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ペール・ラーゲルクヴィスト 「バラバ」

 ペール・ラーゲルクヴィストは、不勉強のせいで、名前も知らない作家だったが、本屋に平積みされてあったので気が動いて読んでみると、傑作だった。イエス・キリスト磔刑の日は、本来は、本書の主人公である極悪人バラバが処刑されるはずの日であった。それが当時、一日の処刑は三人までと決められており、民衆は、つながれた多くの「罪人」の中でもイエスの処刑を望んでいた。その結果極悪人バラバが釈放され、イエスが「繰上げ」で処刑されたという。
 新約聖書福音書に書かれたこの事実を題材にし、その後のバラバのいかにも人間的な運命を描いているのだから、キリスト教国では大問題作だったろう。母国スウェーデンではベストセラーを長い間続けたらしい。一九五一年のノーベル賞はこの作品に対して与えられている。
 イエスの代わりに放免されたバラバは、イエス処刑のときゴルゴダが暗くなった奇蹟に生涯動かされ続ける。しかし残酷な山賊稼業をやめるわけではないし、「信心したくはなったが、事実としては信徒ではない」と、ローマ総督の前で言って、親しくなった信徒を「心ならずも」裏切ることもする。最後には初期のキリスト教信者を迫害する官憲に追われ、そのわなにはまる。墓地の地下教会カタコンベの集会を野次馬として見に行って、おりしも起きたローマ放火の現行犯にされ、今度こそ磔刑になってしまうのである。一度はイエスの贖罪という奇蹟によって救われた生命を、バラバは自分の手で投げ捨てたわけである。
 「奴隷一人を助けられない神などはどこにいるんだ」という古代人バラバの激しい呪詛を、作者は原始キリスト教信者への個人的感傷におちいらず淡々と語る。
 イエス・キリスト自身は八歳のときに割礼を受けたユダヤ教のラビである。彼はたくさんのことを語ったが、彼が伝道したことの大半は、ユダヤ人は律法としてすでに知っていた。ただ、当時からいまに到るまで、ユダヤ教には公式に決められた教義がなく、宗教問題に関して公認の権威を有する、カトリックのローマ教会のような中央機関が存在しない。もともと、「ある問題が問題として成立するか」自体を問い、「思考の完全な自由」にこだわるユダヤ人のあいだでは、異端という概念そのものが曖昧だった。だから律法は地域、政治環境、氏族、部族で恣意的に解釈されていた。
 イエスの警告のおかげで、この戒律の弛緩は当時のユダヤ世界全体に知られるところとなったが、彼はそれ以前に知られていなかったことを、じつは何一つ口にしているわけではない。なによりもモラリストであったイエスは、極言すれば、「わたしについてきなさい」と、弟子と聴衆を導いただけである。
 『通訳ダニエル・シュタイン』のリュドミラ・ウリツカヤによれば、「真理とは何か」というローマ軍総督ピラトの問いは、単にイエスを窮させるためのレトリックにすぎなかった。イエスはその誠実さゆえに、「真理とは私である」とは返答できないのを、ピラトは見透かしていたわけである。ピラトによって一言で論破されたイエスは、平生から彼を胡散臭く見ていた民衆から「あいつを真っ先に処刑せよ」とシュプレヒコールされて、バラバの代わりにあっさりと磔刑されてしまった。
 カネと力の前で悪人をやめるわけではなく、「信心したくなることはあるが、事実としては信徒ではなく」、誠実でありたいが、親しい人を「心ならずも」ときどき裏切る・・・・バラバが、近代人そのものであるであることは疑いもない。