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岩井克人 「ヴェニスの商人の資本論」 「貨幣論」

[ヴェニスの商人資本論]
 p68  あらゆる差異を解消する資本
 資本主義の前には、どのような価値体系も孤立し閉鎖されたままではいられない。なぜなら、孤立や閉鎖が意味する独自性や異質性は、すべて資本主義にとってはおいしい「差異」の一形態に過ぎないからである。「差異」とは、それがどのような形態をとろうとも、資本にとっては食指を伸ばすべき利潤の源泉にほかならず、ひとたび資本によって狙われた差異は、そのものだけの独自性や異質性を吸い取られて全てが平準化してしまう。
 資本主義とは、かつてはそれぞれに孤立し、閉鎖されていた価値体系と価値体系を相互に関連させ、それらを新たな価値体系の中へと再編成してしまう社会的な力にほかならない。その過程の中で、それ自身で完結していたかに見えていた古い価値体系は独自なものではなくなり、「腐った果実のように、本来の価値をなくして、地に落ちてしまう」のである。
 牛肉・野菜の価値体系と調理技術の価値体系は、かつてはそれぞれ完結したものだったが、そこに高級レストラン経営資本が参入すれば食材や調理の価値体系は瞬く間に吸い取られ、きのうまでの勤勉な農家と誇り高いシェフは、プライドを奪われた賃金労働者の群れのなかに平準化されてしまう。
 p103  利潤・成長の源泉
 産業資本主義経済の中には、二つの異なった価値体系が共存している。一つは労働者階級の中で成立している価値体系であり、具体的には、市場における労働力と彼らの必需品との交換比率体系である。それは労働者、資本家ともどもに開かれているものである。
 もう一つは、生産過程における労働力、原材料および生産手段と、それらの結合によって生産される商品との間の交換比率体系である。この二つ目の価値体系は、生産手段を所有している産業資本家のみに開かれたものであり、自らの労働力のほかに売るべきものを持たず、したがって生産手段から切り離されている労働者に対してはまったく閉ざされている。
 それゆえ、生産手段を所有しているために二つの価値体系に同時に接触できる産業資本家は、それらの間に存在する差異を利潤という形で搾取することができる。ここに「剰余価値」という「成長」の原資が自然に発生する。
 p183  「マクロ経済=蚊柱」理論
 マクロ経済学には統計という大きな神話がある。マクロな経済現象は「蚊柱」にもたとえることができるが、そのときマクロとしての蚊柱が持つ規則性とは、統計的な意味での規則性でしかない。ミクロとしての一匹一匹の蚊の絶えざる動きの不規則性が、お互いの効果を打ち消しあい平均化された結果として生まれたものである。蚊柱の「マクロ的な均衡」とは、無数の蚊の「ミクロ的な不均衡」の統計的な均衡として成立している。
 生命現象における細胞内分子の挙動のミクロな不均衡と、一個の生命体としてのマクロな均衡も、相似的な現象だろう。渡り鳥の群れと一羽一羽の鳥、バッタの群れと一匹一匹のバッタ。どこにもマクロな「生命」という固形物はなく、それは見る人の目に仮象されたミクロのものの統計結果である。その統計がマクロとして計算される瞬間瞬間が「マクロとしての人間」の「現在」というものである。
 p201−211  予測不能な「経済外的要因」
 マルクスの「生産価格」とは、商品の原価に平均的利潤を加えて計算されるもので、それはアダム・スミスが自然価格と呼び、リカードが生産費と呼んでいるものと事実上同じものである。古典派のスミスも、新古典派ワルラスもそしてマルクスも、それぞれが独自の経済学を展開したわけだが、その中にはひとつの共通した思考様式が強力に貫通していた。自然価格と生産価格、労働価値と市場価格、さらには均衡価格と不均衡価格といった対立概念を軸として経済現象を説明しようとする思考様式である。
 しかもどの経済学者もこの二つの概念を対立させて使う理由は、両者を対等に扱うためではない。彼らは、市場価格や不均衡価格といった第二項を経済の「誤謬」の形態とみなし、経済学者の使命は、その背後にある「真実」としての自然価格や労働価値や均衡価格を発見することにあるとしていた。
 そのなかでもマルクスは、もし現実の経済の運行がその「真実」の姿から乖離しているならば、それは市場経済固有の「見えざる手」とか「需要法則」とかの自己調整作用が何らかの理由で阻害されているからであると結論した。「なんらかの理由」とは人間の非合理的行動、不純性、偶然性などほとんど無限に近い「経済外的要因」のことである。
