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オルハン・パムク 「無垢の博物館」 3

 下巻p23・34
 「夫の映画の仕事にようやくお金を出す気になったのね?・・・・あなたが来るのはべつにいいけど、お金を待たされるのはもううんざりなの」。わたしの婚約式の直後に結婚していたフュスンからこのような暴言を聞いて、平気な顔でいろというのは不可能である。敗北を堂々と受け入れることは、あらゆる民族が学びたいと願う知恵であるかもしれないと、ふと思った。
 p58
 フュスンの母親に夕食にいらっしゃいなと誘われて十日後から、わたしはフュスンの家族の奇妙な一員として七年と十ヶ月間夕食を共にした。もし読者が「直線としての時間」でなく、かけがえのない膨大な瞬間一つ一つを介して人生を学んだとすれば、愛する人の食卓で八年もの間幸せを待ち続けたことを、一笑に付すべき奇矯な振る舞い、馬鹿げた行いとは見なせまい。
 p98
 フュスンの家でビンゴをするという行為は、あの頃に訪れた否定しようのない人生の変化を象徴する。週に四日も五日もフュスンの家に通う幸せと引き換えに、それまでの裕福な習慣の多くを犠牲にしてなお、わたしは以前のフュスンとの暮らしに戻れるのではないかと信じようとしていたのだ。
 p203
 人生とは未来に向けて開け放たれ愉悦にあふれた冒険行だ、と思い込んでいた私という若者が、痛憤と失望にとりつかれた一人の男に変わり、先には大きな勝利もなく幸いも待っていないのだという虚無が、徐々に鎌首をもたげはじめていた。
 p207-8
 わたしがいないとき、フュスンは煙草を根元まで喫っていた。わたしがいる晩のフュスンは、別れた婚約者・スィベルがお上品に煙草を喫うときのように、半ばまでしか喫おうとしなかった。(『雪』のイペッキも作者から「パンの切り方が厚い」と厳しく指摘された。由緒ある家庭に育ち高度に西欧風の教育を受けた作者パムク。彼はこのようなしぐさに馴染めない階層の人としての自分を、強く批判的に意識していた。)
 あるときには忌々しげに煙草を灰皿に押し付ける。これは内心の焦燥をあらわしていた。吸い指しを灰皿の底に執拗に押し付け、誰も見ていないのをいいことに、蛇の頭をゆっくりと締め上げて悦にいる子供のように、力を入れてゆっくりと押しつぶす。わたしはその様子を目にするといつも不安になった。
 ゆっくりと押しつぶされたものの一本は、TV映画でやっていた有名俳優が 「人生でいちばんの間違いってのは、より多くを求めることでしか幸せになろうとしないことなんだ」 と相手女優に言ったときに消されたものである。
 p211-218
 「あるとき」という小さな章は秀逸。「あるときはフュスンと一緒にこんなことをした」といって語られる幾百ものできごとの 「たった一枚ずつの写真のような記憶」 だけが、フュスンに焦がれたケマルの 「失われた時」 の意味である。フュスンとの思い出を「彼岸」にまで繋ぐ記念として、恋をして我を見失い烈しく壊れていく男が、細々としたボタンやコップ、フュスンの櫛や吸殻、古い写真等を、風化しない記憶そのものとして「無垢の博物館」に収蔵していく・・・。
 p282
 母がケマルに言う。「男と女が隣り合わせにも座れない、待ち合わせしておしゃべりもできないトルコという国で、愛なんてちゃんちゃらおかしい話よ。フュスンと愛し合っていたなんて、自分を誤魔化さないで頂戴。」
 p400
 でも母さんには知っていてほしい。ぼくがとても幸せな人生を生きたということを。