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ハナ・アーレント 「責任と判断」(筑摩書房) 1

 プロローグ
 p8
 かつてヨーロッパでは、緊急の際には国民生活の多様性を犠牲にしてでも「国家の統合」を維持すべきだと考えられたていた。しかし現在(一九七五年)ではすべての政府が官僚機構に転落しかかっており、こうした考え方は崩壊した。アメリカも例外ではない。こうした官僚機構で支配するのは、法でも人間でもなく、非人格的なコンピュータである。人間の手から逃れたシステムによる支配は、スターリンヒトラーの独裁政治の法外な専制よりも、人間の最低限の自由と礼儀をさえあっさりと蹂躙しようとする。
 p15
 一九二○年代、「失われた世代」と自称していた若者たちは「公的な事柄」をほとんど自動的に拒否していた。公的に名を知られることは、名声を獲得することさえ、ハイデガーの言う本来性の欠如、公によって自らをけがすことと、彼らには思われていた。古きよきヨーロッパが失われ、「公的な事柄」に絶望した若者たちが、自閉症的に外界との関係を閉じようとしていたその十年後に、中央ヨーロッパの公的な領域において巨大な災厄が訪れた。

 独裁体制のもとでの個人の責任
 p27
 ヨーロッパの論壇が、ヒトラーが行ったことの根源にプラトンヘーゲルニーチェ、あるいは科学技術やニヒリズムを見出している限りはまったく無難である。しかしヒトラーが大量殺人の実行者であったと指摘すると急に問題になる。ヒトラーが何者あったかは誰も説明できないとしても、一人の人間を裁くのは精密さに欠けるというのである。
 ホーホフート『神の代理人』の教皇への非難は表面的なものにすぎず、実はすべてのキリスト教徒が非難されているという主張が現れた。しかしこの概念は実際にはヒトラーたちを効果的に免罪する。すべてのキリスト教徒に罪があるのなら、誰にも罪は着せられないことになるからだ。日本の戦後にもまったく同じ一億総懺悔という議論が、国体護持者とその広汎な支持者からあがった。この議論を馬鹿馬鹿しいという人は当時から一部にあったが、右と左の両翼の人間は解決済みと思っていた。その中間にいる人々は「人それぞれだ」と言って、考えることさえ拒否していた。「済んだこと」をこれほどあっさりと「水に流せる」国民は世界でも希少である。
 p33
 一九二○〜三○年代は、ナチスのテロルの恐怖に怯えた偽善からではなく、「時代との協調」という歴史の列車に乗り遅れまいとする気持が生まれるようになっていた。この気持が生まれたからこそ、生活・文化のすべての領域で公的な地位にある人物の大部分が一夜にして意見を変えてしまったのである。
 しかし、その行動は彼らにとってはある価値の体系を別の価値の体系に置き換えたにすぎなかった。これらの人々は、ナチス体制のごく初期の段階において、個人的な責任感と判断力がほとんど崩壊していたから、誘惑に屈するときも、屈した後でも、自分たちは時代精神や国家の命令に従っただけだと主張した。
 p38
 アイヒマンに死刑が執行される際、強い反対が出され、たとえばマルティン・ブーバーアイヒマンの処刑は「若者が共有している罪の感情を消滅させる」と言った。これはアイヒマンの罪はドイツ人全体の罪という考え方であり、何かを実際に犯した人々を免罪することにしかならない。罪も無実も、個人に適用されなければ意味をなさない。
 p40
 アイヒマン裁判の判事は、法で裁かれるのは官僚群の歯車のシステムではなく、大文字の歴史でもなく何とか主義でもなく、一人の人間であるとした。ある地位にある役人としてではなく、ある個人の行った悪に事実において裁かれるとした。
 p41
 「わたしが実行したのではなく、わたしは単なる歯車に過ぎなかったシステムが実行したのです」と言えば、法廷は「ではあなたはなぜ歯車になったのですか、歯車であり続けたのですか」と問わなければならない。
 p44
 ナチスにとどまりながら無罪を主張した人たちは法廷で、「内部にとどまったものだけが事態の悪化を防ぎ、少なくとも一部の人々を助けることができた。公的生活から完全に身を引いた人々は自分の魂のことだけを考えていた」と主張した。もし、ナチス支配の早い時期に彼らが体制転覆を試みていたとしたら、この論は意味をもっただろうが。
 p48
 上官の命令に従っただけという論拠は成り立たない。兵士は、上官が狂気に冒された場合の命令や捕虜殺害を命じるような「明らかに非合法な命令」を除き、命令に従わなければ軍法会議で射殺されるし、命令に従えば判事と陪審員によって絞首刑にされる存在である、法的には。
 しかし「国家の命令」の場合は逆である。その国家が危急のときでなければ、国家は兵士に犯罪を命令してはならない。第三帝国はその当時、犯罪を犯さなければ存続できない状況になかったのは明白である。
 p53
 民族絶滅は古代にも近代の植民地でも起きたが、ナチスは「合法的な」秩序の枠組でそれを行った。ナチスの殺戮計画は地上の最後のユダヤ人がいなくなれば終焉する、という性質のものではなかった。この計画は戦争とはかかわりのないものであった。この、軍事的目的をもたない作戦遂行の煙幕として戦争が必要である、とヒトラーは考えていた。
 p57
 「国家への服従」というのはもっともに聞こえる論拠だが、これは長い伝統のある悪質な誤謬である。すべての政府は合意の上に成立しているのだから、服従は当然の帰結であるというわけだが、実際は、合意をした成人が「服従」するということは、組織や法律を「支持」していることを表わしているにすぎない。
 悪が明白である国家を支持する人物は、当然ながら責任を問われなければならない。責任のない服従は子供と奴隷だけに許される行為である。