アクセス数:アクセスカウンター

夏目漱石 「門」

 作品史には詳しくないが、平凡な出来。「山門を開けて入れる人ではなく、また門を通らないで、その前をただ行過ぎる人でもなかった。要するに、門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった(巻末p281)」主人公・宗助はいかにも煮えきらず、漬物石のような世界の重さに押さえつけられたまま、漱石に放り出されてしまう。
 宗助は冬の池のなかを鈍く泳ぎまわる目立たない小さな鯉である。池には氷が張っている。ふと見ると、氷の上に空腹を紛らす虫がいる。それを食べようとしたが口は氷を打っただけで、虫はあっさり逃げてしまった。鯉は、氷を破れるはずはなかったと思い返し、もとの通り水底に戻っていつもの不味い水草のあいだをうねり歩く。仲間は「もうすぐ春が来れば虫が食える」というが、鯉は「春の後はまた秋が来る」と諦観の底にゆっくり沈む・・・・。
 そうした宗助の巻末の突然の参禅は唐突感がたしかにある。宗助のような「高等遊民」が何かにカタをつけるというように行動するのは取って付けたようだ。「修善寺の大患」の手前で体調がひどかった漱石が、「門」というタイトルをつけた以上、無理やり参禅させたという批評家の説があるくらいである。
 宗助の優柔不断は「文明に圧迫された神経衰弱」の一種ではあるが、重篤な鬱病に罹っているのではない。現代からの後付け理屈だが、それは、資本主義下の個人主義文明に浸されつつあった当時の(擬似)知識階級の人々の誰をも見舞う淡い葛藤だった。淡いというのは、資本主義(=金権主義)は理念としては克服しえないものではない、拮抗すべき社会経済体制はある「はずだ」と漠然と考えられていたからである。国家経済が強固になるのはいいことだが、名門・富豪ばかりが謳歌され、宗助たち低級官吏は淘汰におびえるとはけしからん。そういうことが素朴に嘆かれた時代であった。要するに身体的に衰弱していた漱石は重いテーマを欠き続ける気力が持たず、早々に終わらせてしまったのだ。
 宗助と妻・御米と安井のあいだに起きる微妙な三角関係も、漱石自身が捉われていた「運命」に烈しく引きずられた痛ましい事故ではなくて、スピード違反のようなもの。というのは後代だから言えることか。
 そのことが宗助と妻の後半生を淋しく、寡黙に、秋の日陰の中に置くが、それは、抵抗しがたい文明の悪が彼らの血色を奪ったのではない。宗助は、スピード違反で免許停止になったが免許取り消しになったのではないのに、自分で免許を取り消して日陰で謹慎するような人物である。その自己取り消し行為はまさに「神経衰弱」なのだが、現在では新卒社員でもこれくらいのストレスにはやられている。
 宗助が鎌倉の参禅に逃げ込まずに、坂井宅で安井と会っていたらあとの展開はどうなったのか。安井と会い、御米とのことを訊く少しだけの勇気を持たせることは、宗助の性格に照らしてそれほどの齟齬はないだろう。
 しかしそうすれば、安井が夏休みから大学に戻るとき遅れる理由になった御米との間のやりとりと、安井が後に満州で「冒険者」になるべき意識の下地と、御米をめぐる宗助と安井の険を含んだ言葉の絡み合いを書かねばならない。三角関係の深堀りはプロットだけををたどる読者には面白いが、宗助の下向きな視線をさらに地底に潜らせるだけになっただろう。あまりに陰惨な成り行きは新聞小説の読者をかえって遠ざけるとして、漱石は書かなかったのかもしれない。