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プーシキン 「小鳥」(井筒俊彦 訳)

異郷にあっても
故里の古いならわしを尊び守って
明るく澄んだ春の祭りの日に
一羽の小鳥を逃がしてやる。
私はしみじみなごやかな気持になる。
何を宇宙に向って不平など言うことがあろう、
ただの一羽ではあるけれど、生きものに
自由を贈ってやることができたのだもの。


 井筒俊彦「ロシア的人間」七十九ページにある。三大宗教のもっとも深い部分に通じ、「意識と本質」や「イスラーム思想史」を著したほか、岩波文庫コーラン」の訳者でもある井筒俊彦が、三十四歳の時に肩に力を入れて書いた「若気」の本だ。
 文体は、哲学性向のある人間が小説論を書くときに陥りやすい、こなれの悪い単語や言い回しが多く、ときに微笑を誘うことがあるが、ロシア文学独特の暗さの中にソフィストケートされていない「ロシア的なるもの」を発見ようとする姿勢は、すでに後年の大宗教哲学者を充分に予感させる。
 図書館の片隅で文献学上の校訂を繰り返し、ある日、ヨーロッパの先人が見落としたムハンマドの小さな奇行を見つけ出して狂喜する・・・天才・井筒俊彦は、そんな苔の生えるような生活を何十年も続ける学者ではなかった。このような詩をこのように翻訳できることと、コーランにおいてムハンマドの(特に前半生の)バタバタした商人生活をもったいぶらずに日本語化できる能力は一つのものなのだろう。