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TVから 「ポピュリズム」

 今のフラット社会が始まったのは昭和五十年だという(NHK『昭和日めくりタイムトラベル』)。私の長男の生まれた年だ。天野祐吉氏によれば、その年TV広告費が新聞広告費を初めて上回った。政治という、ともかくもシステムとしての方向性を持つものへの関心が徹底的に薄れ、毎日TVを見ながら、方向性のない消費だけで生きていく社会になっていった。国鉄が一週間の長期ストを打ったが、ストに入らない私鉄で会社に行かねばならない国民の理解は得られず、以後日本の労働運動はまったくダメになった。
 消費社会ということは資本主義の一段の高度化であり、微細な差異化の追求とともに低価格化の始まりであり、低価格化は生産地の海外への移動が始まったということであり、それは労働者の国際連帯の不可能化や国内労働者の賃金低下と仕事の奪い合いがやがて始まるということでもあったのだ。労働運動は日本だけでなくどこの国でも、以来高まりを見せることはなくなってしまった。
 そして二十年後の前世紀末。インターネットは自分の立ち位置を知らぬ人たちに、「見下されてきた自分も世界に何かを発信できる」と思い込ませるようになり、底辺のタールのような人びとが自分のただの軋み音を「個性」の発する声として勘違いし、恥ずかしがらないようになった。
 犬の散歩のとき公園で出会う、幼児を連れた若い母親の多くが同じ匂いを持っている。彼女たちがそろって発している、「平等」の体臭である。みなが同じような服を着ながら、同じように微笑みながら、隣の人はわたしより一センチ上をいっているのではないかと、比較の物指しがはっきりしないまま自分と隣人を比べている、いじましい匂いである。
 一メートル上にある人は彼女たちはあきらめる。追いつけないと観念し、卑屈になる。しかし一センチ上をいっている人には自分の憎しみの合理的な根拠を探そうとし、「みんなの雰囲気を乱す変わってるひとだ」としてその人の「自由」を許さない。
 彼女たちは「幸福になること」に頑迷である。幸福は彼女たちにとってほとんど「金銭」と同義語だが、言葉の品のなさを嫌って「頑張って手に入れる夢」と呼ぶ。「夢」と「頑張り」が、「星」と「アメリカ国旗」のように、「幸福」と「科学」のように、錯覚が結び付ける言葉であるといえば、敵意さえ示す。
 彼女たちは視線に落ち着きがない。他人のどこかに自分が出し抜かれた一センチの差を探しているからである。機会の平等を能力の平等と取り違えたという、身に覚えのある劣等感とルサンチマンがどこかに疼いているからでもある。このあたりは彼女の母親世代とまったく変るところがない。
 彼女たちは福島原発の災害を「絶対に」許せないという。ほかの何を許せても原発の事故だけは許さないという。原発は要らないともいう。全国の発電量の四十%を原発に頼っているから、彼女たちの「幸福」が四十%目減りするにもかかわらずである。ペットボトルの水と乾電池を当座の必要以上に買いあさったのは、そのような彼女たちだった。