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馬場あき子 短歌

 厚顔と偽善と怯懦の真ん中に、廉潔と誠実と果敢の遠弓を射込むような馬場あき子の短歌。彼女の定型は、日本語にとっては自由律などというものがだらしなさの美名でしかないことの証明である。
・母の齢はるかに越えて結う髪や流離に向かう朝のごときか (飛花抄)
・さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり (桜花伝承)
・夭死せし母のほほえみ空にみちわれに尾花の髪白みそむ (桜花伝承)
・丈三尺伸びし黄菊や管(くだ)菊やビンラディン生きて逃がれよと思ふ (僕)
・ならずものの大国の辺に寄りそへる三等国日本のつくつくほふし (僕)
・楽章の絶えし刹那の明かるさよふるさとは春の雪解なるべし (地下にともる灯)
・草むらに毒だみは白き火をかかげ面箱に眠らざるわれと橋姫 (無限花序)
・真夜中にペットボトルの水を飲むわたしは誰も許していない (TV番組の投稿歌 馬場あき子選)
 夜中に憎しみで目が覚めて、ペットボトルの水で一息はついたがあらためて周囲を許していないことを確認したのか。選者の言ったように、冷蔵庫のペットボトルの水というきわめて安全な環境に守られていることを自覚するが、社会への憎悪は別問題であるとしているのか。安全を保証されながら誰も許していない自分のエゴイズムを指弾しているのか。