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ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 7

 p214 アイヒマンに絞首刑を宣告するアーレントの、煮えたぎる怒りを冷静に抑え込んだ「判決文」)
 あなたは、最終的解決におけるあなたの役割はたまたまにすぎず、どんな人間でもあなたの代わりにやれた、潜在的にはほとんどすべてのドイツ人が同罪であると言った。
 しかしながら法の前での有罪と無罪は、あなた個人がなしたことを問う客観的なものだ。たとえあなた以外の八千万のドイツ人があなたと同じことをしようとも、そのことはあなたの言い訳にはならない。またどんな偶然の内外の事情に促されて、あなたが犯罪者になってしまったとしても、あなたがしたことの現実性と、他の人がしたかもしれぬことの潜在性のあいだには決定的な相違がある。
 あなたは自分の身の上を逆境にあったものとして語り、大量虐殺組織の従順な道具となったのはそのせいであると述べたが、その場合にも、あなたが大量虐殺の政策を積極的に支持し、実行したという事実は変わらない。大人が従うべき世界では、子供の遊びと異なり、服従と支持は同じものなのだ。悪を積極的に支持した責任はみずからとらねばならない。
 あなたとあなたの上官は、この世界にだれが住み、だれが住んではならないと決定できるかのような政策を実行した。それゆえあなたは、何人からも、あなたとともにこの地球上に生きたいと願うことは期待できないだろう。これが、あなたが絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である。
 わたしたちの国にも、少なくとも六十六年前の沖縄において、この世界にだれが住み、だれが住んではならないと決定できる組織が存在した。その組織は、数百万の国民の死は遺憾であるが、すべては時の勢いの赴くところであったとする、アイヒマンも蒼ざめるような無責任人間を頂上に戴いていた。潜在的には日本人全員が同罪である、と、ナチスと同じ論理を使ったのである。実利と効用に尽きるわたしたちの国は、「言挙げせぬ」ことが美徳であり、「勝てば官軍」なのであるが、哲学や政治学よりは物言わぬヒトデやイソギンチャクが好きだったこの頂上の人は、負けても官軍なのであった。わたしたちの親世代があいかわらずこの人と地球上に住みたいと思ったからには。