アクセス数:アクセスカウンター

平野啓一郎 「葬送」 1

 十九世紀中庸、パリでのショパンドラクロア、ジョルジュ=サンドを中心にした生身の「芸術家」たちの心理小説、芸術論小説。文庫四巻本の大作。平野の語彙の膨大さ、展開力の確かさ、性格描写の丁寧さとともに資料渉猟のエネルギーに改めて目を見開かされた。
 プロット展開で読者を引きずりまわす作品ではないが、ショパンドラクロアの音楽、絵画の熱感あふれる描写力は大迫力である。地の文で登場人物の意図を一度疑わしいものにし、続く会話でもう一度裏向きに捩るような書き方も、思わず写して自分のものにしたいほどの精密さである。漱石『明暗』の暗さは、若いときに読めばほんとうに胃を悪くするものだったが、五十過ぎでの『葬送』の暗さは、蝋燭の光を当ててその深さを確かめて見たい性質のものだった。
 十年後に「決壊」が生まれたが、十年というのはネット社会の屈折とその犯罪的側面がほぼ見極められる、ちょうどよい熟成期間であったといえる。

 第二巻 p342
 人間は恐らく、人生に二度深く内省するものである。青春の盛りと老境の始まりとの二度に於て。そう思うと、二十代の頃に何故自分があれほど日記を書くことを必要としていたのか、そして、何故それが青年期の終わりとともに放棄され、永い中断を経て今また再開されねばならなかったが納得される気がした。
 第三巻 p108-9
 ショパンは病苦というものの絶望的な平凡さについて、長年の経験から確乎たる自覚を得ていた。病苦とは、いかにしても個人の署名を許すことのない、ありきたりで新鮮味を欠いた苦しみである。そこには何の独創の余地もなく、ただ決まりきった一定の苦しみが、時を隔て、場所を隔てた様々な人間の肉体に永遠に反復されるだけである。医学という学問が成り立っているのは、結局のところこの平凡さの故に他ならない。
 フレデリック・ショパンの苦しみは、決して彼に固有のものではない。才能も富もそこでは何の意味も持ち得ない。同じ病に罹った者は、誰であろうと等しく同じ苦しみのうちに投げ込まれ、同じ苦しみによって世間から隔離される。
 彼が病の非現実感に曝されるのは、まさしくその瞬間である。それは決して世事に疎くなるということのみではない。彼の社会性が根本の剥奪を蒙る経験である。外界とのあらゆる楔が外されて、彼はそのときただ彼自身となる。そうしていわば最後の切実な現実として残された彼自身が、その実、外の誰とも区別のつかない一個の匿名の病人でしかないという逆説。
 苦痛のただ中で失わなければならない一切の彼自身。病後に彼の感ずる日常生活への躊躇に、肉体のみならず彼という存在の社会性の回復の困難が関与していることは恐らく事実であった。
 p158
 彼女は自分の寂しさが呪わしかった。その寂しさは、ドラクロアという一人の人間によって引き起こされた相反する二つの寂しさだった。一方の寂しさは彼と会うことでしか慰められなかった。いま一方の寂しさは彼と会えばこそ掻き立てられた。彼を愛する彼女は何時でも彼と会いたかった。しかし、彼に憧れる彼女は、彼と会うたびに苦しまねばならなかった。
 p216
 ドラクロアは、絵画を勉強したいという友人と自分との間に横たわる埋め難い懸隔を知り、深く悲しんだ。それを直視することなく無邪気に彼を創作の道へと誘い、結果として傷つけることになってしまった自分の残酷さを赦し難く感じた。
 自分にとってはいとも容易いと感ぜられていた作業の為に、自分の最も愛する友人が苦しみ、なすすべもなく立ち尽くしている。・・驕慢を戒め、自惚れの滑稽を恐れながら、しかも同時に『誰もが自分のような天分に恵まれている訳ではない』と自覚することは困難な仕業であった。
 p437
 絵画においては天才を自覚しているドラクロアにとって、自分が弾くバイオリンが、その演奏が自分の理想とするところまで到達したことは、ただの一度もなかった。それに比べれば、絵画はなんと容易に最初の着想以上の成果をもたらしてくれることだろうか。結果が着想を裏切るということがない。むしろ結果は、着想の不具合を補ってその秘せられていた一面を明らかにさえする。
 完成された作品のすがたは、制作に取り掛かろうとする自分には覆い隠されているとさえ言える。それは、制作を進めるほどに徐々にそれを自分に明らかにしてゆくものとは、何なのだろうか。それこそが、カントの所謂『天才』ということなのだろうか。