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ヤロスラフ・ハシェク 「兵士シュヴェイクの冒険」1

 おととし暮れ、何かの本で高い評判があったので買ったのだが、間違いなく傑作。全ページにわたって、オーストリアハプスブルク帝国の権力とそれに小突き回されるチェコ民衆の両方にたいする悪罵、皮肉、からかい、デタラメ、、とんちんかん、面白半分の真面目くさり、詐欺、こそ泥の屁理屈などがげっぷが出るほど続く。
 兵役逃れの仮病人にさせられてしまった主人公シュヴェイクは間抜けであるが臆病ではなく、痛い目に合わされてもあくる日はけろっとして上官を瞞着し、とめどないヨタ噺で煙に巻く、どう料理しても食えないリアリストである。三○ページに一回は大笑いさせられる。
 背景では、オーストリアハンガリー帝国(ハプスブルク家)の呆れるような搾取と偽善と暴力が、権力の末端にある下級軍人を通して描写される。この治世が二百年も続けば、たしかに西欧のような自作農を中心とした「市民」は絶対に育たなかっただろう。バルカンのいまの混乱は、民衆を殺さない程度にしか生かさなかったオーストリアハンガリー帝国の激しい搾取が作り出したものである。ブルボン末期の美しい建築や芸術もハプスブルクの女たちによってもたらされ保護されたものだった。
 キリスト教も、作者ハシェクは権力装置として忌み嫌っている。十字架上のイエスを「腐って悪臭を放ち、ガチョウの司教よろしく、からだが緑がかっている、円光をつけた裸の男」として書いている。
 しかし、泥酔状態でしかミサをやらない従軍司祭には、ハシェクは心情を入れている。この従軍司祭は酒と女といかさま賭博しかやらない。そのあげく連隊の中尉からマラソン大会優勝のカップを借りて聖杯に代用し、それを兵隊たちを拝ませるような男である。ハシェクが第一次大戦に従軍していれば、従軍司祭と同じようにふるまっただろう。

 p304
 ヨタ噺の一例。従卒の歴史書というものがあるなら、わたしたちはそこに、トレドの包囲戦のときアルマヴィール大公(架空の人物)が飢えに耐えかねて自分の従卒を塩もつけないで食べた、という出来事を見出すであろう。
 p307
 戦線の中隊では将校用テーブルからのおこぼれを中心にして従卒・伝令兵・主計曹長三頭政治ができあがる。将校とじかに接触しながらその日その日を送るこの三人組は、あらゆる作戦や軍の計画を知っている。 
 ナチススターリンの住民思想調査などは、ハプスブルク帝国時代のオーストリア内務省からの伝統を継いでいる。ナチス親衛隊が考え出したものは何もなかったのではと思えるほど、オーストリア内務省の住民思想調査は徹底したものだったらしい。ドイツ語はしつこくやることに向いている。
 第一次大戦直前には、小さな中欧・バルカン地方の中にチェコ人、ロシア人、ドイツ人、ハンガリー人、オーストリア人、セルビア人、トルコ人などがまだら模様に住みつき、それを中世以来多くの国々に君主を出しすぎたことで無国籍状態にあったハプスブルク家が強欲に統治していた。だからシェーンブルン宮殿の広い庭園を散歩中の皇帝はいつ民衆に寝首をかかれるかわからなかった。
 さらに四国同盟中のイングランド、フランスなどには「市民の議会」からなる法の支配が確立されており、こうした近代国家が中世のような時代錯誤のハプスブルク家を包囲していた。
 宗教と経済格差を軸に、闇夜にすれ違う盗賊集団のような民族の排他感情は数世紀にわたって持続する。一方で国家の次元では、産業革命の原材料収奪先と商品押し込め先を争う帝国主義的膨張が始まっていた。これ以上奪われまいとする民衆と、内外でより強くなろうとする権力の関係は、ほぐしようがないほどもつれていた。かつての日本のように一直線の上下一元的であるほうが、氷を冷たいというシロクマのように病的なのであって、世界から見れば小児的に映ったに違いない。スパイと密告はバザールでの噂話のように真実味を帯びており、正直はナイーブと同程度の美徳としかみなされなかった。