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オルハン・パムク 「無垢の博物館」 2

 p168
 婚約式の会場で、婚約相手のスィベルは、自らが思い描き計画していた“幸福な人生”がいままさに実現しつつあるので有頂天だった。まるで体の皺の一つ一つに至るまでが、ドレスにあしらわれた真珠や襞や結び目の計算しつくされた美しさに、完璧に見合うものとなっているのと同じように。
 p223-7
 愚かにもわたしは、スィベルと婚約してもフュスンと逢えると思っていた。しかし、婚約式が終わった翌日になっても、次の日になっても、さらに四日が過ぎてもフュスンは来なかった。約束の時間よりも早くアパルトマンに着くと待つ苦痛がより大きくなるとわかって以降は、五分前より早くには行かないことにした。そして待つ間、恋しさと希望がないまぜになって、心臓と腹の間に耐えがたい痛みを引き起こした。そして頭の中は、フュスンがつぎの日は来るかもしれないという沢山の理由――あるいは虚妄――でいっぱいだった。
 p239
 あるときフュスンは「スィベルさんと会う前に私と出会いたかったって、考えたことはある?」と尋ねた。クロワッサンを口に含むとそれを食べているときに彼女と交わした会話がよみがえり、ほんの一時だけ苦痛を和らぐようになる、また、彼女の残した吸殻を唇に銜え込むと彼女になったような気になって陶然となる。(そのようなフュスンは『アレキサンドリア・カルテット』のジュスティーヌである。『雪』のイペッキもそうだった。) 
 p253-5
 わたしはそれまでフュスンと関連のあった場所への立ち入りを厳しく制限し、彼女の面影が残る品々と距離を置いてはみたものの、残念ながら忘れることはできなかった。街角の雑踏やパーティの人いきれの中に亡霊のようなフュスンの姿を目にするようになったからだ。
 (精神の狂いにつながる)こうした亡霊はみな、フュスンではなく、不幸なわたしの魂に生じる有象無象の情念が生み出したものであると、理解しているつもりだった。しかし幻ではあっても、彼女と出会えば幸福感に包まれるのも事実だった。
 p269
 婚約者スィベルは酔いにも背中を押されて、わたしを強く抱きしめてくれた。わたしが苦悩をひた隠しにしている同じイスタンブルの街角では、共産主義者民族主義者が銃撃戦を繰り広げ、そのかたわらで。何事かを察しながらわたしの懊悩の原因を言い当てられないことが、物思いにふけるスィベルの精神にある種の深みを与えていた。
 p295
 罪を告白してしまったわたしは婚約者スィベルと、両親が三十六年間向かい合って食事をしてきた食卓で朝食をとった。人生というものが山羊のチーズやイチゴのペーストが添えられたありふれた朝食のように、何かの繰り返しであるということ、そして時がたてばすべての記憶が容赦なく風化してしまうということを、わたしは言っているのだ。
 p343
 父の死後、母が言った。「お父さんのやり方、あなたたちも見たでしょう?死ぬときでさえあの女のこと何も言ってくれなかったわ。わたしは全部知っていたのに。」