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村上春樹 「1Q84」 1

 数百万部も売れただけに、とてもおもしろかった。難解な文章は一箇所もなく、リピーター読者を悩ませたりしない。熱心な小説読者ではないのでよく分からないが、「大きな物語」とか「ロマン」を作らせたら圧倒的第一人者ではないか。
 バカな新聞書評にあったような、オウムに基本モチーフを借りた「新興宗教に破壊される人間精神」がテーマの作品ではなかった。村上春樹ドストエフスキーのような「総合小説」を書きたいと言っているそうだが、それはある程度書けているのではないか。「何々の物語」と一行では要約できないという意味で。
 とは言っても、ところどころ、レイモンド=チャンドラーのタフな私立探偵マーロウが吐く自己満足的せりふに辟易することもある。
 たとえばp289-90.「私は自分の気持に率直なだけです」「自分で決めたルールはしっかり守る」「そしていくぶん頑固で、怒りっぽい」「肌を見ればわかる、匂いでわかる」・・・・などはチャンドラーのどの小説にあっても少しもおかしくない。
 またたとえば「自己満足を説明するのはとてもむずかしい。門閥の生まれや株式の運用のぬきんでた才能や、美貌や学歴や。気さくさや聡明さや恐れのなさ、決断力。そして何よりも、自分が正しいことをしてきたということ、正しいことをしているということ・・・」。村上は、分からない世界の第二表層には分かる世界もあるかもしれない、と念じている人のために、美しいセンテンスの引出しを無限に持っている。

 第一巻 p126
 幻想的で感覚的な小説を論理的に書き直すなど、蝶に骨格を与えるに等しいのではないか。
 p152
 蝶は時が来れば黙ってどこかに消えてゆく。死んだのだと思うけれど、探しても死骸が見つかることはありません。蝶はどこからともなく生まれ、限定されたわずかなものだけを静かに求め、やがてどこかへ、何の痕跡も残さずいなくなってしまいます。
 p381
 しかし月は黙して語らない。あくまで冷ややかに、的確に、重い過去を抱え込んでいるだけだ。そこには空気もなく、風もない。真空は記憶を無傷で保存するのに適している。
 第二巻 p181
 説明しなければ分からないということは、説明しても分からないということだ。そして世界はどんどん説明的になっている。つまりどんどん分からなくなっている。
 p257
 世界とは「悲惨であることと」と「喜びが欠如していること」との間のどこかに位置を定め、それぞれの形状を帯びてゆく小世界の限りない集積によって成り立っている。
 p272
 「君や私や天吾君にとっては1984年はもうどこにも存在しない。時間といえばこの1Q84年しか存在しない。」「私たちはその時間性に入り込んでしまった」「言うならば線路のポイントが切り替えられ、世界は1Q84年に変更されたんだ」「誰がポイントを切り替えたのですか」「誰が?難しい問いかけだ。原因と結果の論法はここではあまり力を持たない。われわれがそのままくるみこまれてしまった世界は、そこから出てゆけないのだから、くるみこまれて生きてゆくしかない。」
 第三巻 p26
 男はついさっき氷河から切り出してきたような硬く冷え切った目で牛河を睨んだ。
 p279
 人は時期が来て死ぬのではない。内側から徐々に死んでいき、やがて最終的な決済の期日を迎えるのだ。
 p280
 干上がった湖の底のような沈黙が二人の間を一瞬支配した。
 あのおびただしい落雷があった夜、それまで長い年月、休むことを知らない無慈悲な御者のように私を駆り立てていた怒りが、はるか遠くに後退してしまった。
 p444
 心の交流のようなものを抜きにして、父と母が夫婦として結び付けられるなにかしらの事情のようなものがあったのだろうか。それとも人生とは単に一連の理不尽な、ある場合には粗雑きわまりない成り行きの帰結にすぎないのかもしれない。
 p469
 気管はいまでは隙間なくふさがれていた。彼の意識はどろりとした重い空気の層に引きずり込まれていった。やがて辺縁を持たぬ暗闇が天井から降りて、すべてを包んだ。
 p487
 あなたは暗い穴の入り口をこれ以上のぞき込まないほうがいい。そんなことをしたってあなたはどこにも行けない。穴は閉じられなくてはならないのだし、それよりも先のことを考えたほうがいい。フクロウくんは森の守護神で物知りだから、夜の智恵を私たちに与えてくれる。
 p506
 『冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる。』(ユングが自分で石を積んで立てた家の入り口に刻んだ言葉らしい。)牛河は後ろ手に縛られビニール袋を被せられて殺されるが、このシーンはオーウェル1984年の、ネズミに主人公の顔を食いちぎらせようとする残酷な拷問を思い出させる。
 p508
 『今日死んでしまえば、明日は死なずにすむ』。シェイクスピアらしい。
 p570
 そのことを知りたかった、と青豆は言う。私たちはあれ以来互いに知らない場所で二十年の時間をすごした。しかしその二十年は、めぐり会ったいまなんの留保もなく瞬時に自分のうちに吸収され、私たちは同じ世界にいて、同じものを見ていると確信できる。