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ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 6

 p173
 アイヒマンの公判には、強制収容所の過酷な状況を証言する証人が八十二人いた。これらのほとんどは個々の事実については具体的証明のできない「全般状況証人」だった。うち五十三人はアイヒマンがなんの権限も持たなかったポーランドリトアニアから来ていた。だから彼らは検察側証人としてまったく役立たなかった。彼らの証言は「被害者側の人間は裁判の本筋と関係ないことを申し立てられる」という「権利の宣伝」臭いものにならざるをえなかった。
 ただひとり、大ポグロム「ガラスの夜」のきっかけとなったドイツ大使館員殺害の犯人とされたユダヤ人少年の父親が、虐待の日時・規模などをいささかの粉飾もまじえずに淡々と物語った。経験を真率に語ることはむずかしい。そのためには、正しきもののみが持つ魂の純潔さ、心情と精神の屈折のない清らかさが必要であることを、私(アーレント)はこの少年の父親によって思い知らされた。ポグロム:破滅・破壊を意味するロシア語。歴史学政治学的文脈では、加害者の如何を問わず、ユダヤ人に対し行なわれる集団的・暴力的迫害行為を指す。)
 p186
 エルサレム法廷がアイヒマン裁判を行えたのは、彼がアルゼンチンで「事実上」無国籍だったことによる。しかし出生時はもちろんドイツ国籍だったのだからドイツでの訴訟手続きを要求する権利があった。控訴審判決の二日後に処刑が執行されたのは、西ドイツへの身柄引き渡しの申請をアイヒマンが行うことを恐れたからである。
 p209
 「イスラエルには裁判官の役割を演ずる権利はない、国際法廷の告発者として行動できるに過ぎない」という批判に対して私(アーレント)は次のように言おう。「イスラエルが建国されて初めてユダヤ人は、イギリス人が自国の法律を押し通して権利を守るように、自民族に対してなされた犯罪を裁くことができるようになったのだ」
 p211
 戦争ですべてを賭けたものは、中立者(のもっともらしい意見など)を認めることはできないのだ(ニュールンベルク裁判・ジャクソン判事)。
 p194
 アンネの日記などをめぐってヒステリカルな罪責感の爆発を見せる最近のドイツの若い男女たちは、父親たちの罪のもとによろめいているのではない。かれらは現在の問題の圧力から安っぽい感傷に逃れようとしているのである。何も悪いことをしていないときに罪責を感じるというのは、“高潔な”彼らにとって満ち足りたことなのだ。