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ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 3

 p55
 「客観性」に対するドイツ人のかたくなな性癖は有名である。アイヒマンのドイツ人弁護人セルヴァティウス博士はイェルサレム裁判の口頭弁論の中で 「問題は殺すということであり、生命に関することなのだから、政治的な事柄ではなく医学上の問題なのです」 と述べて、法廷を緊張させた。
 p108
 「最終的解決」が恐ろしく徹底的に実行されたことは、完璧に官僚的なものとして人の目を引く。しかし実際は典型的にドイツ的なことであって、ドイツ人の間ではごく一般的な現象である。すくなくとも、「何かの陰にかくれるように」いつも心がけていたアイヒマンの、義務の命ずる以上のことをしたいという「死んだような服従」の信条はここに由来する。
 裁判中にアイヒマンは、子供時代勉強嫌いで嫌いで親を嘆かせていたにもかかわらず、判事の質問に答えて、カントを読んでいると答えた。そして誰もが驚いたことにカントの定言的命令のおおよそ正しい解釈をして見せた。カントは「すべての人間はその実践理性を用いることによって一個の立法者になることができ、法の原則となるべき原則を自己の内に見出すことができる」と言っている。
 これに対してアイヒマンは「私も自分の意志の格律はつねに法の格律となり得るようなものでなければならないと考えてきた。しかし定言的命令者(ヒトラー)が最終的解決を要請してからは、わたしはカントは時代遅れと思うようになり、その原則に従うことをやめた。わたしの行動の原則が定言的命令者の原則と同一であるかのように行動せよというように読み換えた。」と陳述した。
 p68
 ユダヤ人殺害に関する報告・命令・通信には厳密な用語規定が課せられた。この用語規定の狙いはそれを使う下士官や兵の連中に、自分たちがしていることを正しく判断できないようにすることにあった。スローガンや決まり文句の虜になりやすい、しかも普通の話し方をすると最低の内幕話が詰まった物置のような内容しか言えないアイヒマンは、まさに用語規定にあつらえ向きの人間だった。
 ジョージ・オーウェル1984年』に出てくる既存言語破壊計画とも言うべき「ニュースピーク=New Speak」はたぶんこの「用語規定」にヒントがある。「ニュースピーク」は“1984年に全体主義化される以前の旧体制イギリス”で話されていた「オールドスピーク」(現在の英語)の伝統的な概念規定を完全に破壊し、一語ないし二語で近傍の単語を出来るだけ多く表現しようとする“理想的イデオロギー言語”である。たとえば「オールドスピーク」で自由や平等という概念の周辺にある単語は、「ニュースピーク」ではすべて「犯罪概念」というただ一語に包摂される。客観性や合理主義という概念をとり巻いていた単語はすべて「旧来思考」という一語に包摂される。名誉、正義、道徳、民主主義、学問、宗教などの古臭い単語は新体制イギリスからあっさり姿を消すことになる。“1984年以降の全体主義体制イギリス”官僚に必要とされたのは、自国の民以外の民は「邪神」を崇拝しているということ以外、他のことをほとんど知らなかった古代のヘブライ人と同じようなものの見方をすることだったのである。
 『1984年』作中では、この言語改造計画は失敗に終わることが暗示されている。新しい全体主義イギリスは他の体制国家に遅れをとってはならず、そのためには新技術の資料、取扱説明書などひたすら実用に関わる文献が山のようにある、しかもその「ニュースピーク」ならざる言語で書かれた新技術文献の量は幾何級数的に増えていく。それをすべて「ニュースピーク」化するなどできないというのが言語改造計画破綻の理由である。
 しかし「ニュースピーク」ほど急激には行かないにせよ、放送であれ印刷であれネットであれ、メディアの用語規定は一般人の会話に知らず知らずに浸透する。その中で育った若者が、メディアに規定された用語であることを知らずに、痩せ細った語彙で謙譲語と判断保留の多い会話しかできなくなるのは、考えてみれば当然だろう。

 p77
 今日でもドイツには、殺されたのは「文化的な」ドイツユダヤ人ではなく、「原始的な」東欧のユダヤ人であるという言い伝えがある。「生命だけ」を破壊した人間より「生命も文化も」破壊した人間のほうが罪が重い、と考える人は少なくない。
 p62
 クルップジーメンスアウシュビッツの近くに工場を作っている。ユダヤ人を労働によって殺そうとの目論見がはっきりと見えるほどの労働条件だった。I・G・ファルベンの工場では三万五千人中二万五千人が死んだという。SSと実業家とのチームワークは見事なものだった。東欧ポーランドアウシュビッツでは文化を持たないユダヤ人の「生命だけ」を破壊したのであり、「生命も文化も」破壊したのではないとでも思っていたのだろう。
 p78-80
 一九四四年七月のヒトラー暗殺陰謀について、社会上層階級の参加者を悩ましていたのは、国家への反逆とヒトラーへの忠誠宣誓の破棄という良心の呵責だった。公然たる反逆と内戦こそドイツで起こりうる最善のことである、と考える勇気のあるものはだれもいなかった。
 ヒトラー暗殺陰謀の参加者の勇気は、道徳的な憤りや、他の民族がどんな目に遭わされているかということから来たものではなかった。彼らの動機は、このままでは「大陸で主導権をとるべき」名誉あるドイツが敗北し壊滅するに違いないという確信だけだったのだ。
 「うまく行っていた限りは奴に追従してきた連中が、今度は奴を裏切っただけなのです。破局がはっきり見えた今になって、自分の政治的アリバイづくりために・・」(独作家 レック=マレッツェーヴェン強制収容所で45年死亡)
 p81
 暗殺陰謀の参加者には、立憲君主派もいれば新旧キリスト教会和解推進派も労働組合指導者もいて、かれらは何の具体的な合意にも達していなかった。陰謀を描いた映画にもあったように、会議室でのヒトラー爆殺未遂後、一分の遅れが直後の多数派工作の成否を決める事態の中で、反乱派将軍たちの優柔不断は目を覆うばかりだった。