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ハナ・アーレント 「全体主義の起源」第二巻「帝国主義」 2

 p51
 永久的膨張という帝国主義のありようは資本主義的生産自体の運動過程そのものであり、一時的な対外政策の冒険ではないとされた。(この言説は戦後日本の「平和主義者」が暴こうとしたような嘘の塊りではない。帝国主義が征服欲という政治的理念だけから出たものではない以上、「平和主義者」は世間知らずのそしりを免れない。)
 国家はナショナリスティックなスローガンを利用することはあまりせず、むしろ経済上の実質的利害という堅固な基礎に立っていることを誇ったし、支配階級は他の全ての階級を説得し、国家というものが物質的基礎にもとづいていることを信じさせていたから、帝国主義は国民全体の利益であると看做されるようになった。このことが、同質的住民を基礎とする国民国家が、簡単に帝国主義に染まった理由である。
 しかし国民国家が資本主義的膨張を始め、異民族と出会うと事態はかなり変わってくる。多数の同質集団のなかで、言語も慣習も教会も少数異分子であろうとする異民族を抑圧してしまおうとする誘惑が強く生まれた。「人種」が、一見相容れない国民国家概念と帝国主義概念に橋を架けたのである。
 p52
 併合された相手地域の悲惨に対して最も責任の大きいのは駐在役人階級の存在である。彼らは本国の、選挙による代表者から離れれば離れるほど、自分たちこそ個人的利害を離れたナショナルな政治を追求していると確信していた。
 p56
 資本の「本源的蓄積(マルクス)」」という原罪は、純然たる収奪という最初の一度では蓄積運動の永久モーターを回転させ続けるには不十分である。さらに幾度も原罪を重ね、経済法則と政治行為をひとつにして余剰資金を遠国に投下し、収奪を繰り返さなければ資本という Perpetual Mobile を無限のかなたまで動かし続けられない。
 p60
 イデオロギーは時代の政治生活との直接の関連なしには生き延びえない。その似非科学的外観は二義的なもので、イデオロギー跋扈の主な原因の一半は十九世紀に支配的だった科学への妄信であり、他方は、科学者も社会に信じられていることがらの圧力をまぬかれえず、時には一般人よりもそれらに感染しやすかったという事実による。
 十九世紀中葉以降、学者たちは彼らが実生活とみなすものの中へ飛び込み、そこで大衆を相手に「ドイツ人はフランス人より排泄物過多である・異常体臭が強い」というような純粋科学的と称する「研究成果」を派手に使って、もともと大衆が信じていることを説教するという、困った傾向を示し始めた。
 p62
 学問が特定の政治的確信にふさわしい「研究成果」を生むまでには数世紀を要することも多かった。たとえば「力は正義なり」の教義は、国王・貴族・第三身分の間で権力実体が激しく動いた十七世紀からじつに二百年の歳月を俟ってはじめて、(ダーウィニズム)生物学に適者生存の法則を思いつかせることができた。
 p74
 ロマン主義者は若いときには本物の思い付きの宝庫を持っているが、年を取るにつれて一番収入をもたらすものへ、そのときの対象を結びつける。ロマン主義化された対象としての民族は、あるときは国家に、あるときは家族に、あるときは貴族にというように何にでも結び付けられる。(ロマン主義は悪臭を放つものに穿かせる美しい下着なのだ。)