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夏目漱石 「倫敦塔」「幻影の盾」 

 倫敦塔
 ロンドン塔にはイングランド王とスコットランド王の親戚同士の殺し合いなど、イギリス歴史の暗部が煎じ詰められている。その悲惨な物語が、漱石が数少ない真率な敬意を捧げていたシェイクスピア劇を織り交ぜながら、半小説風に紹介されている。
 新潟、松山、熊本と中学・高校の英語教師を次々に投げ出し、官費留学生にはなったもののまだ将来は定まっていなかった。ロンドンは日本人をことさら蔑んでいるように思える被害者感情もあり、あまり出歩かなかった漱石の鬱屈は重かったようだ。特定の女性が秘められているのか、古美文調の、晴れる気配のない北ヨーロッパの冬空のようなロマンティシズムが吐き出される。

 p22
 すべての反語のうち自ら知らずして後世に残る反語ほど猛烈なるものはまたとあるまい。墓石といい、記念碑といい、空しき物質にありし世を偲ばしむるの具となるにすぎない。我は去る、我を伝うるものは残ると思うは、去る我をいたましむる媒介物の残る意にて、未来の世まで反語を伝えて泡沫の身を嘲る人のなすことと思う。
 余は死ぬときに辞世も作るまい。肉は焼き、骨は粉にして西風の強く吹く日に大空に向かって撒き散らしてもらおうなどと、百代の遺恨を刻んだ倫敦塔では要らざる取り越し苦労をする。
 
 幻影の盾
 吾輩は猫である』の付録として描いたというイングランドの古代の騎士物語を模した恋愛叙事詩。今から見れば贅沢な付録もあったものだ。レベルの高い美文は、今日、読むのさえ容易ではないが、このような日本語を書ける力はもう日本の誰にも残っていない。
 漱石文学史としてはやがて、読み手によって好悪の分かれる大作『虞美人草』につながってゆく。群がる蟻か男かに糖蜜を与えては溺れ死なせたという美しい藤尾が、漱石自身に「いやな女だ」ときらわれてあえなく死んでしまう話である。

 p91
 百年の齢はめでたくも有難い。しかし少し退屈である。楽しみも多かろうが憂いも長かろう。水臭い麦酒を日ごとに浴びるより、舌を焼く酒精を半滴味わうほうが手間がかからぬ。
 百年を十で割り、十年を百で割って、余す所の半時に百年の苦薬を乗じたら矢張り百年の生を享けたのと同じことである。泰山もカメラのうちに収まり、水素も冷えれば液となる。終生の情けを、分と縮め、懸命の甘きを点と凝らしたい。