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丸山真男 「超国家主義の論理と心理」

 p13
 ヨーロッパ近代国家は「中性国家」たることにひとつの特色がある。中性国家は真理とか道徳に関して中立的立場をとり、そうした価値判断はもっぱら他の社会的集団(たとえば教会)や個人の良心にゆだねる。国家主権の基礎をかかる価値内容とは無縁な「形式的な法機構」の上に置くのである。
 ヨーロッパ近代国家は宗教改革につづく二世紀にわたる宗教戦争の中から生長したが、その葛藤の中で形式と内容、外部と内部、公的と私的を区別する形で治者と被治者間に妥協が行われ、公権力は技術的性格を持った法体系の中に吸収された。
 ところが日本は明治以後の近代国家の形成過程において、国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとしなかった。ヨーロッパにおいては思想・信仰・道徳の問題は被治者の「私事」としてその主観的内面性が保証されたが、日本の国家主義は自分自身が価値内容の実体たることにどこまでもその支配根拠を置こうとした。
 p14−15
 日本に「内面的」世界の支配を主張する教会勢力は存在しなかった。したがって良心に媒介された個人の自由に関する抗争は日本においてはありえず、国家がその統治妥当性の「形式性」を意識することもなかった。そうして第一回帝国議会の召集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体として価値内容の独占的決定者であることの公然たる宣言であったと言っていい。
 一九四六年初頭の詔勅天皇の神性が否定されるその日まで、日本には信仰の自由はそもそも存立の地盤がなかったのである。信仰のみの問題ではない。国家が「国体」において真善美の内容的価値を占有するところには、学問も芸術もそうした「実体」への依存よりほかに存立しえないことは当然である。
 そこでは「内面的に自由であり、主観のうちにその存在意義を持っているものは法律の中に入ってきてはならない」という、ヨーロッパ近代国家では常識の、主観的内面性の尊重とは反対に、日本国法は絶対価値たる「国体」より流出するのだから、自らの妥当根拠を国民のいかなる精神領域にも自在に浸透しうるのである。
 p19
 (自由や倫理存在基盤が権力側に吸収されると)同時に、権力もまたたえず倫理的なるものに中和されつつ現れる。ここでも東と西は鋭く分かれる。政治は本質的に非道徳的なブルータルなものだと西欧人は考えるが、こういう突き詰めた考えが日本人にはできない。真理と正義にあくまで忠実な理想主義的政治家が乏しいと同時に、チェザーレ・ボルジアの不敵さもまた見られない。慎ましやかな内面性もなければ、むき出しの権力性もない。すべてが騒々しいが、同時にすべてが小心翼翼としている。このような権力の矮小化において東条英機はまさに日本的政治のシンボルである。
 p20
 わが国の国家主義の内側において、官僚なり軍人なりの行為を制約しているのは、第一義的には「合法性」の意識ではなくして、より優越的地位に立つもの、絶対的価値体により近いものの存在である。国家秩序が自らの形式性を意識しないところでは、合法性の意識もまた乏しからざるをえない。従って日本では、法は、「抽象的一般者」として治者と被治者をともに制約すると考えられることはなく、むしろ天皇を長とする権威のヒエラルヒーにおける優越者の支配の具体的手段にすぎない。
 p25
 国民が各自の行動規範を自らの良心のうちに持たず、より上級者の存在がそれを担っているところでは、「抑圧の移譲による精神的均衡の維持」とでも言うべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲してゆくことで、全体のバランスを保つ体系である。これこそ近代日本が封建社会から受け継いだ最も大きな遺産ということができよう。(この体系はほとんどの社会組織においていまも1ミリも変らず維持されている。)