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TVから 「植物の意志」

 植物の種子には、自分を遠くに飛ばすためにグライダーの滑空翼やヘリコプターの回転翼を持ったものが数多くある。その植物は「種子を遠くに飛ばそう」という意志をもっているといわれる。しかしその「意志」はわれわれのような意志ではない、といわれる。
 では「われわれの意志」とは何ものか。私はもっと上手な文を書こうと「意志」している。その「意志」とは、何種類かの神経組織が無意識の連関の中ではたらいて単語群を拾い出し、手の筋肉組織に文字の形をなぞらせようとしている体内現象をあらわしている。そこに、もっと遠くに飛ぼうと「考えた」種子の滑空翼以上のことにつながるものを見出すことは可能だろうか。言葉を紡ぎ出そうとする細胞のネットワークと、種子が自分の形を変えようとする細胞のネットワークが、生体組織の中で全く違うカテゴリーに属するとは思えない。種子が「より遠くに飛ぼうと考えて」何百世代のあいだに生体組織の調整に成功したならば、種子にも、未来の自分を変えようとする、もっと上手な文章を書こうとする人間とまったく同じ意志が存在することになる。
 体内の組織は地球上の重力や電磁環境の中でその構造を採ることによって、その構造からは物理学的に必然なあるアウトプットを採らざるを得ない。その構造が今までよりはよい未来を開くことに成功した場合は、その構造は、勢いの赴くところに従って拡大再生産される、失敗した場合は縮小再生産に陥るということを、私たちは近年理解し始めたところである。
 文字を書くとき、意識に関係する神経組織から手の筋肉細胞に刺激が伝わる直前に、手の筋肉細胞は無意識に動き始めている(ベンジャミン・リベットの実験)。この意識の遅延が二百ミリ秒と非常に短いため私たちはそれを自覚できず、すべてを意識的におこなっていると錯覚している。この200ミリ秒を意識が捉えることは絶対にない。その後にしか意識は始まらないのだから。
 植物の種子には、のろまなくせに自分を「外側に」立って後付け理屈で「考える」意識が欠けているだけである。しかもこの後付けの意識は、われわれが地上で大きな問題を起こさないでに済むことに対して、大した役割を果たしていない。むしろ地上の大きな問題の多くは、たいていこの後付けの意識が元凶になっている。
 意識は人間のような、多くの体性反射が劣化した動物には、その劣化を十分に補償するかに見える重宝なものである。だからこそ数百万年にわたって意識の能力は拡大再生産されつづけ、そのコインの裏側として自己満足も十分に貯めこんできた。しかし冷酷な宇宙はそうした地上でのあり方になんの関心ももっていないことには、あまり気づいていない。