アクセス数:アクセスカウンター

大嶋幸範 雑記 『生体組織と構造』

 生命組織が「ある構造をとればある機能が必然的に生まれる」のは養老孟司によれば解剖学者にとっては自明のことである。神経細胞膵臓細胞はそれぞれ固有の機能を持つためにいまの構造と形になったのではない。まったく逆である。いまの構造と形を持ったからこそ刺激を電気信号として伝えたり、タンパク消化酵素インシュリンを分泌するようになったのだ。
 神経細胞膵臓細胞も、しかしそれら固有の機能を果たすために内部で働いているのは、細胞膜内外のナトリウムイオンの濃度勾配というシュレジンガーの拡散の法則にも似た、きわめて単純な同じ物理作用のみである。
 生命は、鉱物と同じように目的を持たない。超微細世界の電磁力学の必然性だけが内で働いている。そしてそれが固有の形の中で営まれるとき、きわめて多様な生命現象となってアウトプットされてくる。膵臓細胞は肝臓細胞ではなく膵臓細胞の形態を取ったために、同じ物理作用によりながら膵臓細胞独自の機能が生まれたのだ。この形態分化の指示は、外のどこからも来ない。細胞内部にも指示器官があるのではない。発生の初期、クリティカルな時期に隣接細胞との交信によってのみ分化は進む。
 これは「偶然」なのですらない。「偶然」を読み取るのはたとえば膵臓細胞の精妙な機能に、読む人の側が合目的性を感じ取ってしまうからである。たぐいまれな偶然の連鎖がなければ膵臓細胞の奇跡のような機能が組みあがることはありえないと。この気持は「神意」を感じ取る古代人の気持ととても近い。すべてを支配する大きな意思がこのような機能がかたち作ったに違いないと。
 「偶然」を読み取るときは、善意も悪意も持たない電磁力学の必然性を忘れがちになる。ある分子量の膜を隔ててナトリウムイオンの濃度勾配が存在し、そのそばにATP(アデノシン三リン酸)がADP(同二リン酸)に分解されて生まれたリン酸一個分の結合エネルギーがあるとき、その濃度勾配はそのエネルギー分だけ「変化せざるをえない」という必然性である。それは炎に当てられた紙は地球上では燃えざるをえないのと同じなのだ。紙が燃えるのは合目的性がそう命じているからではない。二次元の平面上では円周率はπであらざるを得ないのも同様である。