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ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 2

 p32
 勉強が苦手でほとんど本を読まず父親を嘆かせていたアイヒマンは、シオニズム運動のさきがけとなったヘルツルの『ユダヤ人国家』を読んでたちまちで心酔し、自分が「理想主義者」であることを発見してしまった。理想主義者とはアイヒマンによれば、自分の理想のためにすべてのものとすべての人を犠牲にする覚悟のある人間だった。一九六○年アルゼンチンで逮捕されたあと、彼がいかに命令に忠実であり、絶対服従の覚悟があったかをモサドの取調官に強調したのは、自分が(真剣に思い煩う銀行の中間管理職のような)理想主義者であったかを示したかったからである。
 シオニズム運動とは、いうまでもなく、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教イディッシュ語によるユダヤイスラエル文化の復興運動を興そうとするユダヤ人の近代的運動である。この運動に強い影響を与えたヘルツルの『ユダヤ人国家』には、そうしたユダヤ人国家の理想像と国家建設のプログラムが詳細に記されている。したがってドイツ人社会の中ではきわめて危険な思想信条を含む著作であったのだが、子供時代何の本も読まなかったアイヒマンには、中に書かれている主義主張はどうでもよかったのだ。
 理想のためにドイツ国民が一致団結し、多くの困難に立ち向かうという陳腐なヒロイズムが、生涯続くアイヒマンのあさはかな皮膚感覚を撫で回したのである。無責任なアイヒマンには、理想を考えるのは「自分」ではなく、他人でなければならなかった。それも「自分より上位にある特別な誰か」が考えてくれる理想であれば一層よかった。

 p38
 アイヒマンは、文法規則を無視し、決まり文句に決まり文句を重ねて、だれにも理解できない文章をとどまるところを知らずに書く。軽い失語症を学校時代から自覚していたようだが、このコミュニケーション能力の不足は、彼の場合(他の人の立場にたって)考える能力の不足そのものである。
 彼とは意志の疎通が不可能だが、それは他人(すなわち現実そのもの)に対する想像力の欠如という完璧な防衛機構で身を鎧っているからである。(端的には、言いたいことを型にはまった文句や美辞麗句で言い放つだけの、どこにでもいる人間ということである。こういう人間とは、相手の話を十分に聞いてからこちらの言うことを十分に聞かせる、という「対話」が成り立たない。)
 p41
 アルゼンチンで逮捕され、イスラエルに拘束されたアイヒマンは「自分は昔の敵と和解できればと思う」と言った。自身で「すばらしい悲壮感を味わいながら」。この言語道断な決まり文句のたぐいが彼の頭には溢れんばかりに詰め込まれていた。判事は彼の良心に訴えようとするたびに、この「昂揚する・悲壮な」自家製の決まり文句を聞かされ、うんざりさせられた。
 尼崎市でのJR脱線事故があったとき、TVのインタビュアーに叫んでいた乗客大衆の悲壮な正義感と何と変わりないことか。「乗客の命はJRトップの無為によって放擲された安全の理想を打ち立てるための柱石になったのだ」と、犠牲者の遺族代表は大仰な言葉を使っていた。決まり文句が言われる場合、語る声の大きさは内容の信実度に反比例することは東西の常識である。)
 p30-31
 一九三八年、ポグロムが起き、ユダヤ人の七千五百の店のウィンドーが破壊され、すべてのユダヤ教会堂が炎上し、二万人のユダヤ人男性が強制収容所に送られるまでは、ユダヤ人も、彼らの社会の役員と親しかったアイヒマンも「愚者の楽園」に生きていた。ユダヤ人内の「周囲の多数民族への同化」主義者も教条的シオニストも、一九三五年頃までは大規模な「ユダヤ民族の再生」 「ドイツユダヤ人社会の建設運動」というような言葉を使っているほどの呑気さだった。 
 p33
 ナチズムは政党ではなく、ひと月ごとに過激になる「運動」である。政党は綱領に束縛されるが、ナチは政党ではないのだから、上層部は綱領のことなど一度もまじめに考えたことがなかった。ワイマール憲法は公式には廃棄されていないが、自分たちが縛られない綱領などは廃棄する必要もなかったのである。
 p46
 ナチがユダヤ人にダビデの星の腕章着用を命令する六年も前に、シオニストユダヤ評議会は「誇りをもって身につけよ、この黄色い布切れを」という、一般ドイツ人社会の気分を迎合したスローガンを喧伝していた。この評議会には組織されたユダヤ人の五%だけが所属していたが、彼らだけがドイツ当局と交渉できる団体だった。
 彼らは、ドイツ人との「異化」という新しい過程を通じて、(これまで何百年もうまく行かなかった)「同化」を解消することこそ、ユダヤ人社会とドイツ人社会双方にとって公正な解決策である、これが時代の趨勢である、とのナチ側の空言を信じきっていた、あるいは信じようとしていた。(「全国連盟」など、このシオニストユダヤ人組織は数年後にナチ当局の下請け機関に再編され、アウシュビッツ行きとパレスチナ行きの人々を選抜する役割を果たした。)
 p48
 初期の収容所から生き残るべきユダヤ人を選んだのも、「全国連盟」などに連なるパレスチナ入植地のシオニストユダヤ評議会の組織だった。だから、選ばれなかった大多数の一般ユダヤ人は不可避的に、一方にナチ当局、他方にユダヤ人組織当局という手ごわい敵を腹背に持つことになり、逃げ場を完全に失った。
 p52
 チェコポーランドルーマニアユダヤ人の始末を望んでいることは疑いなかった。これらの国は自分らが「偉大な文化的国民」の例に倣おうとするのを、世界中がなぜ憤激するのか理解できなかった。