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ハナ・アーレント 「全体主義の起源」第二巻「帝国主義」 1

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 労働運動は資本主義が展開する世界政策を深く理解できない。労働運動は本質的に国内政治に利害を持ち、闘争においては一国の枠内から抜けることができないから、労働者インターナショナルには基本的な矛盾がある。同品質のものが海外に低価格で存在するとき、国内の労働運動だけではその海外資本の外交政策にたいした抵抗はできない。
 労働運動が安易なスローガンとして、国内の雇用の確保と賃金水準維持を同時に訴えるのは、その国の帝国主義の基礎にある経済的な誘引と原動力を、解明するよりは隠蔽してしまう恐れがある。国内の雇用と賃金水準が維持されれば資本の利益は少なくなり、資本は当然のこととして海外に利益を求めようとする。つまり帝国主義をめざす。
 p6
 永続性のある世界帝国を設立しうるのは、ローマのような、万人にひとしく有効な権威が存在する形態である。同質的な住民の積極的同意を前提とする、十八世紀国民国家のような政治形態では、ない。資本主義には「拡大する経済」という万人にひとしく有効な権威が存在するから、資本主義は、ローマのように、きわめて異質な民族集団も統合可能である。
 帝国主義の「膨張」はじつは、征服者の致富を目的として被征服者を収奪するといったような政治的理念から発するものではない。膨張はむしろ生産と消費の成長といった事業の領域から出た概念であり、工業生産の不断の拡大に立脚する資本主義制度を存続させるためには、「膨張」を国家の基本とするほかはなかったのだ。経済自体に強いられてブルジョワジーは政治化したのである。
 一九七○年前後、私がいた大学にも「米帝打倒」の立看板が並んでいたが、「帝国主義」が「帝国主義にならざるを得ない資本主義」を指すのだとはまったく思い及ばなかった。国の経済が一人前になり始めたとき、その国はほぼ自動的に帝国主義になるということに。例えば今の世紀の中国のように。
 私は不勉強だったから知らなかったが、帝国主義が政治的理念から発したものでないとは、優秀だった同級生の誰からも聞いたことはなかった。帝国主義が「悪」だとすれば、それを強いた日米欧すべての経済体制は「悪」そのものだったろう。「悪」のなかで成人しつつあった私たちの基本体質も、ひとり「善」であったはずはない。

 p16
 帝国主義の興隆とその結果としての第一次大戦やヨーロッパの荒廃・・・これら一連の出来事についての因果関係を考えてみると、およそ歴史記述などまったく不可能であると言いたくなる。なぜなら第一の原因は資本家という小さな階級が三百年前に存在し始めたからであり、その彼らの富が自国に収まりきらなくなり、有利な投資先を求めて地球を貪欲に探し回っただけだからである。カリカチュア的戯画を演じた彼らにアレクサンダー大王のような威光をまとわせたのは、われわれの時代の歴史家である。
 p22
 資本の過剰生産、つまり一国の枠内ではもはや投資され得なくなり余ってしまった資金は、輸出されるしかなかった。こうして、これまでの国家的暴力が開いた道を金融投資が進むのとは逆に、資本が指定した道を国家の権力手段が従うという事態が初めて起こった。このことは、本国の経済を資本主義生産の体制から金融投機主体の体制に変質させ、生産利潤の代わりに手数料収入が幅を利かせるようになり、社会の広汎な層を否応なしに投機家や賭博うちに変えてしまうことを意味した。二○○八年の「金融危機」は、はるか二世紀前の帝国主義時代以前に源を持っていたのである。
 資本取引つまり資金の輸出は、従来の商業利潤よりはるかに大きかった。このため海外領土においては商業資本=商人の重要性も低下し、それに代わって商人とも産業資本家とも全く違うタイプの、金融家と呼ばれる人たちが台頭してきた。
 金融家(初期は多国間の保証に関して実績を持つユダヤ人が主体だったがしばらくすると国家利益とより緊密に結んだ産業資本家が乗り出した)が得る利益は生産からでも搾取からでも商品交換からでもなく、もっぱら仲介からあがる手数料である。彼の仲介する資本投下は、本国にいながら他大陸の収奪を行えるという、これまでなかった種類の恩恵を生み出した。
 こうして金融家によって帝国主義支配独特の管理技術の端緒が開かれ、遠い国々での価値=株価の変動の真の背後関係が、およそ監視の目の届かないものになってしまった。このことは詐欺に対して無限の活動舞台を開いたことになり、世界中の主な金融中心地の株式取引のモラルはわずか二、三十年の間に地に落ちてしまった。金融商品のモデル開発を行ったアメリカ人数学者たちの行いは、それに翻弄されたわれわれ外国の人間からは全く見えなかった。
 p25
 金が金を生むというブルジョワジーの気狂いじみた考えは、その金をいったん生産財に変えなければならなかった時代には、醜い夢にとどまっていた。それが、本国からの軍と警察の暴力が投下資本を「保護」することで、産業も教育も法律も政治組織も持たない未開発地域で法外な利得を得ることが可能になって、彼らの気違いじみた欲求は現実に満たされるようになった。