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アーサー・ケストラー 「真昼の暗黒」

 p129
 「われわれは人民の党と呼ばれた。他の連中は人民という水面の変化には一応気がついていたが、それを説明することはできなかった。しかしわれわれは水底まで下りていったのだ。形もない、名前もない、しかし歴史というものの実体を形成している大衆のところへね。そして歴史の運動法則を最初に発見したのがわれわれだった。歴史の慣性の法則を発見し、その分子構造の緩慢な変化の法則を発見し、その急激な爆発の法則を発見したのだ。」
 p233
 (論理的思考を進めるためには)「人はこの世を、感情のための一種の形而上的売春宿とみなしてはいけない。これこそ第一の戒律だ。同情、良心、嫌悪、絶望、後悔、贖罪、こういったものは厭うべき放蕩なのだ。」
 p254
 「大衆の政治的成熟は絶対的な数字で計ることはできない。技術的改良は経済構造を複雑にするから、当面は大衆が理解できない要因を生み出す。あらゆる技術的進歩のたびに大衆の知的発達は相対的に一歩遅れ、かくして政治的成熟の度合いは下がっていく。大衆が事態の変化に徐々に適応し、低いレベルの文明の時代に彼らがもっていた自治統治能力を取り戻すまでには、ときには数世代も要することがある。二十世紀前半の諸国民の相対的な政治的成熟度は、封建時代の末期よりも高くないということがありうる。」
 わたしたちの世代が作り出した“乾いた声の、もったいぶった、やたら仔細な様子で書類を引っ掻き回している若僧”は、この平民の時代にはどこの国にもいる。五十代の人間から見れば「社会的成熟度」がいくつになっても高くなりそうにない連中である。
 頭が筋肉からできている平民にとっては、成熟とは肉体が打ち破られることに過ぎない。二十年後、社会は間違いなくその連中が真ん中にいて、連中も子供の世代をわれわれと同じく嘆いている。そうしてみれば社会は螺旋状にまっさかさまに落ちて行っているように見えるが、孔子の時代が今より高尚だったわけではない。明治の知識人は今よりも難しい漢字を読み書きできたが、それは知力とはあまり関係のないことであって、晦渋なエスキモーの文法も親から学べばどうということはないのと同じである。教育とは詰め込みでしかないのだから。
 時代が自分たちにめぐってきたことを嗅覚で感じた平民どもは、厳しい教育を自由を奪うものだとか、一部貴族主義者の世界観の押し付けだとか言って、動物のような自分の子供の訓練を数十年前に葬った。

 p382
 「社会的苦しみの廃絶こそ、革命の唯一つの目的だった。しかしその廃絶は、生物学的苦しみの総量を一時的に法外に増大させるという代価を払ってのみ可能であることが判明した。その正当化は「人類」という抽象概念で考えればもちろん正しい。しかし骨と肉と血と皮膚をそなえた個人に当てはめればとんでもない結果に行き着く。党は彼が捧げるものをすべて受け取ったが、彼の疑問には答えてくれなかった。」
 p389
 「われわれは倫理というバラスト(底荷)を積まずに航海している。諸悪の根源はおそらくここにある。理性だけというのは欠陥のある羅針盤である。」
 同じスターリニズムの抑圧を扱ったオーウェル1984年」に比べて展開の起伏、自由を剥がし落とすことの酷薄さ、思考と言葉のかかわりへの思い、メタファーの鮮やかさなど、すべてに比較になるものではなかった。(党によって自由意志を否定されている「個人」「私」)に関する「文法的虚構」は何を言っているのか理解しにくい。