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ハナ・アーレント 「全体主義の起源」第二巻「帝国主義」 4

 p146
 帝国主義の支配形式に必要なものは、厳しい規律と高度の訓練と絶対的信頼性を具えた個人からなる有能な参謀本部である。この人々は虚栄や個人的や心から自由であるばかりでなく、業績に自分の名前が結び付けられることを願うことさえ放棄する覚悟がなくてはならない。必要なのは無名性への情熱である・・・・これは「アラビアのロレンス」の肖像そのものである。
 帝国主義政治においては、法的基礎や条約に拘束されない「個人的影響力」と「乱発される政令」こそが後進国における問題の発生を防ぎ、解決をすみやかにする。公式の解決法として法律を用いた場合の、本国政府が巻き込まれる議会での論争や競争相手国との折衝をほとんど省けるからである。
 イギリス帝国主義者に言わせれば、「高い文化段階」にある国民国家の法律制度を「低い段階に生きている」後進民族統治に適用しようなどという試みは「安っぽい模倣」であり、そのせいでフランスやラテン諸国の植民地制度は失敗したのである。
 p166
 あらゆる階級から集まったモッブという社会のクズにたいして、イギリスとフランスの海外帝国主義は現実に海外という脱出先を見つけてやったが、ドイツとロシアの汎民族運動は海外植民地を獲得できなかった。その代わりにドイツとロシアのモッブに提供されたのが、黒人・ユダヤポーランドチェコ人等を従属させるべきとする人種イデオロギーと運動である。
 しかしクズたちにはこれでも十分だった。「歴史への鍵」と称するイデオロギーが一つの運動に表現され、その運動に所属することで、共同体の崩壊とアトム化が進む社会秩序の中で何らかの帰属感が得られたからだ。このような観念の与える温かみと安心感は、アトム化した社会のジャングルで近代人が当然感じる不安を和らげるにはきわめて適切なものだったのだ。
 「モッブ」=人間の廃物のこと。工業拡大期のあとの恐慌ごとに生産者の列から引き離され、永久失業状態に陥るひとたち。全階層からの脱落者の寄り集まり(p47)。生物多様性を維持するために私たちが「雑婚」を続けなければならない以上、モッブ的遺伝形質の人間は必ず何パーセントか存在し続ける。「すべての人間は政治的権利において生まれながらに平等である」というのは、偽善のうちでも最大のものの一つである。
 この魅力が、運動の度重なる失敗や方針変更にもかかわらず住民大衆を惹きつけて離さなかった。彼らを結合させていたのは汎ゲルマン・汎スラブという擬似神秘主義のメンタリティだったのであり、膨張への欲求は一定の計画も方針も持っていなかった。だからこそこれらは世界征服に必要なメシア的使命感を生み出し、政治的領域から出発して人間生活のあらゆる領域に世界観として浸透することができた(p184)。
 p168
 全体主義運動は汎民族運動から超政治的「神聖」の雰囲気をそのまま譲り受けた。いわゆる「歴史的必然」に自らを投入しようとしてきたロシアやドイツの知識人は過去から気ままに取ってきた無数の思い出で擬似神秘的デタラメを飾り立て、ナショナリズムには及びもつかない豊かさをたたえているかに見える陶酔にのめりこんでいった。ここに準備されたのは新しい種族的(フェルキッシュ)感情であり、この感情の力は大衆を動かす優れた起動力を持っていることが立証された。
 p170
 種族的(フェルキッシュ)感情はつねに人間の内部に向かう方向をとり、人間精神を普遍的な民族特性の「具現」とみなそうとする。そして、こうした空虚な精神が芸術とか科学とかを具現することはありえないから、この欠点を補うために、精神と肉体のいわば逢引の場として「血」を担ぎ出すのである。この「血」は、“百人ユダヤ人世界陰謀説”のように最初から現実には存在しない架空の観念をよりどころにし、それを過去の事実によって立証する試みさえまったくせず、その代わりそれを将来において実現しようと呼びかけるのである。
 p175
 東欧と南欧で(西欧のような)国民国家が設立されなかったのは、大地を耕作し田園に作り変えてきた真の土着農民階級がなかったからである。国民国家が設立されたところではどこでも移住運動が跡を絶った。西欧では、マルクスが言うように「軍隊は独立農民のほまれであり、いま戦い取ったばかりの彼らの国民性に栄光をそえる。軍服は彼らの大礼服であり、自営農地を想像の中で延長したものが祖国である。愛国心は所有観念の理想的形態であった。」