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寺山修司 「身捨つるほどの祖国はありや」

 マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや
 いうまでもなく寺山修司の代表作のひとつである。田沢拓也という人の『虚人 寺山修司伝』では、下敷きとして富沢赤黄男の「一本の マッチをすれば 湖は霧」があって、その盗用だと決めつけられているらしいが、ばかばかしい了見の狭さだ。古今、新古今の「本歌取り」の概念を田沢某はどう理解しているのだろう。
 この歌の画像的イメージは上の句にあるが、時代情況の切り取りは下の句が果たしている。意味だけをとらえれば、寺山修司のメッセージは明らかに下の句によって伝えられる。歌は意味だけにあるのではなく、画像的イメージや韻律の音楽性と一体となってしか全体が表現されないけれども、この句の場合「意味」を担っているのは下の句だけで、上の句は逆に画像的イメージのみを伝えようとしている。たんなる情景描写でしかなかった「一本の マッチをすれば 湖は霧」に「身捨つるほどの祖国はありや」を加えたことで、歌は、「祖国」という感情をわかせるのはオリンピックとワールドカップの時だけという、寒々しい国民意識の基層を問うものとなった。
 世界の先進国にして、国旗と国歌が暴力右翼のシンボルであるような国はない。王族が残る国は数多いが、個々の王家の発祥が古代神話に埋もれていて、暴露が小学生にさえタブー視されているのは日本しかない。
 つい先年までロンドンのバッキンガム宮殿にはユニオンジャックでなく、王旗だけがかかげられていた。それは、バッキンガム宮殿が英国(厳密にはイングランド)市民の土地ではなく、市民と激しく対立し、武力抗争と懐柔和平をくり返した征服者の城塞であることを象徴していた。征服者の祖先は西暦何年にどこから来て、さらに彼はどこの国の誰の子供であり、父の親戚はどこの国で何をした男なのかも、みんなが知っている。現在の女王がバッキンガム宮殿にいられるのは、抗争と和平のくり返しの果てに結ばれた両者の「契約」の結果なのだ。
 いまの皇居に日の丸でなく、菊の紋章旗を掲げるとよい。西暦700年頃までは武力抗争と懐柔和平をくり返した征服者が日本にもいて、その血につながる性格の優しい子孫たちが住んでいることの意味を、多くの人が少しは考えるようになるだろう。
 かれらの祖先の、日本書紀による第十六代は朝鮮半島由来の王である。その征服者の子孫も、のち一、二度血統の連続性が怪しくなったし、室町以降江戸末期までは、床の間に飾りおくべき最大貴族としてしか時の支配者に扱われなくなった。伊藤博文松下村塾に入るまで天皇家があることすら知らなかったらしい。
 それがこの一世紀、国内求心力の欠如を隠したい政府によって「神」の地位まで一挙に格上げされたが、その不決断と臆病と政治的無能がたたって数百万の国民が死に追いやられてしまった。それにもかかわらず、彼は無罪放免され、国民統合の象徴として存在を保障された。現在はそうした彼の長男家族が、祖先を冷遇した江戸時代のエンペラーの住居跡に、なにごともなかったように国民の大多数に愛されながら住んでいる。しかも、明治初年の東京遷都は当時の政府が正式に宣布したことではない。京都から「行幸」してそのまま江戸城に居続け、それがいつの間にか既成事実化しただけのことである。 
 彼らには、自らの家系の正確な由来を学校教育を通じて全国民に明らかにし、親政を放棄した過去の無責任さを、自分の言葉で表明して、いまの地に住み続けてほしい。「自分たちは、時の勢いに押されれば右でも左でも自在に動く空箱のように、実体は空虚である」と。そのことによって戦前・戦後史の暗い部分の多くが照明を当てられるだろう。そして、その家系の地位が将来にわたって何ら検証されることなく安泰であることの意味を考える人が増えるだろう。空っぽの箱に対して吉田茂が「臣・茂」と頓首再拝し、その亜流達の名をわれわれが投票所で書き続けていることの意味を。

 さて、身捨つるほどの祖国はありや、である。だいぶ前だがサッカーくじ法案が可決されたことがあった。その際政府は「スポーツ振興財源を確保する資金調達法のひとつである」として「公営ギャンブル」法案だとは決して言わなかった。ギャンブルを公営してでも税収が欲しいのだとはっきり言って論議をなぜ呼び起こさなかったのか。退却や敗戦を転進、終戦と言い換える精神構造は、微塵も変わっていない。つねに問題は先送りし、相手の戦闘能力にどうにもならなくなったところで玉砕して、やっとことの重大さを認識するといういつものやり方である。
 これまで首相は煮え切らないコーディネーターにすぎず、国の運命を引っ張る鉄の意志を持った宰相ではなかった。実態が空箱のような象徴と、チャーチルやド・ゴールのような存在感をまったく持たないコーディネーターのために、いったいだれが「身を捨つるほどの祖国」を感じるだろう。