 実際の商品市場においては、この「経済外的要因」がほんのいくつかでもあれば、たちまち供給過剰や需要過剰が発生してしまう。たとえばアメリカの低所得者層の無謀な住宅購入行動は、マルクスにとっては「経済外的要因」だっただろうし、それは分析の対象外だったに違いない。当時から、経済学とはなんとも未熟な「科学」だったのだ。
  資本主義が子供だった時代のマルクス
 物々交換経済では売りと買いが必然的に一致する(セイの法則)のに対して、貨幣経済にあっては自分が何かを売った(買った)からといって別の何かをすぐに買わ(売ら)なければならないことはない。貨幣による売りと買いの分解こそ貨幣経済の本質であるから、マルクスが見出したように、貨幣経済とは、生まれたときから恐慌の可能性を内に宿していたのである。
 マルクスは恐慌理論をまとまった形では完成することができなかった。それは、恐慌があり得るということは、「見えざる手」や「需給法則」「価値法則」といった市場経済の自己調整という概念そのものが怪しいことになり、同時にそのことは彼の「価値法則」を支える「労働価値説」を巻き添えにすることだったからである。資本主義が充分に発達しておらず、「見えざる手」が信仰の対象でしかなかった当時として、恐慌理論は完成する見通しのないものであった。
 同時に、資本主義が未発達であったことでマルクスは自身の金看板であった「労働価値説」を信じられたのだが、資本主義が容赦ない形に発達してくれば、「労働イコール全ての価値の源泉」説は当然怪しくならざるを得なかった。
 マルクスは、ナポレオンの没落から半世紀も経っていないフランス二月革命の頃の人である。ショパンやジョルジュ・サンド、ドラクロアフローベールバルザックらとはパリの街中で何度も顔を合わせたに違いない。伯爵夫人たちのサロンでは、自分たちの空虚な会話がいつまでも続くわけでないこと、いやしい収税吏や公証人、肉体労働者が社会に何かを生み出すものであることに気づき始めていたが、このこと自体が「昔の二十世紀のそのまた百五十年前の話」である。

 
[貨幣論](貨幣と言語の類似性)
 p32
 資本論出版からまだ何年もたっていない一八七○年代初頭、スイス・ローザンヌワルラスらは、『限界原理』(微分)手法を駆使して、消費者の主観的選択と生産者の技術的選択とを分析し、マルクスの労働価値説を、証明不能な二つの仮説に依存する特殊モデルとして葬り去った。二つの仮説とは、生産技術発達が線形(微分可能)であるという仮説と、労働が唯一の希少な資源とする仮説である。チューリングによるコンピュータの概念が登場するまでまだ半世紀以上あった当時、生産技術発達は線形であるとするのはマルクスといえども仕方がなかっただろう。
 ワルラス一般均衡理論は、資本主義社会をお互いに依存関係にある数多くの市場のネットワークとして捉え、社会のなかのすべての商品の価値は当然すべての市場の需給関係に依存し、商品の価値とは必然的に価値体系のなかのひとつの価値に過ぎず、ひとつの市場の需給関係が変化すれば、それは同時にすべての商品の価値を変化させてしまうことを明らかにした。ここに価値体系の(科)学としての経済学が形式的な完成をみた。
 そしてこの一般均衡理論はジュネーブにいた、構造主義創始者ソシュール言語学にも強い影響を与えた。ソシュールは言語(ラング=体系としての言語)を価値の体系と規定しているが、彼によれば、言葉とは表象されるものの間の関係式を示す価値であり、価値は関係のなかにおいてのみ現われてくる。貨幣は相手に通用するから価値があるのと同様、言語も相手に通用するからこそ意味があるのだ。このことによってソシュールは、ひとつの言葉は先験的にあたえられたひとつの概念を意味しているという、通俗的な言語観を否定しようとしたのである。
 以下は言語が価値の体系であることの一例である。フランス語の「良心」(コンシアンス=conscience)という語はギリシア語ラテン語の原義どおり、善悪を知り・判断する能力を指すとともに、「意識」すなわち認識する自分を自覚する能力も指している(ハナ・アーレント『道徳哲学のいくつかの問題』)。これに対して英語では「良心」はコンシャンス(conscience)、「意識」はコンシャス(conscious)であり、異なる単語を当てている。つまり英仏では、善悪・判断・自覚・意識といった概念において、表象されるものの間の関係式が微妙に異なるのだ。少なくとも一つの言葉が一つの概念を先験的に表わしているのでないことは確かである。