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冲方丁(うぶかたとう) 「天地明察」

 星星の軌道計算による精密暦法の確立の話。養老孟司毎日新聞の書評で絶賛していたから買った。
 確かに「ライトノベル」。世間への興味を失って、こんな言葉があることすら知らなかった。冲方はコンピュータゲームの開発者らしいがなるほどと思わせる陳腐な熟語がときどき出る。若殿様の冒険ドラマに出てきそうな会話文に悩まされる気もするが、ストーリーは面白いかもしれない、どうもちゃらちゃらしたゲームソフトのような話ではない、とぐずぐず読んでいたら五十ページで引き付けられた。
 「律儀と筋とを義理で固く締め、謹厳で覆ったような男だが、決して愚鈍ではない」という、初期の漱石のような言い回しも出てくる。「男子が全霊をもって挑むのですから、下手に相手と親しくなってしまっては、勝負の緊迫が薄れるでしょう」「何より安藤が“勝負”として認めてくれたことが嬉しかった」・・・こういう書き方が十ページに一度は出てくるのだが、話が馬鹿でなければ剣豪小説のような台詞回しもたまには小気味よい。

 p190-1
 江戸時代だから神道が頻繁に登場する。神道は、仏教が伝来したときでさえ、宗教的権威をめぐって果てしなく激突し続けるということもなく、相手をまるで底のない沼地のように呑み込んでしまった。」
 宗教は、信者の信仰のあり方を説明しなければ、制度を外から書いても何を書いたことにもならないが、神道には明確な教義がないから相手を根絶やしにすることもなければ、根絶やしにされることもない。まさに日本人そのままの「宗教」であって、その故にこそ天皇家は「ただひたすら生きながらえる」世界最古の血統なのだ。
 養老孟司の評は的確だった。大ヒットするTVドラマの脚本化が容易に想定できる見事なストーリー展開。クロスメディアのプロデューサーだから多分自分が脚本を書くだろう。
各所に出てくるp456のような文章。

 「相手の布石を切ることは碁の基本である。人心の切り結びこそ朝廷工作の妙である。それがどこにあるのか、晴海は土御門の若い当主には何も言わずに思案し続けた。そして、『負けることには慣れている』そんな自分の経験に勝負の妙手を見た。勝ってなお、負けてなお、勝負の姿勢を保つ、反対派がどこまで“残心”の姿勢でいられるかを、じっと推し量った。」
 幾人もの人が旧弊墨守の公家たちの布石を切るというただ一つの問いの周りに集まる。主人公は関孝和に対する過去の惨敗を心に残し、最後の勝利の機略として立て直す。主人公の二十年にわたる精進を詳しく見てきた在野の関孝和は、世界最先端の数学理論を主人公に無償で提供する。読者は彼らのあっぱれさを粟立つ思いで感得する。
 大衆小説のあほらしさと荒唐無稽がない。主役の一人である関孝和もかなり書き込まれていて、関がニュートンと同年生まれだったことに気づくと、東洋と西洋での文化の同時進行という不思議にもふと目が行く。山粼闇斎や山鹿素行、保科正行や酒井忠清の政治的扱いにベクトルがかかっていることはよしとしよう。(TV化されたときは別だが。)