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小田実 「大地と星輝く天の子」 2

 下巻p41あたり
 アテナイ市民は、冷徹な「リアリスト」である民主政治家、貴族主義の貧乏貴族からその息子の新世代市民、靴屋の親子、市場ぶらつき老人といった「サルのような民衆」までソクラテスに死刑という石を投げる。ソクラテスは「諸君が有罪と決めたのなら私は有罪なのだろう。しかし量刑は銀一ムナが相当だ。プラトンらが銀三十ムナの大金を保証するならそれでもいい」とさらに反感をあおるかのように言い放つ。法廷は人民裁判の怒号の場となり、善と真実のひとは必然にしたがってイデアへの殉教まで突き進むほかはない。三六一票対一四〇票の圧倒的多数で死刑が確定するが、賛成側、反対側とも半数は、翌日再投票すればどちらに転ぶかわからないような人々である。
 小田実ベトナムのために既存の組織にまったく頼らない、市民個人の「自由意志」からなる反戦運動を立ち上げたが、厳粛な資金の問題が運動の命脈を見事に干上がらせた。「お上」と民草を合わせてこそお国が成り立つとするところに市民は育たなかったし、これからも育たない。市民概念すらない日本の新世代に小田の後を継ぐどんな政治運動が期待できようか。「翌日再投票すればどちらに転ぶかわからないようなサル」を何千年たったらかえられよう。

 p46−56
 ペリクレス時代のアテナイは善をなそうとするものにどんな時代であったのか。大地は乾き、星は輝き、政治は不正を糊塗し、ならず者の大国は衛星国のうえに居座り続け、民はそのおこぼれに我先にあずかろうとして、日々、ケルドンの糸に繋がれたカブトムシのようなわびしい争いを繰り返す。世は本当にいつも末法なのか。
 ソクラテス最後の演説。 「アテナイ人諸君、私は厚顔と無恥が欠けていたために敗れた。しかし私にとっては死を免れることよりも、むしろ下劣を免れるほうがずっと困難である。私は自分に課せられた裁定に服するが、私を訴えた人たちは真理の手によって下劣と不正の刑を宣告され、アテナイから退場して行くのだ。 私は諸君の生活がまちがっていると吟味して死刑判決を受けたが、これからはさらに多くの人間が現れて諸君の生活を吟味にかけるだろう。彼らは若く、それだけ手ごわく、諸君の苦しみもさらに大きくなるだろう。」
 二千五百年後、「彼ら」はさらに若く、手ごわくなり、市民の賃労働にたいする吟味は苛烈になった。民衆は耳に快いことを言わぬ者を殺したがる。しかし後世必ずそのことを惜しむ人がある確率であらわれ、自らの祖先が殺した殉教者を胸に刻む。
 ソクラテスの善良な戦友ヒッピアスは死刑に投票したアテナイ市民がソクラテスから最終的に見放されたことに絶望したが、善良という資質だけでは後世にその一言も残すことはできなかった。弟子プラトンだけが人間の智慧と善意の象徴たる師の最期を伝え、アリストテレスの論理学とともに、キリスト教世界宗教たるにふさわしい哲学・倫理学の外衣を着せた。

 p136
 (新世代の自由市民である)ケルドンは「死ねないから生きているんだろう」と不意をつかれた。それから「ご名答、はっはっは」と軽く笑ったが、その笑い方は民会の弁論屋どもの醜悪な真似だった。この若者の言葉ひとつひとつに、なにか反発したくなるものがある。彼が自分を世界の中心にいるかのようにして話しているからかもしれない。
 その彼にも、まもなく濃い口ひげ、顎ひげが密生し始める。ある日、彼は自分が愛されるものではなく、愛を求めてむなしい行為を続けなくてはならない者になったことを悟るだろう。
 p218
 法律が支配するこのアテナイの社会で、最も不正な人間と見える男でも、野蛮人と比べればあらゆる点でましだろう。ついこの間の三十人軍事政権の時代と比べてもいい。いまの時代は“よりよい”ものではないのかね。
 p335
 遅かれ早かれ、ソクラテスのような人物は死ぬべきだったのだ。世界が今のようなかたちであるときには、その世界に不信を抱く人物は、誰であれ・・・。
 柴田翔の解説・・・「民衆たちの行方」というタイトル。
 「民衆たちはどこにも行かない。飼われる羊の群れのように。草を一日中食べている。草の根まで食べてしまうから砂漠化が起きたりして、自分たち自身が飢えてしまうが、羊に明日のことは分からない。だから、きょうも腹いっぱい食べ続けるし子孫も増やさなければならない。悩むのは、その日を楽しく食い過ごす羊たちを見る、ソクラテス側についたわずかな飼い主だけである。
 羊は砂漠化がおきても悩まない。時間を知らないから明日どうなると不安になることはない。草が減って雌羊をさがす意欲が減退するだけである。羊の数は自然に減っていく。しかしそれで種の絶滅などは考えもしない。自分の死も、時間を知らない羊にとっては考えられないことなのだから。」
 魅力的な人間の一人、エジプトで買われた奴隷ガストロン。奴隷は、屈辱と引き換えに買い取られた自分の生活を決して主人に感謝しているわけではない。無為の市民と違い、彼らはいつも働いているから市内の情報ネットワークはつねに更新され、ガストロンは市民が恐怖する最新の情報を握っている。彼の情報は世代を超えて受け継がれ、ずっと先の奴隷の覇権を深謀しているだろう。
 小田実は、民衆とその世界に不信を抱きながらどうして政治に入っていったのか。サルトルも、スターリンが暴かれるまでは、暴かれてもしばらくはソ連に肩入れした。少年のときすでに、崩壊した世界の底から不可能な「理念」を観想していたサルトルが。