に勝ち残れなかっただけなのだ。

 p373
 世界を分節的に理解できれば、個々の知能の考え方や知識の蓄えをひとつにまとめ、抽象化し、擬人化あるいはシンボライズ化することはそれほど困難な課題ではない。こうして「人の智慧とライオンの力」を一身に持つ存在のイメージもやがて共同体の中に広まっていった。宗教が形をとる日は目前に迫っていた。
 すべてのネアンデルタールが一挙すべてのサピエンスに置き換わることはなかったろう。ネアンデルタールの女性には美人もきっといただろうし、美人のサピエンスが男前のネアンデルタールを誘惑したこともあったに違いない。ネアンデルタールは種としては滅んだが、それはサラブレッドがいなくなったのであって、純血としては滅んでも二十%はサピエンスの血に入って行った。
 系統学上、配偶可能なある種(A)が突然まったくいなくなることはありえない。Aはかならずaとして、Aの次を支配するBのなかに存続する。Bの中には、本来Bの純血を阻むものではあるがBの永遠性を保障するbとかその前の交雑種Cの残骸遺伝子とかがかならず存在する。