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漱石文明論集 2(岩波文庫)

 「私の個人主義
 p132
 いくら私が汚辱を感ずるようなことに出会っても、助力を頼みたい相手の気が進まないうちは、決して助力を頼めない、そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らかにして去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木(まきざっぽう)は、束になっていれば心丈夫ですが、一人ぼっちになれば淋しいものですから。
 p135
 国家は大切かもしれないが、朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似は、到底われわれに出来る話でない。豆腐屋が豆腐を売って歩くのは、決して国家のために売って歩くのではない。根本的主意は自分の衣食の料を得るためである。 
 常住坐臥、国家のために飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、国家のために便所に行かせられたりしてはたいへんである。国家主義を奨励するのはいくらしてもかまわないが、事実として出来ないことを、あたかも国家のためにするごとくに装うのは偽りである。火事の起こらない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内を駆け歩くのと一般であります。
 p137
 国家的道徳というものは個人的道徳と比べると、ずっと段の低いもののように見える。元来、国と国とは、外交言葉はいかにやかましくとも、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンにかける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると(個人の自由を束縛するとか、活動を切り詰めるとか)たいへん高くなってくるのですから、考えなければなりません。
 「模倣と独立」
 p167
 習慣的に続いてきた幕府というものをひっくり返したというのは、そのひっくり返るというときの人の胸中に同情があって、その同情を引き起こすということがなければ成功は出来ないのである。
 「敷島の大和心」や「和魂」の衰えを嘆いた三島由紀夫が社会の中に同情を引き起こすことは、まるで出来ない相談だった。なぜなら、「敷島の大和心」も「和魂」も、過ぎ去った時代の人々の脳が生んだ「特殊な脳の一機能」としての観念に過ぎず、身体としての脳の「一般構造」として必然的に生まれたものではないからである。したがって、時代環境が大きく変わった以上、その昔日のコピーが現代に生まれることは絶対にないからである。三島は脳の「構造」に思いを致すほど冷徹ではなかった。コンピュータが原始的で、脳科学がまだキワモノめいていた時代の制約ももちろんあるが、何よりも三島は「心」の実在論者でありすぎた。まるで「芸術」が、ある時空に「実在」するかのように。
 「無題」
 p186
 自分は、自分を通じて先祖を後世に伝えるため方便として生きているのか、または自分その者を世に伝えるために生きているのか。・・・ことに旧芝居や御能なんかはいい例です。絵画にもそれがある。自分は狩野派創始者のために生きているので、自分のために生きているのではないと看板を掲げる人もたくさんいる。
 「教育と文芸」
 p191
 昔の教育は、その理想なるものは、孔子を本家として、全然その通りにならなくても、とにかくそれを目当てとしてゆくのであります。詳しく言いますと聖人といえば孔子、仏といえば釈迦、節婦貞女忠臣孝子は、一種の理想の固まりで、世の中にありえないほどの理想を以て進まねばならなかった。
 親が、子どものいうことを聞かぬときは、二十四孝を引き出して子どもを戒めると、子どもは閉口するというような風であります。
 p192
 だから当時の教育は自分の理想を実現しようとする一種の感激教育でありまして、知ではなく情緒の教育でありました。エモーショナルな努力主義でありました。何でもできる、精神一到何事か成らざらんというようなことを事実と思っている。だからこそ意気天を衝く、怒髪天を衝く、こういう言葉を古人は盛んに用いたのであります。
 「硝子戸の中
 p270
 公平な 「時」は、(男につけられた胸の傷という)大事な宝物を女の手から奪う代わりに、その傷口も次第に療治してくれる。烈しい生の歓喜を夢のようにして暈してしまうと同時に、今の歓喜に伴う生々しい苦痛も取り除ける手段を怠らない。
 かくして常に生よりも死を尊いと信じている私の希望と助言は、遂にこの不愉快に満ちた生というものを超越することができなかった。