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ハナ・アーレント 「全体主義の起源」第一巻「反ユダヤ主義 」 2

 p128
 自分の属する民族を裏切り、自分の出生を否認し、万人のための正義を捨てて個人的な特権を採ったという成りあがりものの後ろめたさは、十九世紀の半ば以来平均的なユダヤ人の複雑な心的傾向なるものの基底をなしていた。
 誹謗される民族もしくは階級なるものが存在する限り、このような性質はどの世代でも全く代わり映えせずに、ごく自然に拵えあげられていく。
 p144-6
 ビクトリア女王下のイギリス首相ディズレーリは自身の小説「コニングズビ」のなかで、彼自身がそうであるユダヤ人の金が帝国や王国の興廃を決し、すべての外交官を支配する世界の空想パノラマ—----現代の反ユダヤ主義文献によって知りすぎるほど知っているパノラマを繰り広げて見せた。そこでは、世界中の闘争はじつは秘密結社の舞台裏のあいだで行なわれている闘争であるというのだった。
 彼はイギリスの帝国主義者で極端な愛国主義者(ショービニスト)だったが、そのどちらについても自分で言うことに本気ではなかった。パセティックな彼はすべての発言に度はずれなまでに夢想的なものを持ち込んでおり、それが人柄の独特な魅力をなしていた。そして彼は、ユダヤによる世界制覇の観念を、自らの血管に流れる太古の神秘的な力によるものとして、深いところで信じていた。
 ディズレーリは、事業において見事な機能を発揮するユダヤ人銀行家の国際組織と、その情報機関に自由に接することができたから、彼が、その組織を世界の運命を掌中に握る秘密結社とみなすのも、もっともだったのである。
 のちに反ユダヤ主義者が考えたユダヤ人の世界制覇のイメージが、完全にディズレーリの頭の中に描かれていたかを見れば、だれでも唖然としてしまう。
 p149
 反ユダヤ主義者は「シオンの賢者」という妄想を抱いてユダヤ人を攻撃したが、ディズレーリにしてみれば世界制覇の野心は彼らの優秀さを証明するものだった。評価の方向が逆になっているだけである。
 p164-171
 十九世紀末の上流社会サロンにおいて、閣僚や大銀行家や将軍といった最上流のユダヤ人の立場は、非常に微妙なものだった。自分たちがユダヤ人であることを隠せば、貴族たちの好奇心から来る心理的理解や寛容を失うという罰を受けた。ユダヤ人であることを公然と認めれば、上流社会における地位を失うという危うい境遇におかれた。近代的反ユダヤ主義によるユダヤ民族の運命は、この社交界の雰囲気の中で熟してきていた。
 心理的理解や寛容なるものの陰には、証明された犯罪を罰することはもはやせずに、何らかの理論によって「人種的に」欠陥のあるとされるすべての人間を絶滅する立法といったものがすでに準備されつつあった。ナチの反ユダヤ主義がその概念をユダヤ人に適用して、あれほどの成果をあげたことについては、もはやそこから脱出できない同意形成の雰囲気をつくりだした社交界の現象と信条が大きくあずかっていた。
 p206
 モッブは、いつに時代にもいたありとあらゆる階級の脱落者だったから、憎む対象をえり好みしなかった。十九世紀末には司祭、フリーメーソンイエズス会、外国人、黒人、ボルシェビスト、ブルジョワ、貴族などを食い物にしたが、モッブが憎むもののすべてがユダヤ人—--例外ユダヤ人の社会からの受容のされ方、財政運営を通じての彼らの国家権力との一体化---に体現されていると見えることは明らかだった。
 さらにモッブにとってはフリーメーソンイエズス会ユダヤ人は「世界的陰謀をもって世界制覇を目指す秘密結社」という大きな共通点があるように見えた。社会と議会から同じように締め出され、公的な場の外でしか行動できなかったモッブは、こうした結社の影響力を「政治生活の真の実体」として極端に過大評価する傾向があった。