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ニコラス・カー 「ネットバカ」 1

 p11
 長期的に見れば、われわれの思考や行動に影響を与えるのはメディアの伝える内容よりも、メディア自体である。(マクルーハン
 インターネットが図書館に比べて知識検索に絶大な効果を発揮するのは事実である。正しいリンクを使えば、ある仮説の検証や事実の深耕は格段に容易になる。たとえば「イアーゴウのこの台詞の解釈は誰某はこうだとし、べつの誰某はどうだとしている」というたぐいの調べは百分の一の時間でできる。その一方で、ネットで調べる人が資料をナナメ読みしかできなくなり、論文も無味無臭の短文を棒切れのように重ね置いたようなものしか書けなくなっているのも疑いなく事実である。
 この本が 「シェークスピアはそんなことを望んでいるだろうか。書誌学的事実を積み上げて、それがなんだ」 と論旨を運んでいくのか。それとも 「知のイメージそのものが変り、詩や芸術などこれまで“価値”あるものと信仰されてきたカテゴリーが(ナナメ読みされてしかるべき)その他の大衆知と同じだと思うような人間を増殖させた。ここにいたって知のニヒリズムは隠すべくもない」 と進めるのか。ナナメ読みすべき本でなければいいが。

 p48
 ロックなど経験主義者は誕生時の精神は白紙状態であり、すべては生きているうちに学ぶことを通じて獲得されるという。カントなど合理主義者は、われわれは世界を認識するためのテンプレートを作りつけられた状態で誕生するという。実際は互いに補足し合っているのであり、遺伝子はニューロン間結合の多くを特定しているが、このニューロン間結合こそ世界認識の「テンプレート」であって、その上に精神の絶えざる再形成が行われる。
 テンプレートはわれわれがドライブする道のガードレールにたとえられるが、ガードレールが規制する道幅はかなり広い。日ごと、瞬間ごとに何をどう行うかによってシナプス内での化学物質の流れが変り脳は変化してゆく。
 p55−57
 脳の損傷回復に希望を与える訓練による神経組織の可塑性は、全面的にいいニュースというわけには行かない。身体的あるいは精神的活動の繰り返しは、脳内の特定の回路を強化することであり、今度はそれらの活動が「習慣」へと変化し始める。それは最終的には「厳密に定められた行動」へとわれわれを閉じ込めてしまう。可塑的であるとは弾力性があることではない。ネットという最も抵抗の少ない水路に入りこむと、戻るのは難しい。
 読書の達人の脳は、テキストのすばやい解読に特化した領野が発達している。この領野は重要な視覚的・音韻的・記号的情報を猛スピードで検索するよう(習慣によって)配線されている。
 W.ジェームズ「心理学」(上)p200「外界からの影響に時間をかけて抵抗しながら徐々に新しいものに屈してゆく、弱さと強さを併せ持つ神経組織の可塑的構造。新しい習慣の獲得は、つまるところ複合された有機物質である神経組織の構造変化に由来する。」が思い出される。
 p61
 脳は、および脳が生み出す精神は、永遠に制作途中の作品である。個人レベルでも種全体でも。インターネットは、印刷技術の発明とは違って、人類の全体が同じ経験を同時にする画期的なできごとだ。世界の10億を超える人が同じ水路に入って、「難解さはショートカットする」という特定の回路を強化しようとしている。ショートカットしたときに現れる別種の難解な人生に、「ショートカット性癖」が定着した人々はどのような反応をするのだろう。人類の新しい展開(進化=evolution)が複雑に加速しようとしている。
 幼児期に「ショートカット性癖」のついた人たちはそのまま思春期、学生時代を送り、ローラースケートを履いたまま抵抗の少ない水路を通って老衰していくだろう。ショートカットを受け入れない人々は重い水の抵抗を受けながらのろのろと進むしかないが、ローラースケートの人々がさして楽しそうにすべっているのではないことを後ろから見る余裕もあるだろう。