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経済誌から 「企業トップの愚劣」

 企業の値打ちの分かりやすい算出方法の一つに<発行株式の時価総額マイナス負債総額>というのがあるそうだ。これによれば「企業価値の最大化」は、当たり前だが、株主利益の最大化であるということになる。従来からも大株主は毎年莫大な配当所得を得ているが、株価が上昇すれば配当所得は当然最大化するからだ。社員の働きがいとか社会に尽くすとか人を雇う力とか、お体裁のいいことは言わない、明快すぎて聞いたほうが鼻白むような指標である。
 しかし人間はあまりよくできていない。漱石も「あとで祟りがないなら河豚汁ほどうまいものはない」と言って警告している。私たちは企業の「能力」に原理的限界があることに気づいていながら、それを言わない。時代遅れのヒューマニストのサラリーマン社長が言おうとすると、一瞬の四半期利益に踊る役員会で、儲けにしか気の回らない役員から統治力を問われることになる。河豚毒は忘れられる。
 ある企業が五期連続の増収増益を続けており、これに反して従業員所得はこの五年ほとんど横ばいであるとする。よくある状況である。このとき一般的には株価は上昇し続けるから株主利益も上昇し続ける。しかし可処分所得が増えない従業員は自社株を買えないから、配当の恩恵を得られない。『儲かっているどこかの誰かのために働く』意識がでてくるのは必然である。少なくとも一般社員とその家族にとって「その会社にいることの値打ち」は最大化しない。家族を含めた疲弊とモラル低下の汚れた空気はみるみる濃くなっていく。
 企業内で仕事は人のネットワークで動く。ネットワークというのは、網の結び目である個人を核として成り立っているのではない。網目の一つや二つが磨り減っても魚網のようにすぐ直せるのがネットワークのいいところである。企業体にとって大切なのは結び目である個人ではなく、ネットワークという構造そのものである。
 「構造」は人のアタマのなかに存在する観念であって物質的実体ではないから、一度作られた構造は外的要因でつぶされてもすぐに再生する。構成員の生き死になどは物の数ではない。戦前の日本官僚機構や軍隊機構は、現在も大半が存続している。それ以外の統治機構は想像できないからである。
 企業の業績は、ネットワークの中にある人の頭脳に外から圧力をかけ、中身を押しつぶして搾り出され、数字に表現される。圧搾機にかけられる社員は、しかし、観念であって実体ではない「構造」に対しては有効に反撃できない。原子力空母にゴムボートがいどむ戦いはむなしい。人間に立ち向かう蟷螂の斧は滑稽だからことわざなのである。
 増益を続ける企業ほど社員の鬱病罹患率が高いというデータは本物である。「こんなことをしている自分とは何なのか」という内なる問いを忘却した人間だけがこの病を免れる。
 リーマンショックのとき日本で最初に非正規社員の首を切ったのは当時の経団連会長の会社だった。雇用よりは株主の配当を選択したのである。その会社の社内向けスローガンが「会社をヒトの成長の場に!」だったとは笑わせる。