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川上未映子 「ヘヴン」

 電車の乗客たちに見る、バラバラのひとたちの、よく切れない刃物のような集合が一つの箱に乗っている、それが同じターミナルに運ばれていくという不愉快な事態、そんなものが非常に分かりやすく書かれている。1Q84とならんで二○一○年の秀作に多くの人があげていたが、それはどうか。『そら、あたまはでかいです、世界がすこんと入ります』で、作者は自分だけが知らない常識を、写真映りだけを気にした顔のような、臆面もない文体で書いたものである。まぁ、彼女の、上目遣いをしない率直さが気に入らないだけかも知れないが。
 苛める側のボス百瀬は「苛めていることに大して“意味”なんてない、みんな欲求があるからやっているだけだ」と苛めの論理を作り上げる。「たまたま斜視という目につきやすいお前がそこにいて、たまたまオレたちのムードみたいなのがあって、それが一致したってだけのことさ。」
 「たまたまっていうのは、単純に言って、この世界の仕組みだからだよ。ただその中でも傾向みたいなのはあってさ、欲求ってのが出てくるだろ。オレたちはその欲求を満たすために、気ままにそれを遂行してるってだけの話だよ。いじめられるお前もお前のしたいことを気儘にしたらいいんだ。でもお前はそれができないんだ。だから苛めが成り立つ。」
 このダーウィニストの子供に対して、作者はどんな反論を用意して書いたのか。
 「百瀬君、君の論理のキーワードは、<たまたま>、<世界には意味はない>、<欲求>、の三つかな。ずいぶんシンプルでわかりやすいが、意味は価値と言い換えてもいいかな。真実だとか偽物だとかそういったたぐいのものと親戚の言葉だ。」
 「君は、意味のない世界だからみんな欲求に従ってやったらいいと言う。でも欲求というのは、君の意識の下のほうで、君がよくは知らない価値を感じているから起きるんじゃないのか。価値を感じていないことは欲求の対象にはならないでしょ?君は美人の妹には絶対手を触れさせないと言うけれど、それは、君が忌み嫌う、娘を守ると言いながら娘のような女のポルノを見ようとする、その辺のおっさんの矛盾とあまり変わらない。君が守ろうとするのは、家族の中に彼女のような美人がいるという、君自身の自己満足なんだよ。」
 「<たまたま>は確かにこの世界の仕組みの一つだ。でも唯一の仕組みではない。なぜなら世界は一つではないことも世界の仕組みだからだ。こんなことは動物の世界を見れば簡単に分かる。トラがあれだけ強いのに絶滅寸前というのはなぜなのか。鹿が弱いのに繁栄しているのはなぜなのか。」
 「みんな気ままにやっているし、傾向みたいなものの中で欲求を満たしあっている、ように見える。でもその、捉えられるように見える傾向は、ほんの表層の流れだけなんだよ。頭のいい君でも意識下にあるものはとても理解できない。なぜならそこにあるものは言葉で <理解> できるようなものではないのだから。虎と鹿がそこでは互角の取っ組み合いをしているのだから。君は自分が<理解> できるものを信じすぎると、自分を恃みすぎる虎のように絶滅寸前になるよ。」
 とは云ったものの、苛めの現場ではおよそ説得力のない理屈である。現場での解決には第三者の暴力が一番手っ取り早い。しかも、中学生の苛めは、成り立ちが子供の大脳表層の世界だから、説諭側の理屈は一応立つが、大人の苛めはこれに「経済」という、生命とともに生まれた、倫理のきれいごとなど相手にもしない最強の論理が入り込んでくる。我々の「経済」の理屈は倫理に侵食された頭の中に成り立つものではなく、絶滅しない生命一般とともにあるから、説諭側の大半はたちまち苛め側に薙ぎ倒されてしまう。