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オルハン・パムク 「わたしの名は紅」2

 p335
 すべての馬は偉大なアラーの手によって、一頭ずつ違うものとして創られたのに、細密画師たちはどうして想像の中の同じ馬だけを描くのでしょう。一頭の馬のすばらしさはその形や曲線のすばらしさなのです。それを、盲目の細密画師がそらんじて描けると主張することは、かれらこそアラーと競う冒涜行為をしていることにならないでしょうか。
 彼らは、馬が走るとき両足が揃って前に出ているように描きます。そんな風に、兎のように走る馬はいない。片一方の前足が前にあれば、もう一つは後ろにあるのです。
 p479
 イスラムの細密画では(神の見おろす世界の)意味が形に先行する。ヨーロッパの名人を真似て描き始めると、意味の領域が終わって形の領域が始まる。
 p510
 どの人物も、ユダヤの行商女エステルのように、すべてを話さない。ほのめかしはいつもあるがそれらはいつも半分はいんちきである。
 p529
 ヴェールをかぶらない女の顔を見て私たち男は情欲を起こしたり深い精神的苦悩を引き起こす。やむを得ずその情欲を満足させるためには、女の代わりになるほど美しい少年たちと親しくなるのが一番だが、これはついには甘美な習慣となってしまう。
 ヨーロッパでは、女たちはうなじや髪や美しい足までをも見せて歩くという。その結果男たちの悩みや苦しさが深まり、このことは社会をも麻痺させるに至る。ヨーロッパの異教徒がオスマントルコに次々に城を明け渡した理由はここにある。
 p541 
 新しいシャーや新しい時代の好みへのへつらいを拒むために、昔の細密画名人たちは全生涯をかけて獲得した様式を変えるよりは、羽飾り用の針で自分の目を刺して盲になる途を選んだのだ。
 p594
 いつの日か、ここトルコでも、自分の一生を、神に生かされたのでなく自分が生きたように恐れずに肖像画を描くことになるだろう。
 p598
 しかしすべての過去を裏切ってスタイルとヨーロッパの個性を持とうとしても成功しない。我々の肖像画を見るヨーロッパの名人は微笑み、その哀れみの微笑は彼らの君主に伝染する。オスマントルコ人オスマントルコ人であることをやめたといって、彼らはもう俺たちを恐れなくなる。
 『紅』では、謎が重なり合い迷路にひしめき合うがそれが集合してブラックホールになっていくのではなく、一つの平面に曼荼羅のようにばらまかれる。挿話の一つ一つで、西欧とアラブの絵画論の知識が大学の一般教養のように読者の上に落ちてくる。『雪』のように、女に殺されかけないと分からない詩となって読者を根底から揺さぶることはない。鋭いが軽い知識は、それゆえに卑俗に堕す危険がある。
 『雪』には、吹雪の下から遠い世界を望むロマンティシズムがあったが、『紅』には中世トルコ・スルタンの残虐さに染まった、風呂に入らず埃っぽい大衆の、ニンニク臭い息がある。砂漠の悪魔の舌が夜中でも喋りまくっている。『紅』で終わればパムクは「中東のチャンドラー(のような超絶技巧小説家)」で終わっていただろう。
 アラブ世界が西欧と互角以上に対峙していた時代。パリ人にもヴェネチア人にも、イスタンブールアリストテレス学の都としての意味を持っていた。西欧の優越のまなざしはまだなく、科学技術はほとんどがイスラム由来のものばかりだった。西欧絵画の遠近法をアラーの視点を盗む異端であるとするなど、原理主義は市民に恐怖を与えていたが、それはイスラム内部での内輪もめであり、西欧に対するコンプレックスと交じり合うことはなかった。このゆえに、「遅れているイスラームにデモクラシー・自由・人権を猿のように真似させる」西欧との対決の軸がなく、そのぶん「神に最も近い我らを這い蹲らせる西欧」への民衆感情を描く『雪』のようには、読者を震わせるものがなかった。