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小林秀雄 「當麻」「西行」「実朝」

 新潮社版全集8
 [當麻]p15
 「仮面を脱げ、素面を見よ」、そんなことばかり喚きながら、どこに行くのかも知らず、近代文明は駆け出したらしい。ルソーはあの「懺悔録」で、何ひとつ懺悔などしたわけではなかった。あの本にばら撒かれている、当人も読者も気がつかなかった女々しい毒念が、次第に方途もなく広がったのではあるまいか。
 當麻の中将姫の美しい花のような姿が、社会の進歩を黙殺しえたゆえんを、僕は突然合点したように思った。皆あの美しい人形の周りをうろつくことができただけなのだ。慎重に工夫された仮面の内側に入り込むことはできなかったのだ。世阿弥の「花」は秘められている、確かに。
 肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きよりはるかに微妙で深遠なのだ。不安定な観念の動きをすぐ模倣する顔の表情のようなやくざなものは、お面で隠してしまうがよい。
 [平家物語]p23
 「平家の哀調」、惑わしい言葉だ。このシンフォニーは短調で書かれているといったほうがいい。
 [徒然草]p24
 兼好にとって徒然とは「紛るる方無く、唯独り在る」幸福ならびに不幸を言う。「徒然わぶる人」は徒然を知らない、やがて何かで紛れるだろうから。
 [西行]p29
 無常は無常、命は命の想いが、彼の大手腕に捕えられる。心理上の遊戯を交えず、理性による烈しく苦い内省が、そのままぢかに放胆な歌となって現れようとは、彼以前の何人も考え及ばぬところであった。
 [実朝]p55
 流れ行く木の葉のよどむえにしあれば 暮れても後の秋の久しき
 秀歌の生まれるのは、結局、自然とか歴史とかいう、僕らとは比較を絶したものとの深い定かならぬ「えにし」による。そういう思想が古風に見えてくるに準じて、歌は命を縮めてゆく。実朝は、決して歌の専門家ではなかった。歌人としての位置というようなものを考えてもみなかったであろう。将軍としての悩みは、歌人の悩みをはるかに越えていたであろう。
 シェイクスピアに、将軍実朝の悩みを歌ったのではないかと思われるほどの美しい一行がある。 UNEASY LIES THE HEAD THAT WEARS A CROWN.