アクセス数:アクセスカウンター

辻原 登 「許されざるもの」

 「許されざるもの」とは「悪人」の意ではない。和歌山・新宮で、百年前、幸徳秋水の大逆罪事件に関連し、処刑された医師がいたらしい。この小説はその彼ら一党の鎮魂の物語であり、「未熟な国家が許さなかった民の英雄たち」の意味にとるのが正しいようだ。そう解釈することで、主人公を取り巻く酒と恋を愛する人たちや、新宮の「素朴な村人=明るい森の木の葉たち」を祝福する作者の思いが伝わってくる。
 冒頭近くに「ペルシャでは、十四世紀の大詩人ハーフィズの恋と酒の詩は誰もが愛誦し、犬まで諳んじているといわれる」とある。この一句はきっと、犬にも涙させる活劇を書いてやるぞという、作者の自信の表れである。

 辻原登の名は全く知らなかったが、19世紀的ロマン小説世界を隙間なく作れる練達の作家だ。展開はすべて会話の中で告げられ、よどみがない。文章は冴え渡っていて、数十箇所にも張られた伏線はおどろくほど完全である。この作品には、大きな物語としても登場人物それぞれの物語としても、意外な結末というものがまったくない。しかるべき人の運命は多分そうだろうという形におさまっていく。
 たとえば森鴎外が軍医として実名で登場するが、彼は師コッホの脚気=細菌感染説の矛盾に悩む人物として描かれ、恩顧ある将校の戦死に際しては荘重な弔辞をささげて感動的である。その謹厳誠実ぶりは知られる鴎外の人物像を裏切らない。作者は、プロットとしての意外性を巧むことなく、まっとうなストーリーをまっとうに語りながら語り口の魅力で全体を引っ張っていく。名人の落語が、結末が分かっていながら、聞かせるように。
 しかし、「国家主義という時代性」以外に物語を緊張させる巨悪が登場しないからか、悲劇がまとまりすぎ、読む人を立ち止まらせず、納得させすぎる。美しい妻を隷属させる尊大な高級将校は最前線でまったく役に立たず、故郷に療養送還されて妻の裏切りに遭うが、彼の悔恨は型通りのものである。作者の「読者に深手を負わさない、楽しめる小説はこのように書くのだ」という筆自慢の誇らしさが、あとになってみれば気になってくる。主人公の甥・勉が結核で死ぬ場面は泣かせどころだが、それは作者が歌舞伎のような類型的な涙の引き出し方を知っているからである。
 同じく完璧に構築された嘘の世界を作りながら、村上春樹が抜きん出ているのはここだろう。森(新)宮は、ありえないがあってほしい一km四方、幾つかの恋とのどかな陰謀と文明開化が狂騒する千人ほどの理想郷である。しかし二つの月がかかる1Q84の世界は、狂った形の意識があることを知らされる人々にとって、あってほしくないがあるかもしれない百km四方、一千万人が住むつらい現実であると錯覚させる。