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ゲーテ 「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」 1

 十八世紀末、ナポレオンより二十歳年長の大天才の悠揚感が十分に伝わってくる。ドイツ統一に向けて小さな公国の戦争が増え始め、近代を作り出すナポレオンの革命は目前に迫るが、その意味を感知できるはずもないドイツ貴族制はまだ十分に安泰だった。
 大貴族の土地資産への免税制度や呆れるような私有財産に疑義が出されはじめたが、「身分」はゲーテを初めとして社会の誰にとっても疑い得ない与件だった。社会は偽善に満ちていたがそれは二十世紀が進んだ世紀であるとの、祖先を見下す自己満足の視点である。ゲーテ時代の民衆に平等をあたえることは、草原の牛にオオカミとの共存を説くようなものだった。進歩より草が好きな牛には迷惑な話だったろう。
 ナポレオンもゲーテショパンメンデルスゾーンドラクロアジョルジュ・サンドマルクススタンダールバルザックもみんな同時代人だった。これだけの天才が(ゲーテは隣国だったが)一つの都市パリにいたという時代。いま何人の天才が、ニューヨークにいるのか。いまこのレベルの天才は、そもそもいるのか。パリが当時異次元の圧倒的な存在感を持っていたことが、フランス人のアメリカ人への侮蔑の根拠の一つである。
 いまは平等な民衆は天才であることそのものを、平等の夢を嗤い、壊すものとして許さない時代である。僕たちの時代は、なぜこうも子供じみてしまったのだろう。サッカースタジアムでは、皆と同じ応援をしない人は冷ややかな視線に包囲される。民衆のひとりに、多数に同調しないための原理をくみ出す源泉などあるはずはなく、「みんなと意見を異にすること」を暴露されたらたちまち生きて行けなくなる。いまサッカースタジアムは、多数ゆえの正義という、家畜のようなポピュリズムの最も危うい外郭である。
 しかし、だ。これほど何も残さない本は今まであったろうか。ゲーテだから読了したとも思う。ゲーテはどんな意図をもって書き継いだのか。あるいはもともとはこれは一冊の本として書き下ろしたのではなく、「崇高な魂の遍歴」についてさまざまな折に書いた随筆を、あとで少しだけ脈絡をつけて編んだのか。岩波文庫で一千ページの厚みの中から抜書きする気になったのは、たった数行である。

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 フランス語は留保したり、曖昧なことをいったり、嘘をつくにはうってつけの言葉なのです。ドイツ語のトロイロース(不実な)なんかは無邪気な子供です。フランス語perufideはトロイロースに、享楽と傲慢と意地悪を付け加えたものです。こんな微妙なニュアンスを一語で表現できる国民はうらやましい限りです。フランス語は本当に世界語です。世界中の人が騙しあったり、嘘をついたりするのには。